爺さんが伝えたいこと

寡黙に生きて来た爺さんが、一つの言葉ででも若い人達の役に立つならば、幸いです。

古事記・日本書紀(1)

2021-06-15 23:32:24 | 日記
世界のどの民族も例外無く、この世がどの様に姿を現して来たかの、由来を語る物語を持っている。

その様な物語は「神話」と呼ばれ、人間を含めた、この世界のあらゆる存在の起源を、神々の物語として語り出している。

それらは本来、神々を祭る何らかの儀礼の場で語られ、口頭で伝えられたものと考えられるが、やがて文字に書き留められる様になった。

ギリシャ神話や、天地創造の物語などで知られる『旧約聖書』は、その著名な例であるが、日本でも『古事記』『日本書紀』という二つの古代文献が神話として知られている。

『古事記』はそれまで各地に伝えられていた、相互に矛盾する神話伝承を整理して、国家的に正しい神話を後世に伝えたいという、天武天皇の意思を受け、稗田阿礼(ひえだのあれ)が語る伝承を太安麻呂(おおのやすまろ)が書き記し、712(和銅5)年に完成した。

その為、一貫した物語性を持ち、読み物として楽しく読める内容となっている。

一方、『日本書紀』は720(養老4)年に古来の伝承を収集して編まれたものだが、『古事記』が稗田阿礼という一人の語り部の口述を記したのとは異なり、中国各王朝の正史を手本に作られた国家の歴史書であり、さまざまな伝承を一貫した物語にまとめることはせず、相互に矛盾する内容を持つ複数の伝承も、そのまま「一書(あるふみ)」(異説)として紹介するかたちをとっている。

この様に性格の異なる二書だが、そこに記されている神話の内容は、登場する神々の名前や表記に相違が見られるものの、基本的には共通しており、両者を合わせて「記紀神話」と呼んで同列に扱うのが通例となっている。



超高層神殿・出雲大社

2021-06-15 05:26:38 | 日記
古代より、人類は空により近い場所への憧れや、崇拝が有ったと言われている。

日本でも空中に神殿が有ったと、想像される場所があるのだ。

出雲大社だ。

出雲大社は『古事記』にもその名が記された、日本最古の神社の一つでもある。

現在の本殿は1744(延享元)年に造営されたものだが、社伝によればその昔、出雲大社は遥か高所にあったと言われている。

具体的には地上約48mで、これは現在の社殿のおよそ2倍、15階建てのビルに相当する高さなのだ。

それでも昔は、この高層神殿はあくまでも伝説の域を出ない存在だったが、2000(平成12)年に、その存在を裏付けるかの如く、驚くべき発見があったのだ。

出雲大社の敷地から、直径1mの丸太を3本束ねた、巨大な柱が忽然と姿を現したのである。

柱穴には大きな石がぎっしり積み込まれており、世界にも類を見ない地下構造が出現したのだ。

そして、その柱の配置や構造は、出雲大社に伝わる巨大な本殿の設計図と、酷似していたのである。

天高く伸びた柱の上に社殿が建ち、そこへ至る長い階段が、地上からそびえ建っていた。

神を祀る聖なる神殿を、地上から仰ぎ見る構造建築なのだ…。

「宇豆柱(うづばしら)」と呼ばれるこの古い巨柱は、そんな高層神殿の痕跡なのだろうか。

後の調査で、柱は鎌倉時代前半の物であると推察されたが、高層神殿との関係は明らかになっていない。

現在この宇豆柱は、出雲大社の隣の歴史博物館で、実物大のレプリカを見る事が出来る様になっている。

その昔、高層神殿をどの様にして造り、また祀ってきたのか、現代の我々には想像の域を出ないが、広大な心おどる史実では有るのだろうが。