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大福寺  大福帳 梅田雲浜 寓居

2015年06月30日 10時21分17秒 | 寺院

 

 

本尊は菩提(ほてい)薬師    

七福神布袋尊   ここの町名  布袋屋町   

大福帳の起源か 宝印を押してもらいます

 

 京都十二薬師霊場  第十番

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天明の大火で炎上

吉田松陰・橋本左内・頼三樹三郎と共に捕らわれる

 

 

駒札の説明

初め推古天皇の御代大和国宮田郷に建立され室町時代の初めに京都に移されたという。

正式には、瑠璃光山利生院大福寺天台宗の寺で朝家の尊信極めて篤かったが、

天明年間に炎上して今は僅かにそのおもかげをとどめるばかりである。

 

本尊菩提薬師は聖徳太子の作といい、京都12薬師の1つに数えられる。

 

また京都七福神第7番として布袋尊をまつる。

毎年正月には、商家の大福帳に宝印を授与する習わしがある。

 

境内には幕末勤王の志士 梅田雲濱の遺蹟がある。

雲濱は若狭の人でつとに尊王の志を抱き京に出て同志と交え国事に奔走したが、

安政の大獄に吉田松陰橋本左内頼三樹三郎と共に捕えられた 

この旧跡は雲濱が仮寓して妻女を迎えたところです。

 

梅田雲浜の仮寓居 ここで妻女を迎える 

妻は師 上原立斎の娘 信子

木屋町二条、高雄、一乗寺、などを転々

寺町四条下ル、三条東洞院西入ル、等

最後は烏丸御池上ルが最後の住居

安政の大獄 捕らわれの第1号となった

江戸に送られ 獄中で病死した

墓は京都 東山五条の安祥院 信子の墓とともにある

 

 梅田雲浜

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