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寺院伏0352  大栄寺  浄土宗  四面石仏  水嶋幸庵墓所

2017年03月19日 08時49分39秒 | 寺院

京都市伏見区東大黒町1032

松顔山と号する浄土宗の寺。創建由緒は不明。観音堂には、世に「清水型」とよばれる11面千手観音立像が安置されている。13重石塔の塔身四方に阿弥陀、薬師、釈迦、弥勒の四仏を厚肉彫りにきざんだ見事な四面石仏(鎌倉時代)があり、寺伝によると伏見城内より移したと伝わる

 

 

 

 

水嶋幸庵 水島幸庵は安永年間(1772~1781)、伏見奉行・小堀和泉守政方(まさみち)の侍医であった。ある日の事、政方の喉に魚の骨が刺さり無事に治療し褒美として竹の柱に瓦葺の重き屋根の庵を望みました。政方は嘲笑しながら「その様な不安定な庵を何故所望するのか?」と問いました。幸庵は「その不安定な庵こそ今のお奉行の政治である・・・」と涙ながらに諫言しましたが、妾のお芳が激怒し政方もその剣幕に押され幸庵に蟄居を命じました。幸庵は憤然とし天命元年(1781年)5月28日、自宅で自刃しました。奇しくも「天明の伏見義民一揆」が起こる少し前の出来事でした。実父・水島慶庵の墓所に合葬されましたが、現在は無縁墓となっているそうです。門前に水島幸庵顕彰碑が建てられています。

 

松顔山と号する浄土宗の寺。創建由緒は不明。観音堂には、世に「清水型」とよばれる11面千手観音立像が安置されている。13重石塔の塔身四方に阿弥陀、薬師、釈迦、弥勒の四仏を厚肉彫りにきざんだ見事な四面石仏(鎌倉時代)があり、寺伝によると伏見城内より移したと伝わる。

観音堂

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寺院 前回の記事 ➡  寺院伏0351  栄真寺  浄土真宗

 

五七五

 

メシまだか3回言って日が終わる /地方人

 

ことわざ

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