ムネオ日記
2006年9月1日(金)
8時から世界銀行議員連盟の朝食会で、世界銀行アフリカ担当のジョンペイジ チーフエコノミストさんのお話を聞く。アフリカも確実に成長しており、日本の果たしてきた役割も評価されているが、中国のめざましい台頭が気になるところである。日本が戦略的外交というならば、アフリカに対する協力は増やす事はあっても下げる事のない様にしなくてはいけない。民生安定の為に、長期的視点に立って人づくりに対する協力・支援を重点的に行うべきである。
私がアフリカを応援してきた最大の理由は、私自身の子供の頃と重なる思いであった。やせ細った水ぶくれのお腹をした子供を見た時、私も小学生の時、クラスに1人か2人、栄養失調で「くる病」という手の関節や背骨が曲がっている人がいたものである。政治家になって、あの時、今の力があったら、仲間を助けられたと1人涙したものであり、その思いがアフリカに対して情熱を燃やすきっかけになった。私なりに与えられた立場で、これからもアフリカを応援して参りたい。
安倍晋三官房長官が総裁選出馬を表明したが、後出しジャンケンよろしく、余裕の立候補である。流れは出来ているが、せっかくの機会であるから、3人の候補者は堂々と日本のあるべき姿について討論して戴きたい。国内的な話もさることながら、世界地図、地球儀をみての議論をして戴きたい。今までのブロックでの話は、皆内向き、国内問題が中心である。後半は外向き、世界に責任を持つ日本としての、大所高所のお話を是非とも伺いたいと、関係者は思っているのではないか。
これまでの総裁選挙を振り返る時、昭和57年の総裁選挙で推薦人50人が必要だった時、13人しかメンバーのいなかった中川一郎先生が勇躍立候補表明し、なんとか50人集めて立候補にこぎつけた事を昨日の事の様に想い出す。50人集めた時の中川一郎先生の満足した顔と、「鈴木と2人で集めた大仕事だ」と、石原慎太郎先生はじめ、並みいる国会議員を前に、中川一郎先生が労(ねぎら)ってくれた温かい言葉が今も私の耳に残っている。
中川一郎先生の立起により、安倍晋太郎先生も出る事になり、福田派から安倍派に衣替えした。福田先生はあの時点で福田派から安倍派にするつもりはなかったが、総裁選立起という実績でスムーズに禅譲できたのである。中川一郎先生は福田先生の考えは承知していたので、世代交代の上でも自ら立起表明し、安倍派にもっていこうと考えていたのである。早いもので、24年前の出来事である。
あの頃は壮大なロマンと魂(たましい)のぶつかり合いがあったと思うが、さて今はどうだろうか。スマートさはあっても、心揺さぶられる事があるだろうか。しばらくの間、冷静に考えてみたい。
鈴 木 宗 男
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新党 大地
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2006年9月1日(金)
8時から世界銀行議員連盟の朝食会で、世界銀行アフリカ担当のジョンペイジ チーフエコノミストさんのお話を聞く。アフリカも確実に成長しており、日本の果たしてきた役割も評価されているが、中国のめざましい台頭が気になるところである。日本が戦略的外交というならば、アフリカに対する協力は増やす事はあっても下げる事のない様にしなくてはいけない。民生安定の為に、長期的視点に立って人づくりに対する協力・支援を重点的に行うべきである。
私がアフリカを応援してきた最大の理由は、私自身の子供の頃と重なる思いであった。やせ細った水ぶくれのお腹をした子供を見た時、私も小学生の時、クラスに1人か2人、栄養失調で「くる病」という手の関節や背骨が曲がっている人がいたものである。政治家になって、あの時、今の力があったら、仲間を助けられたと1人涙したものであり、その思いがアフリカに対して情熱を燃やすきっかけになった。私なりに与えられた立場で、これからもアフリカを応援して参りたい。
安倍晋三官房長官が総裁選出馬を表明したが、後出しジャンケンよろしく、余裕の立候補である。流れは出来ているが、せっかくの機会であるから、3人の候補者は堂々と日本のあるべき姿について討論して戴きたい。国内的な話もさることながら、世界地図、地球儀をみての議論をして戴きたい。今までのブロックでの話は、皆内向き、国内問題が中心である。後半は外向き、世界に責任を持つ日本としての、大所高所のお話を是非とも伺いたいと、関係者は思っているのではないか。
これまでの総裁選挙を振り返る時、昭和57年の総裁選挙で推薦人50人が必要だった時、13人しかメンバーのいなかった中川一郎先生が勇躍立候補表明し、なんとか50人集めて立候補にこぎつけた事を昨日の事の様に想い出す。50人集めた時の中川一郎先生の満足した顔と、「鈴木と2人で集めた大仕事だ」と、石原慎太郎先生はじめ、並みいる国会議員を前に、中川一郎先生が労(ねぎら)ってくれた温かい言葉が今も私の耳に残っている。
中川一郎先生の立起により、安倍晋太郎先生も出る事になり、福田派から安倍派に衣替えした。福田先生はあの時点で福田派から安倍派にするつもりはなかったが、総裁選立起という実績でスムーズに禅譲できたのである。中川一郎先生は福田先生の考えは承知していたので、世代交代の上でも自ら立起表明し、安倍派にもっていこうと考えていたのである。早いもので、24年前の出来事である。
あの頃は壮大なロマンと魂(たましい)のぶつかり合いがあったと思うが、さて今はどうだろうか。スマートさはあっても、心揺さぶられる事があるだろうか。しばらくの間、冷静に考えてみたい。
鈴 木 宗 男
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