爺さんが伝えたいこと

寡黙に生きて来た爺さんが、一つの言葉ででも若い人達の役に立つならば、幸いです。

祟りをもたらすご神木

2021-06-27 16:15:49 | 日記
聖なるものと崇められているものを、勝手に動かしたり手を加えたりすると、祟られるという話は昔からよくある。

山梨県にまさにそうした場所がある。

それは、甲州市大和町初鹿野(はじかの)の山間にある諏訪神社だ。

神社そのものは何の変哲もないが、問題はすぐ脇を走るJRの線路に覆い被さる様にして立つ、見事なホオの木である。

これはこの神社のご神木なのだが、これこそが「祟りの木」だと言うからただ事ではない。

事の始まりは、1953(昭和28)年にこの木の枝を切った作業員6人が相次いで不審死した事だった。

この一件でご神木の祟りを恐れた関係者は、線路の拡張工事ではお祓いをして臨んだ。

ところが、その祈りも虚しく、ほどなくしてご神木の近くでバス事故が起こり、乗車していた学生が死亡したのだ。

この時、奇しくも前回と同じ6人の命が奪われたのだ。

神社にある案内板では、このホオの木は日本武尊(やまとたけるのみこと)が杖代わりにした枝が、発芽したものだと伝えている。

樹齢は二千数百年を超えており、幹が何度か枯れては根本から新しい芽が出て、現在に至るという。

この木をおろそかにすると、不慮の事故が起こると、古くから信じられているそうだ。

これに頭を痛めているのが、ご神木を切るに切れないJRである。

JRは信号の位置を変えたり、木が架線に触れない様にフェンスを立てたり、ネットを張ったりと、ご神木に最大限の配慮をしている。

まさに触らぬ神に祟りなしの心境だろうか。





神の楽園と人の冥界

2021-06-27 05:53:41 | 日記
世界各地の神話には、ほぼ「楽園」と「冥界」が描かれている。

もちろん神話そのものが、人間の想像力と潜在意識が結実したものである限り、そこに現れる楽園や冥界のイメージも、人間の願望あるいは恐怖が具体的な描写を伴って、表現されることになる。

だが、それは一体どこにあるのだろうか。

たとえば楽園の場合、神話によっては、それは天上であったり、海の彼方であったり、地下であったり…。

時には次元が異なる世界であったりもする。

そして各神話に見られる楽園は、夢が溢れる楽しい場所であり、心身ともに平安を保てる空間である。

しかしそこには、往々にして神々の領域であり、通常の人間の手には届かないものだ。

そこで暮らせる人間は多くの場合、現世を離れた者、すなわち霊魂に他ならぬのだ。

人間は神々の自由奔放な暮らしぶりに思いを馳せ、少しでもその生活にあやかろうと、永遠の楽園を思いがけず描いてきた。

だが、そこへ行くという事は、現世に於ける生活をすべて切り捨てねばならないのだ。

ただ、霊魂とならずとも訪れる事の出来る楽園もある。

理想郷と呼ばれる存在がそれである。

だが、この異世界で暮らす者は年を取らない者が多いという。

現世との時の流れが異なる場合が多いのだ。

ここを訪れた人間は、確かに夢の様な時を過ごす事ができる。

しかし、本人はそこで数年過ごしただけの積もりでも、もとの世界では数百年が経過しているのだ。

故郷に戻った時、その人間はやはり全てを失った事になるのだ。

そしてもう一つ、生きとし生けるものがいずれは、すべて訪れなければならない異世界。冥界なのだ。

多くの民族の神話群の中で、死や冥界にまつわる物は、創世神話や人類の紀元神話とともに、極めて重要な位置を占めている。

そしてその場所はほとんどの場合、暗くじめじめした地下世界にあるのだ。

さらに、死者の国や冥界を司る神は、どの民族の神話にも登場する。

それら死の神は、その多くが天界の主導権争いに敗れたか、または天界を支配する神々の縁続きというのが特徴だ。

ただ、冥界=地獄を連想しがちだが、一概にそうとは言い切れない。

確かに、生前の罪に応じた恐ろしい罰を、永遠に与え続ける地獄もあるが、ただ影のような存在になって空間をたゆたうだけの冥界もあるのだ。