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神社向0105 向日神社

2017年06月26日 10時13分33秒 | 神社

 

向日丘陵南端部、乙訓地域を一望できる最良の地に鎮座する当社は、『延喜式』神明朝に記載された式内社で、「向神社」と称されていました。『向日神社略記』によれば、後に乙訓坐火雷神社を併祭して現在に至っています。後世、向神社を上ノ社と呼び五穀豊穣の神、火雷神社を下ノ社と呼び祈雨・鎮火の神として朝廷の崇敬の特に篤い神社であったことは古書に数多く見られます。神社の創建は、養老2年(718)に六人部氏が当地を賜ったことに始まるといわれます。

棟札によれば、本殿は、応永25年(1418)より4年の歳月をかけて建造されたもので、造営は、向日市域内外の7ケ村の共同事業として行ったことを記しています。本殿の建物は、三間社流造で、創建年代のわかる室町時代の代表的な神社建築として重要文化財に指定されています。現社殿は、透塀を囲んで本殿覆屋があり、幣殿・拝殿と連結して権現造のような一連の建物を呈しています。また、明治神宮本殿は、当本殿をモデルとして建立されたとも伝えられています。

現本殿は、東面して建っていますが、江戸時代の『山州名跡志』等には、南面した姿が描かれています。本殿の背後には、京都府下最古の前方後方墳・元稲荷古墳が所在しており、当神社の地が、古くから乙訓地域を治める人々の聖域であったことが伺われます。当社の神官六人部氏は、平安時代以来の由緒を伝える家系で、特に幕末にでた六人部是香は有名です。是香は、平田篤胤に師事し、多数の書を著した国学者で、倒幕運動の一翼を担っていました。京の情勢を窺がうに便利な地にあった六人部家には、坂本龍馬中岡慎太郎も立ち寄ったといわれます。祭礼~おいで祭り~

宝物

『日本書紀』神代紀下巻(重要文化財)

本殿棟札(重要文化財)

伝小野道風筆『額』

「向日神社政印」の銅印

天狗久作銘「飾太刀」

豊臣秀吉、徳川家康「朱印状」他

 

 

六人部氏

さざれ石

国歌に詠まれている「さざれ石」この石は学名石灰質角礫石と言う石灰岩が雨水に溶解しその石灰分を含んだ水が時には粘着力の強い液状となって地下にて小石を集結し次第に大きくなり、やがてそれが地上に出て国家に詠まれている如く千代に八千代に年を経てさざれ石巌となりて苔のむすと言う誠に目出度い石である。全国至る所の石灰質の山や谷に産す岩であるが、この石は岐阜県揖斐郡春日村の山中にあったもので集結過程の状態がこの石を一見して知ることが出来、団結と平和繁栄と長寿を象徴した石であります。向日神社

 

説明板より

普賢象

普賢象は水上勉の小説「櫻森」に登場する桜です。『普賢象は弥吉の好きな桜の1つで、これも竹部からの知恵だったが、上京区の千本閻魔堂にある1本は見事である。たいいち花が変わっている。下向きにうつむいて咲くのが特徴だが、数多い花弁の中から2つの変わり葉が出て、それが普賢菩薩の乗った象の目に似ているといわれる』弥吉は植木職人で櫻守の主人公、竹部はモデルとなった笹部新太郎で弥吉の雇い主です。

この桜に気付いたのは鎮守の森の整備を始めた平成16年の4月が終る頃でした。参道のこの場所が薄桃色の絨毯を敷いたようになりました。なぜここに普賢象があるのだろうと考え調べると、向日神社の北に笹部新太郎さんの桜の園がありました。

桜の園は昭和36年に名神高速道路の土を取るため壊されましたが、この普賢象はその時桜の園から移されたものだと思われます。

向日神社に桜を植えたのは90代の宮司六人部是香ですが、孝明天皇の家庭教師であり、幕末には王政復古の実現に奔走した国学者でもあります。

向日神社のようすがわかるもっとも古い絵図は、江戸時代中期に発行された「都名所図会」ですが、挿絵を見ると社殿の位置が現在と異なり南を向いています。1819年の地震で社殿が傷み是香が東向きに建て替え、その時参道も整備して両側に山桜を植えました。

1822年是香25歳の時ですが、それから10年後向日町の商家の日記に向日神社の花見のようすが記され、和歌を詠む会が催されており、桜の名所になっていたようです。

その桜は残っていませんが、2005年ごろまで樹齢100年は超えていると思われる山桜が5本、本殿の裏にありました。今、霞桜の大木が1本、本殿の北側に残っており、4月下旬花をつけます。 鎮守の森の会

説明板より

紅山桜

山桜の仲間で花が薄紅色であることからこの名前が付きました。山桜にくらべて花が大きいことからオオヤマザクラとも、北海道に多く自生していることからエゾヤマザクラともいわれています。自生しているのは本州の中部以北で関西では見かけません。同じような紅山桜が東に300mばかり下った祓所公園にもあります。

この桜に気付いたのは鎮守の森の整備を始めた平成16年4月のことです。なぜここに紅山桜があるのだろうと考え調べると、向日神社の北に笹部新太郎さんの桜の園がありました。桜の園は昭和36年に名神高速道路の土を取るために壊されましたが、この紅山桜はその時桜の園から移されたものだと思われます。鎮守の森の会

 

 

勝山稲荷社

 

拝殿

 

本殿

狛犬

 

 

御霊神社

 

勝山身代不動

 

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