数有る神社の頂点に立つ伊勢神宮は、静寂に包まれた森や清らかな川など、神の住まいにふさわしい雰囲気をたたえている神社だ。
じつは、伊勢神宮の神域は驚くほど広い。
伊勢神宮は最高神である天照大神を祀った内宮と、衣食住をつかさどる女神・豊受大神を祀った外宮から成り立っている。
だが、内宮と外宮との間には数キロもの距離があるのだ。
現在でもバスで往き来する程の距離なのだ。
お伊勢参りが大流行していた江戸時代には、この両者の間には古市と呼ばれる参拝の為の参道、いわゆるメインストリートとして賑わっていた。
ただし、宿屋や土産物屋が建ち並んでいただけではなく、古市にはもう一つ裏の顔があった。
神の面前という神聖な場所では、考えられない様な遊廓がひしめき合っていたのである。
その遊女の数は1000人にものぼったという。
古市は江戸の吉原、京の島原と肩を並べる程の盛り場だったのだ。
参拝のあとに古市で遊ぶことを「精進落とし」と呼んだらしいが、男性にとっては古市に寄る事も、お伊勢参りの大きな目的の一つだったのだろう。
もっとも、古市に来る客は遊び慣れている男ばかりではない。
遊女たちはその様な無粋な客を冷たくあしらった為、刃傷沙汰が起きた事もあったのだ。
遊女に馬鹿にされたと怒った男が、刀を抜いて店の者たちを次々と斬りつけたのだ。
この事件は『伊勢音頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば)』として歌舞伎にも取り上げられるほどに知れ渡った。
古市はお参りに来た男性を惑わせる、魔所だったと言えるかも知れないのだ。