◆「そうゆう心境」に如何に持っていくか。如何に「そうゆう状態」に自らを陥らせるか。そして「あがる」「あげていく」。色々なやり方があるが、ソレがやっぱり自分流ビジョナリー。◆トコトンまで落ちればいい。底の底まで落ちていけ。底まで行けば、あがるしかないのだから。そして出来れば底の辛酸を舐めてくればいい。よい経験だ。トコトンまで落ちる。落ちまくる。そうゆう経験を出来る限りするのだ。受け入れて、噛み砕いて、あえて落ちていく。あたかもバンジーのように、スカイダイビングのようにだ。底の底まで落ちて行ったら、きっと、必然的なタイミングで、モリモリとエネルギーが満ちてくる。そしてここぞという時に急上昇だ。その必殺のタイミングを見逃さない。自分の感覚を研ぎ澄まし、自分の奥底から聞こえてくる声を逃さない。きっとそれでいい。そうすればわかる。それで行こう。そして、そんな繰り返しこそが生きている証と笑っていたい。決して厭世的意味合いでなく、生きるってことはそうゆうことじゃないのか。生きているから世の中のフレームワークがあるのか、フレームワークがあって、生かされているのか。答えるまでもない。そんな考えるまでもない馬鹿らしい問いはない。人は目先に目が行きがちだ。大局が見えなくなる。1日1日を生きている人間は、そんな生き物なのだ。しかし大事なことは決して見えやすいものではないということだ。ぼんやりしていては「見えて」こない。「見よう」としなければ、決して見えてこないのだ。それもしっかりと、ガッチリと「見よう」しなければ。「神のタイミング」を手に入れる。スポーツにもビジネスにも、人生にも言えること。それがなんとなくわかってきたら、ソコには「速さ」も「パワー」もいらない。絶妙なタイミングだけだ。ソレを探求する旅に出るとしたら、どんなに幸せだろう。いつかきっとそんな時を迎えたい。そう、絶妙なタイミングで。
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白米、納豆、サラダ
すし
おにぎり
サラダ、あさり、白米