ある老兄弟への訪問看護

2014-12-29 18:58:10 | 看護師だった頃・看取り

                  

昭和59年か60年頃のこと、旭川のある診療所で働いていた時のことです。

 

ある年配の御兄弟(姉と弟)のところへ、看護師と事務で訪問していました。

まだ、訪問看護が制度化されていず、受診もままならず、いわば持ち出しの訪問でした。

スカスカ風の通るようなあばら家で、ご兄弟二人で、文字通り、身を寄せ合って暮らされていました。

 

看護師は、魔法瓶に入れたお湯とタオルを持参し、清拭をしていました。

こんなふうに暮らしている方がいる。

別世界のようなことに、とても驚きました。

 

しかも、私は、病院の経験だけで、診療所や訪問は初めて。

お宅へ行く前に、ある男性事務員の方が、「この人たちとの関係は、色々あってやっとここまで来た。くれぐれも、今のままで」みたいなことを言われました。

きっと、私が病院の経験を持ち出して、いろいろ余計なことをしないかと、ひやひやしていたのだと思います。(笑)

 

人は、どうしても、これがいいと自分の考えを押し付けたりしがちです。

良かれと思って、患者さんの生き方に、ずかずかと足を踏み入れることにもなったり。

一方、専門家として必要な大事なことを、充分理解できるように説明することも、なかなか難しいことです。

 

若い私は、そんなことはわかりませんでしたが、何か、毅然として生きているご兄弟だと感じました。

 

人に寄り添うことは、相手を認めるということ、相手を主語にして考えること。

患者さんや、時間をかけて信頼関係をつくってきた先輩に、多くのことを学び、感謝しています。


夢中になり過ぎない・・あたかも

2014-12-27 09:22:47 | 心理カウンセリング

子供の気持ちがわかるのと、自分が子供だというのは大きく違う。

夢中で本を読むのは、子供です。

子供の気持ちがわかるというのは、例えば、その子が喜びそうな本、少し大人になる本とか、色々な中からそっと目につくように置いておく感じでしょうか。

すると、子供は、「あっこれだ」とはしゃぐ。(笑)

 

何でも、あまりにも夢中になると、みえなくなってしまう。

おまけに、肩に力がはいりよけいに、固くなり身動きが取れない。

私は、子供の時があり、思いっきり迷惑をかけております。(笑)

 

クライアントさんのことがわかることは大事。でも「あたかも、クライアントさんになったように」と言われる。

「あたかも」・・・って、何???

クライアントさんを自分の中に感じながらも自分もいる。

夢中でもなく。。。

外側からでもなく。。

そんなかなあ。。。

 

今朝、ふっと思いついたことです。               

                                          


マザーテレサ と 徹子さん92歳までやりたい

2014-12-26 17:53:32 | 心のつぶやき

                                                  

幸福の反対は、絶望。

マザーテレサの言葉で、こんなのがあります。

「人から必要とされない時、人は大きな絶望を味わう。」

日々、忙しい、忙しいと言っていると、忙しさの有難さがわかりません。

もちろん、疲労困憊して、身体も心も自分でないような所までいくと、病気になりそうですが。

 

先日、「徹子の部屋」の黒柳徹子さんが番組の中で、本気で話されていました。

「あと10年やりたいと思っているの」

「そしたら私、92(歳)よ」

頭の回転や記憶力、ユーモアなどすごいですね。

芸能界を知り尽くしていて、出演の人も喜んでいることが感じられ、多くの視聴者も元気がでるようです。

目標とするお一人ですね。

 

大勢に影響を与える人もいますが、そうでなくても、どんな小さなことでも、人から必要とされることがある。

仕事を辞めても、病気になっても、誰かに何かできる。

病気になっても、施設に入っても、そこにいる人に何かできる。

挨拶だけでも、笑顔だけでも、そこにいることだけでも。

そういう気持ちを感じ合える、つながりがあるといいですね。

そうありたいものです。

 

年末は忙しいですが、少し一段落したら、そんなことも考えてみるのはどうでしょう。


今日は、クリスマスイブでしたの

2014-12-24 19:19:58 | 季節

                                                    

今日は、クリスマスイブ・・・どう過ごすか心待ちなのは、やっぱり恋人たちでしょうか。。。

大騒ぎは、大勢で過ごす人たちやファミリーかな。

 

先日、キリスト教の方々が運営する施設に泊まったら、信者の方が、楽しそうに、すごく古いイエスの像などを飾っていました。

歌の練習もしていて、信仰のある人々にとっては、とても厳かな夜ですね。

 

もしかして、始めはケーキ屋さん等々が仕掛けたのではないかと思ってしまいます。

戦後のアメリカが、牛や小麦粉が余って、日本の学校給食にしたみたいに。

 

それでも、心ざわつくのは、クリスマスの形を借りて、「思い」を交換するからかと思います。

 

写真は、手作りツリー。

先日の、子育て支援のクリスマス会で、子供たちが飾って楽しんだもの。

ある方が、松ポックリを2つ合わせて、ペイントしてくれました。

私は、作業所の人達が作った小さいオーナメントを飾りました。

 

浮かんでくるのは、この歌ですかね~。

                                       

 


不思議な時間…穏やかな看取り

2014-12-21 18:56:14 | 看護師だった頃・看取り

                     

80代位の男性で、温厚でいつも冗談を言うような方だったと思います。

大きな腫瘍が、お腹や顎に盛り上がって、こぶとり爺さんのようになって。

痛みがあまり強くなかったのが良かった。

亡くなった時は、病室には、奥さんと二人でした。

奥さんは、もう覚悟をされていました。

でも、子供さんが遠方から来るので、それまでは・・・と言われました。

 

医師は、ベットの上に上がり、アンビューマスク(口にマスクをあて、肺に空気を送る)を始めました。

私は、マスクを押えたり、医師と交代したり。

心臓マッサージは、したかどうか記憶にありません。

 

奥さんは、ベットの足元に腰をかけ、ご主人の思い出を話し始めました。

楽しい話も出て、思わず3人で笑ってしまうこともありました。

何とも、不思議な時間でした。

 

いいご夫婦だなとか、充分看病されたんだなとか思いました。

今思えば、そんなに単純ではないのでしょうが。

 

そんな風に最期を迎えること、誰かを見送ることは、なかなかできないことです。

お二人それぞれが、自分の人生をしっかり生きられたのだなあと思います。

そして、そんな場面にいられたことに感謝しています。