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神社西0153 首塚大明神

2019年01月05日 10時09分16秒 | 神社

 

 

 

皇紀2600年 と記されています

昭和59年10月11日  宗教法人認可記念  号標


鳥居  昭和61年3月 建立

 

 

 

 平安時代初期(800年頃)丹波の国大江山に本拠を構えた酒呑童子が、京の都へ出て金銀財宝や婦女子をかどわかすなど、悪行の数々を行うので人々の心に大きな不安を与えていた。天子(天皇)は源頼光等四天王に命じ酒呑童子とその一族を征伐するよう命じられた。源頼光等は大江山の千丈ヶ嶽に分け入り苦心の後、酒呑童子とその一族を征伐し酒呑童子の首級を証拠に京の都へ帰る途中の老い坂で休憩したが、道端の子安の地蔵尊が「鬼の首のような不浄なものは天子様のおられる都へ持ち行くことはならん」と云われたが相撲の国の足柄山で、熊と相撲を取ったという力持ちの坂田の金時が証拠の品だから都へ持って行くと言って酒呑童子の首を持ち上げようと力んだだここまで持って帰って来た首が急に持ち上がらなくなった。そこで一行は止む得ず、この場所に首を埋めて首塚をつくったとつたえられている。酒呑童子が源頼光に首切られるときも今までの罪を悔い、これからは首から上に病を持つ人々を助けたい と言い残したと伝えられて 首塚大明神は首から上に病をもつ人々を助けたい と言い残したとつたへられてある。首塚大明神は首より上の病気に霊験があらあせたかである。

 雷が落ちて 火災になってしまった。中だけ焼けている。

 

 

毎年4月15日に例祭が行われる。

ここは京都市西京区だが、隣接する亀岡市篠町王子地区の氏子が社の管理や掃除を続けておられるとのこと。

 

 

 

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