山城の 淀の真菰 たえだえに 乱れやとれる 夏の夜の月
この付近 淀城東曲輪あと
この付近は江戸時代、淀城の東曲輪のあたり、淀藩の重臣の屋敷がありました。現在地のあたりに大手門があったと思われます。慶応4年1月の鳥羽・伏見の戦いのおり、淀藩は、敗走する旧幕府軍の入城を拒みましたが、大手門で旧幕府軍が一時侵入する騒ぎがあり、守備をしていた田邊治之助(家老田邊権太夫の弟)が責任をとって自刃しました。記念碑が淀城公園内にあります。
関連記事 ➡ 石碑伏0144 田辺治之助 君記念碑
まち歩き 前回の記事 ➡ まち歩き伏0658 淀の見どころを知らせる店
五七五
名も知らず朝の挨拶交わす土手 /谷口
ことわざ
立て板の水
下の地図のユーザー地図 の囲みをクリックすると 付近の記事が探せます