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神社伏0119  與杼神社 (よどじんじゃ)

2017年12月01日 21時02分17秒 | 神社

 

 

豊玉姫命、高皇産霊神、速秋津姫命を祀り、古くは、淀姫社、又は水垂社とも呼ばれていた。社伝によれば、応和年間(961~964年)僧千観内供が、肥前国(佐賀県)河上村の淀大明神を勧請したことに始まると伝えられている。当初、水垂町に祀られ、桂川の水上運輸の守護神として人々から崇敬されていたが、明治33年(1900)に淀川改修工事のためにここに移された。今は、淀・納所・水垂・大下津各地区の産土神としてあがめられている。

境内には、本殿、拝殿、神輿庫ら始め、日大臣社、長姫社、豊丸社などの各社殿が建てられている。本殿は拝殿(重要文化財・江戸時代)とともに慶安2年(1649)の建造であったが、昭和50年(1975)の失火により、拝殿を除いて焼失した。今のは昭和55年(1980)の再建で、三間社、流造り、屋根は銅板葺き。以前の建物よりひと回り小さくなっている。当社の祭礼は「淀祭」といい、三基の神輿が巡行し、還幸の時は道が狭いので、行列を立て替えることができず、そのまま廻れ右をする。よって、「後が先になる淀祭」といわれる。

 

 郷社式内與杼神社

明治26年 9月 建立

淀君の宮のまはりやはこべ咲く /百華

椎降るや淀の城址に神祀る /遊湖

拝殿 (重要文化財)

 

拝殿 (重要文化財)

 

拝殿は、慶長12年(1607)に建造されたもので、国の重要文化財にしてされている。毎年11月に行われる例祭は、「淀祭」と呼ばれ

 

多くの人々で賑わう。 京都市

 

 

末社 左から 川上大明神  豊丸大明神  長姫弁財天

本殿

狛犬

 

寄進された燈籠

江戸時代の豪商ゆかりの大坂淀屋の高燈籠

燈籠に刻印の文字    

亭々欽寸輝  寶暦己卯仲春日

灼々傳千古  片岡正英・同正冬

大坂淀屋  神主河原崎出□□□

 江戸時代初めの豪商淀屋の初代岡本与三郎(淀屋常安)は、淀周辺の岡本荘の出身との説もあり、又この淀の地に家や田地も所有していたと記録に残っている。

しかし淀屋は幕府を凌ぐほどの財産を有したが、宝永2年(1705)5月に闕所(けっしょ)となり、財産没収と所払いの処分となった。寶暦己卯仲春日は宝暦9年(1759)のことで、この4年後の宝暦13年(1763)には、大坂の元の地(淀屋橋の南詰め一帯)に木綿問屋として「淀屋清兵衛」(後期淀屋)を公称して再興を果たした。淀屋ゆかりの者がこの高燈籠を寄進して再興を宣言したことを示したともいえる。

片岡正英・政冬の墓は、楠葉の久修園院にある

平成23年(2011) 與杼神社 淀屋研究会

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