鈴木宗男ランド ブログ by宗援会

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宗男日記から

2009年07月12日 | Weblog
ムネオ日記
2009年7月12日(日)
 昨日、第91回全国高校野球選手権大分大会の開会式に向っていた柳ヶ浦高校野球部員の乗っていたバスが横転し、1人が死亡、42人が負傷するという事故が起きた。亡くなった吉川将聖君は奈良県からの野球留学で甲子園に行きたい、将来はメジャーリーガーになる事が夢だったと報じられている。何という非常な運命か。雨が降っておりそこでの事故、チョッとした一瞬の出来事だったのだろう。吉川さんのご冥福を心から祈ると共に、負傷された方々の一日も早いご全快を祈念したい。併せて運転していた野球部の副部長さんが、過失致傷容疑で現行犯逮捕されているが、悪意があった訳でなく、単純な運転ミスと思われる。この副部長さんも、思わぬ出来事にご本人が一番ビックリ、かつ申し訳なく思っている事だろう。同情に値する。関係者に置かれては寛大な処置をして欲しいものである。
 麻生首相が昨夕帰国し、早速動きがある。官房長官、同じ派閥の人達、地元で支持する国会議員が面会をしている。私のところにも関係者から連絡が入って来たが、いよいよ解散選挙の様相である。
 今日の都議会議員選挙を見ながら、今週はじめなのか、後半なのか決断される事になるのではないか。支持率が低い国民の支持が少ないと言っても解散権を持っているのは麻生首相である。最後に伝家の宝刀を使う事だろう。息の抜けない神経戦が始まっている。
 根室管内別海町で自衛隊協力会30周年記念式典。陸上自衛隊別海駐屯地は日本一の演習場、矢臼別を抱える駐屯地だ。12年前、沖縄の県道104号線越え実射訓練を本土移転に伴い、私が一番先に地元の協力を得て、受け入れた経緯がある。沖縄の痛みを少しでも分かち合う責任を果たせたことを今でも私は誇りに思っている。当時、受け入れ反対の大合唱であったが、当時の佐野町長の国益の観点での決断、後に私の後援会長をして下さった当時の小原町議会議長さんはじめ、協力して下さった多くの関係者を想い起こし感慨無量である。自衛隊協力会の皆様に心から感謝申し上げる。
 12時45分中標津空港から丘珠空港へ。札幌大通公園で街頭演説。
 大勢の人が足を停めて私の訴えに耳を傾けて下さった。
 18時岩見沢市に行き、民主党小平忠正代議士の会合に出席し、小選挙区は「小平さん」比例は「大地」をよろしくと訴え、「北海道から政権交代」「北海道からチェンジ!」そして「北海道から初の総理大臣を誕生させよう」と熱く話しさせて頂く。今日も太平洋から日本海を見る、北海道横断の一日であった。
20090712
「別海町自衛隊協力会30周年記念式典」

鈴 木 宗 男
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新党 大地 
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宗男日記から

2009年07月12日 | Weblog
ムネオ日記
2009年7月11日(土)
 北海道新聞朝刊一面トップは択捉(えとろふ)ビザなし中止「撤回」政府の意向背後にという見出しである。現地事情がよく書かれているので読者の皆さんも是非とも読んで戴きたい。

政府の意向背後に 択捉ビザなし中止『撤回』
 北方領土・択捉島を管轄するクリール地区行政府のニコライ・ラズミシキン行政長は10日、「ロシア政府に従わなければならない」と述べ、独自に表明していたビザなし渡航の「中止」を撤回する可能性を示した。長年続いてきた渡航の中止方針が唐突に打ち出され、一転継続する方向になったのはなぜなのか。領土問題を扱う日ロ首脳会談の前後だったこともあり、対日強硬派の影響もささやかれている。
領土交渉主導狙い?
 「勇気を持って、抗議を表明した。しかし、政府は『自制しろ』と言う」。ラズミシキン行政長は10日、北海道新聞の取材に対し、そう明かし、悔しさをにじませた。ビザなし渡航を中止すべきだとの「信念」は今も変わっていないという。
渡航委にも対日強硬派
 ビザなし渡航は、行政府ナンバー2のラズミシキン行政長をトップとし、地区議会議員、村長らでつくる「ビザなし渡航委員会」が人選やプログラムを決める。同委員会は6日夜、ビザなし渡航「中止」を決定し、これが行政府の方針となった。
 ラズミシキン行政長は、ビザなし渡航に批判的なサハリン州政府の地方自治問題局長から、2007年9月に行政長に任命された。島内では、対日強硬派の筆頭格とされる。同委員会メンバーにも対日強硬派がおり、政府に近い政治グループや政党の影響を受けているとの指摘もある。
 行政府トップのアナトリー・スベトロフ地区長はビザなし渡航の「存続派」だが、同委員会のメンバーではなく、「中止は(自ら議長を兼任する)地区議会が決議したものではない」と断言。「存続派」の意向が及びにくい中で、同委員会が中止を決定した。
 日ロ首脳会談の直前に突如中止が決まったことで、ロシア側でも「領土問題に絡む日ロ交渉を有利に進めるため、中止方針をぶち上げた後、撤回するように、政府が命令したのでは」などの憶測も呼んだ。
日ロ両国が重要性認識
 ロシアの政府、州、択捉島は、日本でいえば、政府、都道府県、市町村のような上下関係にある。今回の場合、択捉島などの意向は尊重されるが、渡航の継続や中止の決定権はロシア政府にある。
 このため、中止はロシア政府の意向で覆える可能性が大きい。すでにプリホチコ大統領補佐官は9日、条件付きでビザなし渡航の継続を表明。ある島民は「行政府のフライング。中止を表明する前に、政府の意向を確認すべきだった」と話す。
 ビザなし渡航は1964年の「北方墓参」が最初で、92年に日本人とロシア人島民が相互訪問する「四島交流」が始まると、双方の関係は急速に緊密化。このほか元島民の故郷訪問である「自由訪問」と「人道支援」の枠組みがあり、領土問題解決後を見据えた友好関係づくりのためにもビザなし渡航は重要との認識が日ロ両国にある。
 同大統領補佐官も「人的交流と信頼醸成の手段として継続する理由がある」と述べ、渡航継続の見通しは急速に強まっている。
(平成21年7月11日北海道新聞一面より)

 よく現状を表していると思う。択捉でラズミシキン行政長と直接会って不愉快な挨拶を受け、私はきちんと反論し団員の皆さんも「良かった」と評価して下さった。一部の強硬派に振り回されてはいけない。日本政府も毅然と対処する時はしなくてはいけない。
 ロシアのメドベージェフ大統領は、10日ラクイラサミット閉幕後の記者会見で、「北方領土問題については、1956年の共同宣言が基本となる文書で、これを基に話合いをしていけば良い」と述べている。
 5月にプーチン首相が来たときも56年宣言が交渉の基本だと言っている。4島の現実的解決を目指すには、先ず2島返してもらって、残り2島をどうして返してもらうかというアプローチをしていくことが現実的解決の早道と考える。
 入り口で4つ日本に認めれと言ったら、日本が百点、ロシアゼロ点である。これでは外交にならない。過去の声明宣言、約束事に基づき法と正義にのっとり解決すると両国の最高首脳が確認している。
 民主主義は信用が一番である。騙されるなという声がよく聞かれるが、外交には相手がある。お互いの名誉と尊厳を尊重しながらやっていくしかない。
 政権交代で鳩山総理大臣を誕生させ、国民の悲願である北方領土問題を解決したい。
 6時53分の列車で留萌市に向かい、9時から留萌管内の新党大地留萌後援会連絡所開き。300人もの人が朝早くから駆け付けて下さり、特に特定郵便局長会・同夫人会の皆さんが足を運んで下さり有難い限りである。お陰様で盛大に事務所開きが出来た。
 10時からお世話になっている方の告別式に顔を出し、札幌に戻る。
 13時30分から知人の結婚式に出て、3時から大通公園で街頭演説を行う。話していくうちに大勢の人が足を止め耳を傾けて下さり手応えを感じる。
 「大地」は弱い人の味方、弱い人の為の政党である。そのことをしっかり訴えさせて戴く。
 17時05分丘珠発で釧路に向かい18時から釧路管内厚岸町で大変お世話になっている磯田水産の社長さんの息子さんの結婚披露宴に出席し、お祝を述べる。
 19時から地元記者さんとの懇談会。
 21時から異業種の方々との2回目の勉強会。会の名前を「絆(きずな)の会」とする。釧路の明日を担う有意な若者の集まりで、私も教えられるところ大である。
 今日も日本海を眺め、太平洋を眺める忙しい1日だった。

20090711-1
「新党大地留萌後援会連絡所開き」
鈴 木 宗 男
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新党 大地 
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