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コタラの社長日記

スリランカ産ハーブ「コタラヒムブツ」(学術名サラシア・レティキュラータ)を紹介され、世界初のサプリメントを製造!

無尽仲間

2021-10-24 16:20:28 | Weblog

 競馬や競輪のノミ屋の人達が多く参加しました。

彼らは、11割の利息を取っていましたから、1か月1割なら、何でもない利息でした

 白タクまがいの人達もいました。

自動車を持っているので、

お客さんを自宅まで向かいに行き、競馬場、競輪場まで連れて行きます。

 お客さんの持ち金が終わると、日1で貸します。

日1とは、1日1割の利息です。

そして、帰りは自宅に送り届け、元金と利息を受け取ります。

ご家族とも知り合いですから、逃げようがありません。

 

 大泉学園の駅前のお客さんに、

『駅前の土地を1坪売れば¥100万円だよ』と言われ、

がっかりしたと、話していました。

50年前の話ですから、今の大泉学園駅前は、坪幾らなのでしょうか?

 

 無尽が大きくなり、銀行になった例もありました。

当時、富士見台駅前に在った『東京相互銀行』が、そうでした。

http://www.opac1.com/bank/detail.php?bcd=3642

 

 

 


無尽の集まり

2021-10-23 15:14:14 | Weblog

 ¥30万円が必要な人達が2人以上だとすると、必要とする人達で落札になります、

¥5万円で落とす事もありましたが、

それ以上の金額になると、欲しい人同士で話し合いをし、決めていました。

 1口¥100万円で1か月と云うのは、ありませんでした。

 50年以上前の¥100万円は、

トヨタ クラウンが買えましたから、今の金額を想像して下さい。

 1番多かったのは、¥50万円だったと思います。

 このお金を何に使うか?

支払いか、投資です。

期日の集まりに来れなく、逃げた人もいましたが、必ず視つけられました。

 

 


義兄達の集まり

2021-10-22 15:04:35 | Weblog

  ‘67~’72年頃、毎日、池袋西口のサルビアに集まる人達が、

特別な目的を持って、サルビアに集まる日がありました。

  互助会とでも云うのでしょうか、「無尽」と云う集まりでした。

  1グループが、5人~7人位で、

¥30万円のグループ、

¥50万円のグループ、

¥70万円のグループと金額に合わせてグループを作ります。

¥100万円のグループは、無かったと思います。

 

 ¥30万円のグループで、会員5人だとすると、

1人¥6万円を出し、合計金額を¥30万円にします。

この金額を1か月間誰が使うかです。

 

 使いたい人が1人の場合、月1割の利息¥3万円を出し、

¥27万円を1か月使い、1か月後に¥30万円を持って来て、返します。

その金額を会員で平等に分けます、当然、借りた本人にも配当がありました。

 

無尽が大きくなり、銀行になった例もあります。

当時、富士見台駅前に在った『東京相互銀行』が、そうでした。

http://www.opac1.com/bank/detail.php?bcd=3642

 

 

 

 


時計ブーム

2021-10-21 15:56:57 | Weblog

 デイトジャストを手に入れた人達は、

銭湯や海水浴に行く時も、腕から外すことはありませんでした。

他の人達の驚きと好奇心のまなざしを観るためでした。

 義兄の友達たちもデイトジャストを買いだしました。

但し、白文字盤を手にした人は皆無で、『売ってくれ』、

『交換して欲しい』と何人もの人達から言われましたが、

今も自分の腕に着いています。

 この頃、何人かの人達がパテック・フィリップの時計を付けていました。

名前を聴くと『カラトラバ』と教えてくれました。

奇麗な時計で『¥80万円だよ』と言われましたが、

本物かニセモノかわからないので、名前だけ覚えました。

カラトラバ・スモール・セコンド

1秒を12コマで刻んでいるように見えます。

 

 パテックの時計で、

 今は観ませんが「文字盤がバンドと一体になっている時計をはめている人がきました。

値段を聴くと『¥400万円』との事でした(50年以上前の事です)。

 他の時計は、観ませんでした。

 

今、この時計は観なくなりました。

バンドと文字盤が同じ平面で、模様も同じで、細工に驚きました。


憧れのロレックス

2021-10-20 13:59:12 | Weblog

 この頃、義兄の仲間内で流行ったのが、「ロレックス」のデイトジャストでした。

防水で日付を確認でき、ベゼルがホワイト・ゴールド、今までにない時計でした。

 義兄の若い衆の殆んどが、デイトジャストを腕に付けていました。

 義兄は、上に頼まれて沖縄の同僚の墓参りに行きました。

一度も会った事が無いそうですが、上からの頼みですから仕方無いですね。

 当時、沖縄はアメリカ統治で、そこでロレックスを買い、日本に持ち込みました。

 その時、義兄と一緒に沖縄に行った若い衆は、

全員デイトジャストを買って日本に帰って来ました、5~6人のおのぼりさん達です。

『税関で質問されたら、日本から付けて行ったと云え』と

教えたそうですが、箱を持ち込んで税金を払った人もいたそうです。

 ですから、僕のデイトジャストは、箱も仕様書もありません。

 いくらで買ってきたのか知りませんが、

日本のデパートでは、¥24万円で売っていました。

 ホンダのN3が、¥36万円の時代ですから、凄く高価な時計でした。

 それを『¥10万円で買え』と言われ高額なので渋々買いましたが、今も使っています。

買ったのは‘68年頃でしたが、義兄が2年位使用しています。

沼津の時計屋さんの見立てでは『‘65年~’64年製だと思います』との事でした。

今のデイトジャストは、ガラスの風防ですが、当時物は、プラスティック製です。

 10年毎にオーバーホールをしています、オーバーホールをして帰ってくると、

出す前と後では、別物の時計かと思われる位、奇麗になってきます。

受け取った時と今の違いで、1番分かり易いのは、バンドです。

 穴だらけだった所を穴埋めして奇麗になって返されて来ました。

残念なのは留め金です、当時物は王冠が付いていましたが、プレスの王冠に替えられました。

毎日夜中の0時になると「カシャ」と云う音とともに日付が変わります、たいしたものです。

オーバーホール代ですが、最初は¥4万円でしたが、前回の時は¥10万円でした。

 

同型のロレックスです、僕の時計の文字盤は「白」です。

「白文字盤」は、非常に目づらしいそうです、

「コンビ」の人達から『取り換えて下さい』と何度も言われました。

 

 


水戸ッポのヒロシさん

2021-10-19 15:32:16 | Weblog

 水戸ッポのヒロシさんの和服姿は、

高倉健に仁義を教えたと云うだけあって、映画に出てくる粋な男の出で立ちでした。

 ヘヤースタイルは、池部良に似ていました。

左右は刈上げ、7:3に分けていました。

厚手ウールの角袖に、紺か茶の大島を着て、袖は筒ッポでした。

 着物の仕立てで生計を立てていた母に、筒ッポにする意味を聴きましたら、

『立ち回りで、動きやすくするためよ』と言われました。

 その世界では、普通の袖にすると動きが悪くなるので、

筒ッポにするのが普通だったようです。

 和食の板前さんの和服姿を観れば、ツツッポの袖口が多いそうです。

 腹にサラシをきつく巻き、喧嘩の時は、濡れた新聞紙をかませるか、

サラシを濡らすとドスが入らないと云っていました。

足元は、黒の足袋で着物に合わせた鼻緒の雪駄でした。

足袋も、コハゼの数を指定していたそうです。

池部 良(さすが、スターです)

和服のコートの角袖、今は観なくなりました。

 

 


彼は、お洒落でした

2021-10-18 16:30:03 | Weblog

 この稼業に携わっている人達は、それぞれ独自のお洒落感を持っていました。

殆んどの人達のスーツは、オーダーで、裏地やボタンなども指定していました。

 僕も真似をしていましたが、浮世絵の裏地などはしないで、

普通にアルパカの生地で、ボタンは、水牛か貝を指定しました。

 東映の高倉健に仁義の切り方や着こなしを教えたのは、

『俺達だったんだよ』と云っていました。

又、大泉学園の東映撮影所で、

スター達の用心棒もしていたと、話していました。

義兄が否定しなかったので、本当だろうと思います。

西武池袋線の富士見台に住んでいたのに、

東映撮影所に行った事がありません、惜しい事をしました。

高倉 健と池部 良


義兄の若い衆の一人

2021-10-15 14:45:23 | Weblog

 『お金を貯めるのは、大変だよ~。最初は¥500万円貯める事からだね。

¥500万は、案外早く貯まると思うけど、そこからが大変だ!

¥1000万を、貯めるのは難しい。1000万円貯められたら、たいしたもんだ』

 『は~、そうですか』

 『あると思うと使っちゃうし、直ぐに貯まると思うと使っちゃうし、

¥1000万円がヤマだな』この言葉は、今でも覚えています。

 この若い衆は、近くに住んでいましたから、

毎日顔を出していましたし、池袋のサルビアにも一緒に行っていました。

 名前は忘れましたが、顔は覚えています。

水戸の生まれだと話していて、剣道が得意だと云っていました。

 義兄の他の若い衆は、水戸ッポと呼び、義兄は、ヒロシと呼んでいました。

顔は浅黒く、髪は刈上げで、7:3に分けていました。


本当に出来るのだろうか?

2021-10-12 16:16:02 | Weblog

 『この仕事用のお金¥100万円は、お前にやるから親から借りなくても良い。

この仕事をやれる男を探していた。お金が入ると酒や女に使う奴が殆んどだ。

その点、お前はお金に固いとみたから、話した』

  『そこまで言って貰えるからには、一生懸命やるので、教えて下さい』

と云う事で始めました。

 始めましたと、云った所で、何も分かりません。

 

義兄も誰かに教えて貰って始め、時間の経過で慣れたと云う感じでした。

義兄は、悪い事をしていないと云う信念を持っていました。

 今現在、義兄がやっている仕事に付いて、

本屋に行き、やり方が書かれている本を探し、何冊か読みました。

 そして、頭で理解する事から入り、義兄が実践している事を聴き直しました。

義兄のやり方を、本に書かれているようなやり方、言い方に直し、

お客さん一人一人を紹介して貰い、新しく始めますと挨拶して回りました。

 

 

 


義兄からの提案

2021-10-11 15:33:59 | Weblog

 『今、俺がやっている仕事を、引き継げ。1~全部教える!

お前がここに来てから、行動をジッと見ていた。

無駄な事にお金を使わないし、必要な事にはお金を使う、

お金にケジメが有るから、お金を任せても大丈夫だと思った』

 『え~、でも、無一文だよ』

 『この仕事のためのお金が100万円ある、これを全部、お前にやるからやってみろ!

後で返せなどとは、言わない』

『100万円、そんな大金見た事もないし、失敗したら返せないし・・・』

 『もし、ダメになったとしても、返せなどとは言わないから安心しろ』

『じゃ~、そのお金、母に借りるから、仕事を教えて下さい』

 

 

トヨタ クラウンが¥100万円でした。

 

’67~’68年頃、「白いクラウン・オーナー・DX」と云う、

4気筒の買い易いクラウンが出て、ブームを創りました。

確か、TV‐CMで¥88万円と騒いでいたと思います。

 

 向かい側に中学生位の娘さん一人の親子3人が住んでいました。

父親はこの白いオーナーDX.を購入し、

毎朝ニコニコ顔でこの車に乗り込み、出勤していました。

 日曜日には、親子3人でドライブに出かけるのを見ていました。

 ある日突然、状況が変わりました。

父親が胃ガンだと分かり、家全体が重い雰囲気に包まれました。

 その後、どうなったか分かりません。

 義兄が新しく家を買い、一緒に引っ越しましたので、

この家も3人家族も見掛ける事はありませんでした。

’67年~’73年頃の池袋、すごく懐かしい池袋

上の写真には、知っている人が写っている様な気がします。

自分自身が、歩いているかもしれません。