山脇東洋(1705~62)は,山脇玄修(1654~1727)に医学を学び,
その養子となった。
六角大宮にあった六角牢獄で宝暦4(1754)年,男の刑死人の解剖を行い,
実地について人体構造を観察した。日本最初の解剖だった
著書にこの時の解剖記録『臓志』がある。
解剖された刑死人の供養碑が,誓願寺の墓地に建てられた。
この石標はその供養碑の所在を示すものである。
なお,現在の供養碑は複製で,原碑は京都大学総合博物館に寄附された
ここは、請願寺墓地の入口
山脇東洋宝永2年(1705年) 丹波・亀山の医師清水東軒の三男として生まれた
学才を買われ、京の医師 山脇玄修の養子となる
当時は死体の損傷を極度に忌避するのは日本人の生まれながらの感情であり、
古来から律令や不文律で禁じられてきた
それまで、カワウソの解剖で教えられてきたが東洋は満足しなかった
京都所司代に解剖許可願いを出し
宝暦4年(1754年) 東洋49歳の時日本最初の人体解剖を行った
場所は六角獄舎
解剖に同席した 小杉玄適は江戸に行き杉田玄白に伝えた
「解体新書」が出るのはそれから17年後になる
著書は「蔵志」 「養寿院医則」 など
宝暦12年(1762年)死去
墓は深草の真宗院、本山の新京極の誓願寺にもある
昭和45年3月 京都市
山脇東洋 まとめ ➡ 人物007 山脇東洋
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川柳
お迎えは どこから来るのと 孫が聞く /眞鍋
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