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歌碑
使われなくなった 大きな釜が別の用途に使われています
南北朝の動乱を題材とする軍記物語「太平記」に「京中を足下に見下」ろせる峠という記述がある。延元元年(1336)、都を追われた後醍醐天皇方の兵が足利尊氏らとの洛中合戦にあたり、都へ攻め入るための北の要所として京見峠に陣をはったとある。北山・東山の諸峰を左右に見て、峠に立てばその名の通り、眼下に船山(「五山送り火」の「船形」が灯される)や釈迦谷山(鷹峯)を、遥か前方には京都市中が一望できる。現在は夜景もことのほか美しい。
標高446mのこの峠を通る道は現在府道31号線というなであるが、現在も京都市内から杉坂や周山街道へ抜ける車が利用している。
昔は京の七口のひとつ「長坂口」から若狭国など北国や丹波方面とを結び、室町時代には関所もおかれた古くからの要所である。また峠の大木を山の神としてまつる庶民信仰の重要な役割を果たしたことが伝えられる。右手には、京都の詩人、島岡剣石が辛夷の花の咲くころ、この峠で詠んだ歌の碑がある。
うつせみの寂しさ故におく山の
辛夷は白く鎮もいて咲く
京都市
北区 鷹峯 堂ノ庭町
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