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本能寺跡  織田信長 ここで 明智光秀に討たれる

2015年08月11日 11時22分32秒 | 石碑

 本能寺は,法華宗本門流の本山で応永22(1415)年妙本寺(現在の妙顕寺)の日隆が創建した。

創建時は油小路高辻にあって本応寺と号した。

永享5(1433)年四条坊門大宮に移り,本能寺と改めた。

天正10(1582)年6月2日の本能寺の変の時には,

北は六角,南は蛸薬師,東は西洞院,西は油小路に囲まれた寺域を持っていた。

のち豊臣秀吉(1536~98)の命により寺町御池に移転した。

この石標は本能寺の変当時の所在地を示すものである。

なお,この附近を元本能寺南町というのは,本能寺に因むものである

 

此附近   本能寺址

寄附者本能自彊会

大正四年十一月建之   京都市教育会(大正御大典と同じ年)

 

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