
もう一つは、中野に闇市があった頃だそうです。
大学生のアルバイトで、パチンコの景品買いをしていたそうです。
アルバイトと云っても、自分自身で売買していたそうです。
自分自身で売買してたという事は、闇営業ですね、大学生で・・・
『ハットを被ったアンちゃん達が3人、露店の堅気の人達をいじめていた。
多分、ショバ代を寄こせとか言っていたのだと思う』
『アンちゃん、止めなよ』と注意したけど、こちらをニランデて粋がってる』
もう1度、『アンちゃん止めなよ~』と、云ったら、殴りかかって来た。
『それも3人でだよ』
『それで、よけながらパンチさ~!ボクシングをやってると、相手の動きは止まって見えるし、
次の動きも読めるから、3人でかかってきても、よけられる。ハットを飛ばして殴り掛かって来ても、相手の動きが読めるって凄いだろ、もう~、周りの人達から拍手喝采だよ。今までのウップンを晴らせたと思う。3人ともハットを落としたまま、逃げちゃった』と笑顔で話していました。
これを見ていた人にスカウトされたのだそうです。
スカウトが、良かったのか、悪かったのかは分かりません、
’67~’68年頃の池袋西口駅前
西口駅前に在った「ケーキ屋」「果物屋」「甘栗・ローストチキン」の店には通いました。
マンゴー、パパイア、キューイ、など、珍しいフルーツは、西口駅前で覚えました。
パパイアの匂いには驚き、切って直ぐ捨てました。
アップルパイの美味しさは、ここのケーキ屋さんで覚えました。
確か、文盛堂だったと思います。
義兄は、自分の強さを誇示するような真似は、しませんでした。
どちらかと言えば、1歩後ろに下がり、成り行きを見守る男でした。
但し、自分の意見は持っていました。
現在の「中野サンプラザ」
建て替え後の「中野サンプラザ」
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