爺さんが伝えたいこと

寡黙に生きて来た爺さんが、一つの言葉ででも若い人達の役に立つならば、幸いです。

2つある死後の世界

2021-06-23 18:51:01 | 日記
黄泉国(よみのくに)
根堅州国(ねのかたすくに)

どちらも日本神話に於ける死後の世界である。

この2つは共に黄泉比良坂で、現世と繋がっている。

ただし、根堅州国はすべて生まれ帰っていく根源の国であり、祖先の霊が宿る処、この世と隔たっているが、行き来が可能な世界だという。

スサノオ命が統治しており、オオクニヌシ命が訪れたりもしている。

人々の暮らしも地上と変わらない。

対して黄泉国は、文字通りの死者の国だ。

イザナギ命の妻のイザナミ命が黄泉大神となって君臨する黄泉国は暗く、邪霊が棲む処とされる。

この世と完全に隔たっており、死後の魂がここの竈(かまど)で煮炊きされた食物を一口でも食べると、もう現世には戻れないという。

そして、イザナギ命が黄泉国から逃げ帰る時に千引岩を据えた為、現世との間に明確な境界が出来たともいう。

ただ、黄泉国と根堅州国の概念はそれぞれに矛盾なども有って、混乱しやすい事もまた事実なのだ。

現在の所『古事記』は、この異質の2つの世界を、強引に1つの世界に繋ごうとしたとする考え方が主流の様だ。





恐山で死者の声を聞く

2021-06-23 04:12:18 | 日記
高野山、比叡山と並び、日本三大霊場に数えられるのが、青森県にある恐山だ。

開山は今から1200年ほど前で、慈覚大師が夢のお告げに導かれ、たどり着いたと言われる。

恐山とは8つの峰の総称で、霊場はそこに広がる盆地一帯を指す。

中央部にはほとんど生物が住まない強い酸性の宇曽利湖がある。

その湖の北東部から流れているのが、その名も「三途の川」で、ここがあの世とこの世の境界という事のようだ。

ガイドブックにも載っている名所だが、恐山がその不思議な霊力を発揮するのは、年に二度の「恐山大祭」と「恐山秋詣り」の時だ。

この数日間は、亡き人の霊を呼び出してみずからに乗り移らせる「イタコの口寄せ」が行われるのである。

イタコは古くから東北地方を中心に存在した霊媒師である。

死者の霊魂を呼び出す降霊術が有名である。

昔は神の言葉を語る「神口」「神降ろし」も行っており、占い師の様な役割も果たしていた。

したがって、イタコは地元で「神」とも崇められているのだ。

そんなイタコが霊を呼び寄せる恐山には「血の池地獄」が有ったり、卒塔婆などもほうぼうに置かれているが、実際は風光明媚な景勝地で、どちらかと言えば極楽浄土を思わせる。

一説には、霊が活発に動くのは冬季の閉山期間だと言うから、それはそれで不気味な話だ。

いずれにせよ、軽い気持ちで入山すると呪われると言う説もある。

足を踏み入れる時は、中途半端な気持ちではなく、畏敬の念を忘れない様にしたいものだ。




1200年の祟り神

2021-06-23 02:21:27 | 日記
昔から日本では怨霊として恐れる人物を、神として祀り、その祟りを防ごうとしてきた。

京都市左京区の上高野にある祟道(すどう)神社の早良親王もまた、この「祟り神」の一つなのだ。

早良親王は平安京遷都で知られる桓武天皇の弟だが、天皇の弟がなぜ人々から恐れられる祟り神になったのか。

それと言うのも、桓武天皇は平安京を造営する前、長岡へ都を遷そうと計画していたが、その最高責任者が暗殺されてしまったのだ。

この時、事件への関与を疑われたのが皇太子の立場にいた早良親王だった。

桓武天皇は早良親王を幽閉したが、無実を訴えた早良親王は何日も飲食を拒み、淡路国(現在の兵庫県南あわじ島市付近)へ配流される途中で衰弱死してしまう。

事件の真相は、今となっては闇の中だが、早良親王が深い恨みの中で、無念の死を遂げたのは確かだろう。

この後、桓武天皇の周辺では近親者が相次いで亡くなるなど、祟りとしか思えない不幸が次々と起こったという。

さらには、疫病や水害といった恐ろしい天変地異も立て続けに起こり、陰陽師の占いによれば早良親王の怨霊の仕業だとされた。

桓武天皇が平安京の造営を決定したのも、あまりにも度重なる早良親王の祟りに怯えた為だと伝えられる。

都の鬼門に祟道神社を建てたのも、怨霊を鎮める為なのである。

今では恐ろしい呪いとは無縁に思えるほど、静寂に包まれた祟道神社だが、時代は移り変わっても早良親王の鎮魂への祈りはつづいているのであろう。