アートプラス京めぐり

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京都市外も始めました 先ずは京都南部から

道標八幡0225  山崎等  三宅石板碑

2019年06月15日 18時55分20秒 | 道標

 

 

 

是山崎名勝古蹟至

河湯離宮跡

 離宮八幡宮 六丁

 豊太閤公陣営

 千利休茗席   妙喜庵  六丁

打出ノ宮寶寺  十丁

 

山崎聖天

 妙音十観音寺  十二丁

元治役

 真木和泉守外十六列士墓  十五丁

赤松圓心築城

 天王山古城跡  十五丁

豊臣秀吉公

 旗立松  十三丁

後鳥羽天皇離宮

官幣中社水無瀬宮  十丁

楠公父子訣別之所

 櫻井之驛  十五丁

道標 前回の記事  ⇒ 道標八幡0224  柳谷 わたし場 

関連記事 ⇒  三宅安兵衛の道標

       49 八幡  地区 記事検索一覧

 

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寺院八幡0592 西遊寺 浄土宗

2019年06月15日 12時15分46秒 | 寺院

 

 

 

 

西遊寺

当山は、普現山 聖善院 西遊寺と称し、行基大僧正ゆかりの橋本寺を起源とする。開山上人は感譽上人で、小田原城主北条氏康の次男である。元亀元年(1570)氏康公の命により上洛して此の地が法然上人八幡宮参篭の由緒地橋本寺に留まり天正元年奥橋本山から現在の地に当山を移し創建した。当山二世欣誉上人は師の西国遊歴の縁起により寺号を西遊寺と改められた。三世救誉上人の代になって、慶長55月、徳川家康より朱印五石三斗を給わり法灯盛んとなって別格本山として末寺9ケ寺を擁するようになった。秀吉公が天王山で明智光秀と戦った山崎合戦の折この地に立ち寄りお茶を所望したところ湯ばかり沢山出したので湯沢山茶久連寺といったと伝えられている。

八幡市指定文化財

木造天部形立像(伝帝釈天立像)

平安時代(10世紀前半)の作 像高148cm 

本像は、西遊寺観音堂に客仏として安置されているが、もと男山の地主神社であった狩尾社に付属する帝釈天堂に伝来し、明治11(1879)神仏分離令に伴う廃仏毀釈によって西遊寺に移坐された。

 

寺院 前回の記事 ⇒ 寺院八幡0591 正満寺 浄土真宗本願寺派

関連記事 ⇒ 49 八幡  地区 記事検索一覧

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まち歩き八幡1044 防火用水桶 

2019年06月15日 07時15分16秒 | まち歩き

 

逆さまに置かれた用水桶

まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き八幡1043 二宮忠八 飛行器工作所跡

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       まち歩き南0725 防火用水漕  南区で

       壊さずに残っていました  コンクリート製の防火用水

       

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