自分の殻って、意識しても、その存在を確認することだけでも
とても難しいと思う。
そうゆうことを考えたことのない人は特に。
理性が働いているうちは、かき消されちゃうのかな。
殻を取って最後に残るコアの部分は、おそらく本能に
近い部分だろうから。
こんなことを書いている自分も、自分の殻がどんなものなのか?
色はどうか?肌触りは?柔らかいのか、硬いのか?も
よくわかっていない。
でも、最近になって、自分の殻の存在が、以前よりはっきりと
意識できるようになってきた。。
きっかけは、極限に近い状態に、長い時間晒される経験をしたこと。
それは、極限の重たさを上げるウェイト・トレーニングや、高山への
山登りだ。
人間は、極限に近づいてくると、優先順位の低い荷物や負荷を徐々に
下ろしていく。
ウェイトや山登り中の、「こころ」も一緒だ。
その場で必要ない理性や感情などは、徐々に剥ぎ落とされていく。
だからといって、すぐに「殻」の存在が明確になるわけではないのだが、
なんどもそんな経験をしていると、剥ぎ落ちていくパターンやタイミングが
わかってきて、「殻」の存在はもちろん、それが何たるかが徐々に輪郭が
はっきりしてくる感じなんだと思う。
コーチングでいうところの「グレムリン」の扱いと似ているが、
「殻」の存在を意識できたこと自体でも、とても大きな一歩だと思う。
次は、それをどう扱うか。
「見えない」ものに向かって戦うのは難しいが、「見えて」しまえば、
戦い方は見つけやすい。
そんな感じだと思う。
でも私の場合は、もう少し輪郭をはっきりさせねばならないかな。^^;;
とても難しいと思う。
そうゆうことを考えたことのない人は特に。
理性が働いているうちは、かき消されちゃうのかな。
殻を取って最後に残るコアの部分は、おそらく本能に
近い部分だろうから。
こんなことを書いている自分も、自分の殻がどんなものなのか?
色はどうか?肌触りは?柔らかいのか、硬いのか?も
よくわかっていない。
でも、最近になって、自分の殻の存在が、以前よりはっきりと
意識できるようになってきた。。
きっかけは、極限に近い状態に、長い時間晒される経験をしたこと。
それは、極限の重たさを上げるウェイト・トレーニングや、高山への
山登りだ。
人間は、極限に近づいてくると、優先順位の低い荷物や負荷を徐々に
下ろしていく。
ウェイトや山登り中の、「こころ」も一緒だ。
その場で必要ない理性や感情などは、徐々に剥ぎ落とされていく。
だからといって、すぐに「殻」の存在が明確になるわけではないのだが、
なんどもそんな経験をしていると、剥ぎ落ちていくパターンやタイミングが
わかってきて、「殻」の存在はもちろん、それが何たるかが徐々に輪郭が
はっきりしてくる感じなんだと思う。
コーチングでいうところの「グレムリン」の扱いと似ているが、
「殻」の存在を意識できたこと自体でも、とても大きな一歩だと思う。
次は、それをどう扱うか。
「見えない」ものに向かって戦うのは難しいが、「見えて」しまえば、
戦い方は見つけやすい。
そんな感じだと思う。
でも私の場合は、もう少し輪郭をはっきりさせねばならないかな。^^;;