世は21世紀に向けて技術革新の波は大きくうねり戦後の混乱期、高度成長期すら
隔世の感がする。天領の街、大森は14世紀、大内氏に発見され幾多の争奪戦を繰
り返した後、徳川幕府が支配し最盛期には人口が20万人にもなった。藤田組が採
掘を終て、大正12年に閉山するまで銀の街として栄えた。今、その面影は残された
遺跡や寺の多さからしか推測することはできず、寂れた街並はどこにでもあるただ
の過疎の田舎街にしか見えない。
竜源寺間歩(りゅうげんじまぶ)は銀の採掘現場がそのままの形で残された場所で
江戸時代に人が掘った坑道だ。そこは聖山(ひじりやま)の裾野にあり、初めて遠征
した猪猟の舞台になった場所である。
朝、五時に家を出発したリーダーと私、以前この場所で猪の跡があったと言う案内
人の三人で一路、岩見を目指し西に向かう。今夜は湯里温泉に宿をとり夜に他の
2人と合流して明日は5人で猟をする予定だ。
太田市まで1時間半、さらに銀山まで1時間を犬、3匹とともに走り続けた。
案内人は山鳥専門で猪のことはほとんど分からないが、銀山で猟をした所、猪の食
み跡を見つけ有望だという話をしたので、この猟になった。現地に着くと二手に別れ
て跡を探す。私は1人で谷を歩き尾根に着いた。雪は30センチあり猪の跡を見つけ
れば、見切りをすることはできそうだが、初めての山なので様子が全く判らない。尾
根には古い足跡が幾つもあり、その内にリーダーか私が新しいものを拾うだろう。
『こちらは今の所なし、そちらは、どうぞ』リーダーと連絡を取る
『こちらは、跡を見つけた、見切り中こちらに移動して下さい』
『大きいやつかね』
『ウン、割といいやつだ』
別れた場所に戻りリーダーたちが向かった奥へ方に、彼らの足跡を拾いながら歩く。
ここは佐毘売山神社(さひめやま)の裏側になり道の一番高い所でリーダーと連れの人
が私の到着を待っていた。リーダーは独りで見切りを済ませ、地図を広げ、『今、ここ
にいて猪は多分この辺りになる。この下の小川に竹が生えた辺りにある通いで待って』
連れは私の上の方で待つことになった。待ち場につくとなるほど、如何にも猪の通りそ
うな場所だ、しかし山の斜面が急で猪が猛スピードで来たら当たらないかもしれないな、
と一抹の不安を覚える。勝負は15分ほどでクライマックスに達した。
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