SFに着いてホテルでTVをつけたら丁度ニュースを放送中、日本時間では6/3のこと
だがここでの放送日時は記憶していない。画面に映し出されたものは火砕流が山肌、
谷底を駆け巡り、それを遠くから撮影したものだ。その災害に対応していた地元の消
防団の法被姿。災害の内容を早口で捲し立てているが、『火砕流』『火山噴火』などの
英単語すら知らないから断片的な解釈も出来なかった。映像から火山が噴火してそれ
に伴う災害があったことだけだった。帰国後に災害の状況を知り大災害だったことを知
る。この事故から10年後、私たちはその火砕流で埋まってしまった家屋が保存されてい
る島原の災害現場を訪れた。この状況を見ると、よくぞ今のような姿に復興できたもの
だと感心せざるを得ないほどの惨状だ。
規模の大きな自然災害であっても人々は再び立ち上がることはできる。しかし福島原発
のような人災は再興の道さえ閉ざしてしまう性質の悪いものである。松江から下関、雲仙、
阿蘇、別府と車で北九州を回る旅のコースに普賢岳の現場を組み入れた。
島原出身の後輩が帰省した際、水無川の石を拾って来てくれた。大きさの割には重量が
あるから火山性のもので、ただの石ではなく何か金属のような成分を含んでいるから重い
のだと思う。後輩曰く『車を止めて、河原に小走りで行き、怖いから石を拾い直ぐに引き返
した』以後、何度も海外旅行に出かけているが外国に滞在中、日本で大きな事故や災害
のニュースに出会ったことなく、普賢岳の災害ニュースは今でも忘れられない。
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