勝林院
魚山と号する天台宗の寺院。円仁(慈覚大師)が唐から持ち帰り、比叡山に伝承した法儀声明の修練道場として、
弟子の寂源が長和2年(1013)に創建し、後に天台声明の根本道場となった。
声明とは、インドで始まったバラモンの学問の一つであるが、
日本では仏を讃える歌謡や経を読む音律として広がり、仏教のほか民謡などの日本音楽にも大きな影響を及ぼした。
文治2年(1186)に、天台宗の顕真が浄土宗祖の法然を招き、
専修念仏について論議した「大原問答」が行われた所でもある。
伝説では、その際に、本尊の阿弥陀如来が手から光明を放って念仏の衆生済度の証拠を示したといわれ、
本尊は「証拠の阿弥陀」と呼ばれた。
本尊を安置する本堂は、鐘楼とともに、京都市の有形文化財に、
また、創建当時の梵鐘と境内東側の石造宝篋印塔は、国の重要文化財に指定されている。
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