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アートプラス京めぐり

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京都市外も始めました 先ずは京都南部から

まち歩き左0824 琵琶湖疏水 水路閣

2018年07月02日 05時55分00秒 | まち歩き

 

 

南禅寺 境内に あるのが 驚きです

疏水事業は、京都府知事北垣国道の発意により、田辺朔朗工学博士を工事担当者として、明治18年に起工され、明治23年に竣工した。

 水路閣は、この疎水事業の一環として施行された水路橋で、延長93.17m、幅4.06m、水路幅2.42m、煉瓦造り、アーチ構造の優れたデザインを持ち、京都を代表する景観の1つとなっている。

また、ここから西500mにあるインクラインは、高低差のある蹴上の舟だまりと南禅寺の舟だまりを結ぶ傾斜地に上下2本のレールを敷き、艇架台により舟を運ぶ施設で、当時の舟運による交通事情がよくうかがえる。

いずれも、西欧技術が導入され間もない当時、日本人のみの手で設計、施工されたもので、土木技術史上、極めて貴重なものであり、昭和58年7月1日に「疎水運河のうち水路閣及びインクライン」として京都市指定史跡に指定された。

また、平成8年6月には、この水路閣、インクラインに加え、第1疎水の第1・第2・第3隧道の各出入口、第1竪抗、第2竪抗、明治6年に架設された日本初の鉄筋コンクリート橋(日ノ岡第11号橋)、明治37年架設の山ノ谷橋などが日本を代表する近代化遺産として国の史跡に指定された。

京都市

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寺院左0487 南禅院  

2018年07月01日 08時49分41秒 | 寺院

史蹟 及 名勝 南禅院庭園

亀山法皇が営まれた離宮禅林寺殿の上ノ宮にあたり、南禅寺発祥の地である。

法皇はうちつづく鎌倉幕府の処置にこころよからず思われ、正応2年(1289)9月7日、突然ここで落飾され、嘉元3年(1305)9月15日、嵯峨の亀山殿において崩じられるまで、ここを住居とされた。宝算57。陵は嵯峨の天龍寺にあるが、遺言によって分骨所を当院内に設けられた。母后藤原姞子(後嵯峨帝中宮)もまた当寺に入寺され、正応5年(1292)9月、崩御の後は当院背後の粟田山中に奉葬された。

現在の建物は応仁の兵火による焼失後、徳川綱吉の母桂昌院等の寄進により、元禄16年(1703)の再建であるが、法皇在世時をしのばせる住宅風の落ち着いた建物。堂内に安置する亀山法皇像(重文・鎌倉時代)は椅子に座る法体姿で、寄木造り、玉眼入り、写実性に富んでいる。またその傍には後宇多天皇に請われ、南禅寺第3世となった、来日僧、一山一寧の頂相が安置されている。また襖絵には狩野養朴(常信)り「龍図・梅竹図」、養朴の子、如川(周信)・随川(岑信)兄弟に筆になる山水花鳥図が描かれている。方丈の西と南にある庭園は、天龍寺庭園とともに京都における鎌倉時代庭園の双璧をなすもので、様式は池泉回遊式鑑賞庭園として造られている。

 

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