アートプラス京めぐり

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京都市外も始めました 先ずは京都南部から

石碑西0051  灌田記念碑・大蛇ケ池

2016年07月09日 17時36分25秒 | 石碑

 

 

 

 

灌田記念碑・大蛇ケ池

乙訓郡大原野村字石見上里区戸数百余農を以て専業とす古来水利便ならす灌漑たために寝食を忘れしこと尠からす明治16年の大旱に當りてば殆と人力の極を盡して而も秋實を見ること能はす徒らに天を仰いて痛恨せるのみ爾後西巒の伐採は當區唯一の水源で枯渇せしめ加ふるに區内の丘陵は悉く孟宗畑と化し保水力を失ひくるを以て旱害を蒙ること更に甚し地主相會し潴水池開墾の議を決し耕地整理法に基き組合長以下役員15名を選任し百難を排け大正6年起工約2年にして竣工し大蛇ケ池と命名す水量実に400萬立法尺灌漑60町歩余に及ふ此に至りて旱害初めて去り區民其の業に安んす今・に小作團員相謀り碑ふを建て以て此洪徳を記念せんとし余に撰文を嘱す余其の美擧を賛し書して以て之を與ふと爾云

京都府乙訓郡長従七位福田増藏撰  能村仲襄書

 

反対側には 多くの人の名が記されています

 

石碑 前回の記事  ➡ 石碑西0050  忠魂碑  西迎寺門前にありました  


道標西0049  淳和天皇御陵  大原野村道路元標

2016年07月09日 07時20分32秒 | 道標

 

 

かなり深く 埋め込まれています

大阪皇陵巡拝會

 

大原野村  道路元標

関連記事 道路元標  ➡  関連0005  道路元標

     

道標 前回の記事  ➡  道標西0048  長峰・善峰   大原野寺  


神社西0057  大歳神社

2016年07月09日 07時12分22秒 | 神社

 

 

扁額

元禄14年(1701)2月

 

・・・大明神

 

社号標  大歳神社

 

大正3年10月建立

 

 

 

大歳神社

当社は養老2年2月の創建と伝える。延喜式に、乙訓郡大歳神で、とあり、式内大社である。祭神に大歳神で、相殿に石作神・豊玉姫命を祀っている。大歳神は農耕生産の神、ひいては方除け・祈雨にも霊験ありとして知られ当地方の守護神である。

石作神は大日本史巻之二に、石作神社・・と在りとあって、火明命の子孫で代々石棺などをつくっていた古代士族の祖神である。

豊玉姫命は・・・・不合尊の御母に当たる。境内の杜を栢の森と称し、当社を栢の社とも言って、古来和歌にも詠まれている。例祭は10月21日で、江戸中期より引き続き金剛流家元によって当日能が奉納されている。飛地境内社には、石作町鎮座早尾神社、出灰町鎮座住吉神社がある。

 

由緒

祭神は大歳神で養老2年2月の創建と云う。延喜式神名帳に記され、山城国鎮座社の内大社に列せられていた。この境内は栢の森と称し社を栢の社とも云ふ。農耕生産の神、ひいては方除祈雨にも霊験ありと知られ当地方の守護神である。相殿に石作神と豊玉姫命を祀ってある。石作神は代々石棺などを造っていた豪族の祖神であり。火明命の後裔である。垂仁天皇の后、日葉昨姫命おかくれの時、石棺を献上し、石作大連公の姓を賜った。石作連を祀った石作神社は延喜式神名帳に記され、貞観元年従五位下に昇格している。大日本史に石作社今灰方村大歳神社内にありと記され、石作氏衰微後、当社に合祀されたものである。石作神は昭和49年6月愛知県岡崎市に建立の石工団地神社に分霊す、豊玉姫命は海人であり彦火火出見命の后である。例祭は10月21日、氏子祭は10月第3日曜に行い、江戸中期より引き続き金剛流家元による奉納舞あり。

大歳神社系

  天照大神

  素戔嗚尊---  ---- 大歳神(当社奉祀) 向日神(向日神社奉祀)

  太市比売---- ------- 宇賀之御霊神(稲荷大社奉祀) 

 

第1鳥居

昭和26年4月建立

 

第2鳥居

明治34年・・・

 

本殿

 

手水舎

 

本殿

 

 

 

 

 

 

 

 

明治34年12月

 

前回の神社 記事  ➡ 神社西0056  大原野の八幡宮  


寺院西0131  心光院  西山浄土宗

2016年07月09日 06時59分08秒 | 寺院

 寺に入るまでの小川に架かる橋に何か書かれていました

 

明治43年(1910) 3月 と記されています

 

 

 

 

 

 

薬師如来堂

寺院 前回の記事  ➡  寺院西0130  福来寺  西山浄土宗