家での看取り・・・祖母の息をティッシュでみた叔父

2015-02-01 15:13:20 | 看護師だった頃・看取り

                                                         

祖母が、逝ったのは、は92歳だった気がする。

 

明治の人らしく、芯がしっかりして、とてもきつく、野良猫などを追いかけたりしていた。

母は、そうとう苦労したらしいが、世の常で、孫にはとても優しかった。

今頃の季節には、朝、私の着るものを炬燵で温めてくれて、起きると着せてくれた。(甘えん坊でして(笑))

 

身体も丈夫で、田んぼや畑仕事にも、朝早くから遅くまで、精を出していた。

乳癌になったが、普段、身体が痛いだのと言ったことをあまり聞いたことがない。

 

最期は、膵臓か肝臓だったのか、細い管が入っていて、母と姉が、ガーゼなどを取り換えていた。

訪問看護などない時代で。

多分、もう治る見込みがなく、自宅にいたのだろう。

最期の時も、家の奥の6畳間に寝ていた。

 

私は、遠方におり、いよいよという時にやっと間に合った。

 

意識もなく、身体も痩せて、眼を閉じて、ただ寝ているようだった。

息も浅くなっていたが、急に「ふっ~」と大きな息をしたかと思うと、それきり。。

 

その時、叔父が、一枚ティッシを顔に持っていった。

「みんないいか、いいな」と言い、取り巻いている家族や親戚一同をぐるっと見回した。

息はしていないぞ、わかったか、皆よく見ておけ、というふうに。

それは、普通のおじさんだけれど、威厳に満ちた光景だった。

 

私が看護学生なのを知っていて、誰かが「脈見るか」と言った。

脈の触れない、手首の橈骨動脈のあたりをさわり、「いい」とかなんとか言った気もする。

 

在宅での看取りも望まれる今、考えると、明治の気骨のある祖母の最期は、それにふさわしかったと思う。

葬式でも、三男が「ばあばあは、最高だった」と言っていたのを記憶している。

 

夏休みの頃の炎天下、よく神社の境内の草取りをしていた。

一服に、神社で、真っ赤なかき氷を一緒に食べた。

私は、アイスを持っていくだけだったけど。。。