記録映画を撮り続けている羽田澄子監督の『嗚呼 満蒙開拓団』を、先月上京した時に岩波ホールで上映していたので、見てきた。
私はこの映画で、いろいろなことを初めて知った。
満州国建設から満蒙開拓団派遣、ソ連軍の侵攻、敗戦へと向かった歴史の流れで、満州奥地の開拓村から悲惨な逃避行の末にたどり着いた方正という地で、亡くなった数千人の日本人がいたこと。
戦後年月を経て、山間に散乱している遺骨の山を見た残留婦人、松田ちゑさんが「この遺骨をお墓に」と願い出て、その時の周恩来総理の判断で「方正地区日本人公墓」が建てられていること。
羽田澄子監督は、この方正県への墓参りツアーに参加しながらこの映画を撮り始め、敗戦後の満州奥地で起こった出来事を知っている人々を訪ね歩き、貴重なインタビューをたくさん収録している。
89歳の松田ちゑさんの都内のアパートを訪ねて、日本語がわからないちゑさんの息子にインダビューした時、日中バイリンガルに育った若々しい孫が、流ちょうに通訳したのが印象的だった。
私はこの映画で、いろいろなことを初めて知った。
満州国建設から満蒙開拓団派遣、ソ連軍の侵攻、敗戦へと向かった歴史の流れで、満州奥地の開拓村から悲惨な逃避行の末にたどり着いた方正という地で、亡くなった数千人の日本人がいたこと。
戦後年月を経て、山間に散乱している遺骨の山を見た残留婦人、松田ちゑさんが「この遺骨をお墓に」と願い出て、その時の周恩来総理の判断で「方正地区日本人公墓」が建てられていること。
羽田澄子監督は、この方正県への墓参りツアーに参加しながらこの映画を撮り始め、敗戦後の満州奥地で起こった出来事を知っている人々を訪ね歩き、貴重なインタビューをたくさん収録している。
89歳の松田ちゑさんの都内のアパートを訪ねて、日本語がわからないちゑさんの息子にインダビューした時、日中バイリンガルに育った若々しい孫が、流ちょうに通訳したのが印象的だった。