アートプラス京めぐり

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まち歩き下1501 京の通り・柳馬場通 NO34 六角通

2021年02月05日 17時52分13秒 | まち歩き

2019年10月30日 撮影  北方向を見る

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まち歩き下1500 京の通り・柳馬場通 NO33 蔵ではなさそう

2021年02月05日 11時56分19秒 | まち歩き

通りより 東側を見る

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まち歩き下1499 京の通り・柳馬場通 NO32 店・京団扇

2021年02月05日 06時38分42秒 | まち歩き

ホームページより

阿以波の歴史は、世は泰平を謳歌し人は華麗絢爛にはしった元禄二年(1689年)、

初代長兵衛(近江屋長兵衛)が近江国高島の“あいば”より京に出て店を開いた時に始まります。

以来三百年の永きに亘り、業界の長老として、禁裏御用を中心として製作に励み、

明治以後は新しい発想で様々なうちわを世に送り業界を牽引してきました。

当家は七代目長兵衛の頃、大徳寺管長松雲老師の命名で江月堂「阿以波」を名乗りました。

その名は、静と動の禅語「江月照し、松風吹く」に由来します。

それまで多くの絵師を抱え版画の図書出版も行ってきた当家は七代目をもって団扇専門店となり、

その時期に初めて、当家の擁する印刷技術で京うちわの量産が行われたと伝えられています。

 

 

 

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