この地は,鎌倉中期に西園寺実氏(1194~1269)の邸宅の一つ
冷泉富小路殿が営まれ,閑院内裏焼失(1259)後,
後深草天皇(1243~1304)の皇居となり,
その後も上皇・天皇の御所として頻繁に使われた。
徳治元(1306)年火災後再建されないままであったが,
正和元(1312)年鎌倉幕府から造内裏費用が献上されて
平安宮内裏の殿舎構成に准じた里内裏が建設された。
これが二条富小路内裏で,
のち20年にわたり花園(1297~1348)・後醍醐(1288~1339)
光厳(1313~64)天皇の内裏となった。
しかし建武3(1336)年建武新政崩壊による戦乱で焼失した。
紫君子蘭
平成27年6月23日撮影