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ニュースサイト宮崎信行の国会傍聴記

元日本経済新聞記者の政治ジャーナリスト宮崎信行が衆参両院と提出予定法案を網羅して書いています。

被災者生活支援法改正案が成立 自公民の協議で

2007年11月09日 13時25分32秒 | 第168臨時会(2007年9月~1月)法案の嵐作戦

 被災者生活再建支援法の改正案が成立しました。住宅の改築などへの支援対象・金額が充実します。(写真はasahi.com新潟県中越沖地震ニュース特集から)

【国会傍聴記 2007-11-9午前 参院本会議】

 大規模災害の被災者に朗報です。

 国会が「法律工場」として本格的に動き出した9日の参院本会議。

 高橋千秋さんら民主党・自民党・公明党の3会派議員が提出(出し直し)した「被災者生活支援法改正案」が議題になりました。
 委員長報告のあと、採決。

 「賛成232反対0」で法案は可決し、衆院に送られました。

 衆院も近く可決し、成立する運びです。

 全く同じ名前の別々の法案は与党が衆院に、野党が参院に提出するという奇妙な事例が続いていましたが、被災者の生活再建が第一という考えの下、衆参・与野党議員がねばり強い話し合いを続けていました。

【国会傍聴記 2007-11-9午後 衆院本会議】
 与野党はよくやりました。

 午前10時過ぎ 参院本会議で可決
       ↓衆院に送付
 午前11時過ぎ 衆院災害対策特別委員会で可決
       ↓衆院本会議に緊急上程
 午後 1時10分 衆院本会議で可決、成立

 陛下の御署名が入り次第、法律になります。

 鈴木恒夫衆院災害対策特別委員長も本会議で言っていましたが、ねじれ国会での一つの与野党協議の先例となりそうです。【追記おわり】

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ゲーツ国防長官が初来日「給油再開」を首相、防衛相に要望

2007年11月08日 23時34分22秒 | 第168臨時会(2007年9月~1月)法案の嵐作戦
(写真は日経)

○ゲーツ国防長官、福田首相に数々の注文

 アメリカのロバート・ゲーツさんが国防長官就任1年経って、ようやく日本を訪れました。福田首相、高村外相、石破防衛相と会談。インド洋での補給活動の再開を要請しました。

 国防長官は8日、福田首相と30分間会談。
 インド洋での海上自衛隊による給油活動の早期再開に強い期待感を示したのに対し、福田首相は「政府として早期再開に向け、最大限努力している」と説明しました。

 米国防長官の来日は、2003年11月のラムズフェルド長官(当時)以来約4年ぶりで、ゲーツ長官就任後は初めて。今回の極東訪問では、日本に先立って、北京を訪問しました。

 米軍の駐留経費を一部負担する思いやり予算を定める特別協定が2008年3月末で期限切れになります。

 日本政府は大幅な予算削減を求めているが、ゲーツさんは「据え置き」との方針を強調。「日本が同盟の継続に熱心かどうかを示す象徴的な意味がある」と重要性を指摘しました。

 日本の防衛費についても、「日本が自国や同盟の防衛義務を、国内総生産(GDP)1%枠=4兆円で果たすのは困難だ」と述べ、増額を求めた。

○石破・ゲーツ 日米防衛閣僚会談

 ゲーツさんは、町村官房長官、高村外相、石破防衛相とも相次ぎ会談した。

 石破防衛相は会談で、自衛隊の海外派遣の在り方を定める恒久法(一般法)の整備を目指す考えを伝えました。会談終了後に記者会見した防衛相は「政府、国会で取り組む課題だと申し上げた」と述べました。
 

給油早期再開に期待感 米国防長官、首相らと会談(朝日新聞) - goo ニュース

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小沢民主党再出発 二大政党制実現へ 【日はまた昇る】

2007年11月07日 22時35分14秒 | 第168臨時会(2007年9月~1月)法案の嵐作戦

(写真は「MSN産経」)

【民主党本部で小沢演説が聴けます。歴史の証人になるチャンス】

 300k
 http://asx.pod.tv/dpj/free/2007/20071107kondan_v300.asx
 56k
 http://asx.pod.tv/dpj/free/2007/20071107kondan_v56.asx

 「平成19年(2007年)11月7日」は歴史に残る日になりそうですね。
 政権交代可能な二大政党制が日本にも70年ぶりに復活しそうです。
 もちろん、普通選挙になってからは初めて。

 小沢民主党が再出発を切りました。
 目頭が熱くなった国民は私だけでないでしょう。

 映像は民主党本部のホームページで見られますから、仕事中にノートパソコンからご覧の方も、ネットカフェの画面の大きいPCにヘッドホンをかけてご覧の方もぜひぜひ小沢演説を聴いてください。

 ライジング・サン、日は又昇る。日本の復活が近づきました。

 有権者(主権者)諸賢、夜明けはもうすぐ、もう一我慢です。

(NHK「そのとき歴史は動いた」松平アナ風に)
 さあ、きょうのそのときは、平成19年11月7日、民主党の両院議員懇談会です。

 発言者:田名部両院議員総会長(司会)
         鳩山幹事長(経緯説明)
         小沢代表
     渡部恒三代議士(最長老)
     仙谷由人代議士(提案)
     笹木竜三代議士(質問)
     小沢代表(回答)
     田名部総会長(“団結ガンバロー!”)

【引用元:MSN産経ニュース】

http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/071107/stt0711071921008-n1.htm

 民主党の小沢一郎代表は7日午後、両院議員懇談会で「辞意」を撤回し、「国民にお詫(わ)びしたい」と謝罪した。冒頭発言の詳報は以下の通り。

 小沢一郎民主党代表「このたび、党首会談をめぐりまして、国民の皆様、民主党の支持者の皆さん、党員の皆さん、同僚議員の皆様に多大のご迷惑をおかけしたことを、まず、心よりお詫び申し上げます。そして、皆様のご叱正をいただき、2日間沈思黙考、この体にもう一度鞭(むち)を入れ、来るべき衆議院の総選挙に、私の政治生命のすべてを賭け、皆さんとともに全力で戦い抜き、必ず勝利する決意を致した次第でございます」(拍手)


「もう皆様ご承知の通り、いまだなお不器用で、口下手の東北気質のままでございます。従いまして、どうしても説明不足になります。繰り返しますと、それが今回の混乱の一因になったのではないかと思っております。当初から、国民の皆様、党員、同僚議員の皆様に私の思いを打ち明け、丁寧に説明をするべきではなかったかと考えを致しております」

 

「本日は、国民の皆さん、党員の皆さん、同僚の議員の皆さんに、私の思いを率直に語ろう、そう決心してこの場に参りました。私は14年前、自民党を離党して以来、ひたすら政権交代可能な二大政党制を確立して、日本に議会制民主主義を定着させ、そして国民のための政策を実現する仕組みを作り上げることを目指して参りました。それが、私のこの14年間の唯一の行動原理であり、今も、そして将来も、私の政治生活が終わる日まで、それが変わることはありません」


「であればこそ、次の総選挙で民主党政権を実現させなければ、本当に死んでも死に切れない。そういう思いで必死であります。幸い、民主党は先般7月の参議院選挙において、国民の皆様から参議院の第一党という、極めて重い地位を与えられましたが、実は私はその大勝利の瞬間から、私自身の中で2つの思いが高くなって参りました」

http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/071107/stt0711071925009-n1.htm

小沢一郎民主党代表「1つ目の思いは、次の衆議院総選挙では、何としても必ず勝利し、絶対に民主党政権を樹立しなければなりませんが、特に参議院選挙の勝利後の楽観的な考え方では勝利はおぼつかない、という危機感であります」


「民主党政権樹立のためには、前回の3倍もの議席を小選挙区で勝つことが絶対の条件であります。その厳しい現実を直視しないで、総選挙に勝利することはありえない。総選挙は参院選勝利の余勢を駆って、勢いだけで勝てるほど甘くはありません。正直に申し上げて、参議院選挙での全国遊説では、各地で多くの支持者から『日常活動をもっとやれ』という厳しいご指摘をいただいて参りました。私たちは自民党に負けない活動をし、そしてもっともっと、国民の皆さんの理解と支持を得て、強くならなければなりません。それが、総選挙勝利の最低条件だと思います」


「次の総選挙は私たち民主党にとって、また、私たちを支持していただいている多くの国民の皆さんに対し、敗北は許されない決戦だと思っております。その責任の重さと、党の現状への危機感を毎日感じて参りました。もちろん、次の総選挙はあらゆる意味で私にとって、最後の一戦であることはいうまでもありません」

 

「先ほど、申し上げたもう一つの思いは、衆議院では、依然として自民党が圧倒的多数を占めている、いわゆるねじれ国会において、私たちが参議院選挙でマニフェスト(選挙公約)で約束した国民の生活が第一、というこの政策を、どうやって実現するかということであります。参議院の同僚議員が一生懸命努力して法案を作り、そして、今日もその努力によって、幾多(いくた)の法案を可決して、衆議院に送られることになっておりますが、ねじれ国会では、年金改革、子育て支援、農業再生を始めとする民主党の主要政策を、このままでは成立させることが困難であります」


「それで、本当に国民の皆さんにお許しいただけるだろうか。内外の情勢が切迫している今日、次の総選挙に勝つまで、ねじれを解消するまで、お待ちいただきたいと言い続けられるのかどうか。実際に臨時国会が始まると、国会の責任の半分を担う民主党の代表として、その思いが日に日に深くなって参りました」

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/071107/plc0711071932012-n1.htm


小沢氏「この2つの課題を同時に解決する方法はないものだろうか。自民党との政策協議で(民主党の)『国民の生活が第一』の政策が取り入れられ、場合によっては政権の一翼を担えば、私たちの主要政策が今、実現ができる。また政権担当能力も目に見える形で国民に示すことができる。そして、日常活動を補うことができ、総選挙で勝つ可能性が高まるのではないか。そう考えました」


「福田総理から党首会談を呼びかけられ、政策協議の大前提である安全保障政策で、総理が最大限の譲歩を示し、最後に民主党との連立政権樹立を要請された時に、私は2つの課題を同時に解決する一つの方法かもしれない、そして、政策協議に応じたらどうかと考え、役員会で提案致しました」


「しかし、役員会では政策協議なんかに応じないで、あくまでも総選挙の勝利によって政策実現を目指すとの意見が大勢でありました。私はそれを受けてただちに福田総理に連立政権はもちろん、政策協議を受け入れることはできないと回答いたしました」


「今になって思うと、あの時(緊急)役員会で、もはや政策協議や連立という方法をとらず、今後日常活動を強化して、総選挙での必勝に向けて頑張ろう、私もその先頭に立つと、とりまとめればよかったのかな、と振り返って反省しております」


「しかし、その後、いろんな憶測や誤解によりまして、混乱が生じたことについて、けじめをつけなければいけないという私自身の思いが先に立ちまして、代表の辞職願を提出致しました」

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/071107/plc0711071935013-n1.htm

小沢氏「(辞職願提出も)また、不器用なやり方であったように思っております。しかし、それにもかかわらず、菅直人代表代行、輿石東代表代行(参院議員会長)、鳩山(由起夫)幹事長をはじめとして、執行部の方々、衆参両院の同僚議員の皆様が率先して、この混乱を収めてくださったことに対し、本当に心から感謝申し上げるものであります」


「みなさまのご厚意に対し、私も新たな覚悟をもって応えなければなりません。私にもう一度代表を続けさせていただき、最後の決戦に当たらせていただきたいと思います。どうか、皆様協力よろしくお願い致します。(拍手)本日を再スタートの第一歩とし、直ちに菅代表代行、輿石代表代行、鳩山幹事長らとともに『衆議院選挙対策本部』を立ち上げ、目前に迫っている総選挙に向け、衆参一体の協力態勢を確立致したいと思います」(拍手)

 

「1年半前、私は代表就任するに当たり、政権交代を実現するために、まず、私自身が変わらなければならないとお約束をしました。その約束を改めてかみしめ、総選挙に向けて死にものぐるいで戦う決意を致しております。みんなで、心を一つにして、総選挙の勝利と政権交代に向け頑張ろうではありませんか」(拍手)


「最後に国民の皆様に置かれましても、政権交代を実現して『国民の生活が第一』とのわれわれの政治を実行するために、今後とも一層のご理解とご支持を心からお願い申し上げまして、ごあいさつと致します。ありがとうございました」(拍手)

11/6昭和44年同期当選3人が小沢さん説得
11/6“雨降って地固まる” 小沢代表「恥晒すが頑張る」
11/6福田首相、“呼び出し”食らう 自民幹部に党首会談の経緯を釈明
11/5民主党、「小沢代表」継続を決定、連立なしが条件
11/4【小沢辞任の背景】「菅首相で北海道サミット」?
11/4小沢代表「私を政治的に抹殺を意図した中傷報道に抗議」声明発表
11/4News)小沢民主代表が辞意 大連立構想めぐる党内混乱にけじめ
11/3【解説】「特殊」維持の渡辺恒雄、礼儀正しい小沢一郎 党首会談の裏側
11/2民主党、連立の誘いを拒否 役員会1時間で結論
11/2首相、民主に連立要請 渡辺・読売会長の“指示”か?
10/30いったい何だったんだ? 福田・小沢党首会談1回目
10/29緊急党首会談、話し合い解散含む重大事項の可能性も
9/25福田内閣はナベツネ政権?

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【速報】「2ヶ月前に」渡邉恒雄から「大連立構想」小沢さん明かす

2007年11月07日 17時35分45秒 | 第168臨時会(2007年9月~1月)法案の嵐作戦

 民主党の小沢一郎代表は11月7日午後5時10分頃、大連立構想に関して「2ヶ月ほど前にさる人から呼び出された。断れる人ではないので、出向いたところ、『総理が民主党との連立構想を持っている』と提案を受けた」と語った。読売新聞のえんにゅう記者の質問に答えた。
 小沢さんは「さるひと」について「調べれば分かること」と答えた。
 この後産経新聞記者が「さるひとは渡邉恒雄(渡辺恒雄)読売新聞グループ本社会長兼主筆か?」とたずねたが、小沢さんは「実名は差し控えたい」としたが、否定はしなかった。


【関連エントリー】

11/4小沢代表「私を政治的に抹殺を意図した中傷報道に抗議」声明発表
11/3【解説】「特殊」維持の渡辺恒雄、礼儀正しい小沢一郎 党首会談の裏側
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【168臨時会】「党首会談」騒動収束、延長国会で法案成立の見通し

2007年11月07日 02時24分15秒 | 第168臨時会(2007年9月~1月)法案の嵐作戦
 第168臨時会(2007年9月10日召集)は安倍首相辞任→自民党総裁選で空白(3週間)→福田首相就任→本会議・委員会で質疑→衆参各委員会で法案審査→衆院で閣法(内閣提出法案)可決・衆院送付and参院で民主党提出法案可決・参院送付→2度の福田・小沢党首会談→小沢民主党代表が辞表を提出という大波乱の展開となりましたが、6日、小沢民主党代表の続投が決まり、ようやく法案成立の見通しがでてきました。

 なんともすさまじい展開です。

 気が付けば、会期末まで3日しか審議日程がありません(土曜日のぞく)。政府・与党はきょうあすにでも、会期の延長を決定するものと見られます。

 今後は最低賃金など労働関連法案、被災者生活支援法改正案、政治資金規正法改正案が与党・民主党の共同提出(出し直し)で審議→可決・成立の見通しです。

 一方で、参院では既に可決した年金流用禁止法案に続き、農水委の農業者戸別所得補償法案が可決し、衆院に送付されそうです。両法案は衆院で趣旨説明のうえ、審議未了で廃案になるか、与党の反対多数で否決されるのではないでしょうか。

 なお、福田内閣発足の経緯→謎の党首会談→「小沢辞任」の経緯に関して、「国会傍聴記by下町の太陽」は大新聞の報道が迷走する中、本質を見抜く“報道”をしてきたと自負しております。

 一連の経緯に関するエントリーをご紹介します。御考察の一助に。

11/6昭和44年同期当選3人が小沢さん説得
11/6“雨降って地固まる” 小沢代表「恥晒すが頑張る」
11/6福田首相、“呼び出し”食らう 自民幹部に党首会談の経緯を釈明
11/5民主党、「小沢代表」継続を決定、連立なしが条件
11/4【小沢辞任の背景】「菅首相で北海道サミット」?
11/4小沢代表「私を政治的に抹殺を意図した中傷報道に抗議」声明発表
11/4News)小沢民主代表が辞意 大連立構想めぐる党内混乱にけじめ
11/3【解説】「特殊」維持の渡辺恒雄、礼儀正しい小沢一郎 党首会談の裏側
11/2民主党、連立の誘いを拒否 役員会1時間で結論
11/2首相、民主に連立要請 渡辺・読売会長の“指示”か?
10/30いったい何だったんだ? 福田・小沢党首会談1回目
10/29緊急党首会談、話し合い解散含む重大事項の可能性も
9/25福田内閣はナベツネ政権?

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【ともだち】昭和44年当選同期3人が小沢さん説得【最後の団結】 

2007年11月07日 01時42分36秒 | 第168臨時会(2007年9月~1月)法案の嵐作戦

 羽田孜元首相は鳩山氏ら党幹部に電話で「小沢は話せばわかる人間なんだ」と強調した。(6日付産経1面)

 渡部恒三衆院議員は小沢氏の気質をこう解説する。「昔なら慰留など関係なく辞めるに違いない。彼のことが分からなくなったのは初めてかもしれない」(6日付産経第2社会面)

 石井一副代表「批判じゃない。憂えているんだ」(6日付朝日「時々刻々」)

  ◇

 3人は午後2時過ぎ、小沢さんが滞在するホテルを訪れました。(画像は「NHKニュース7」から)






 ◇

 小沢一郎さんが民主党代表にとどまった背景に、かつて小沢さんと袂を分かった昭和44年(1969年)初当選組3人の説得がありました。

 元総理の羽田孜さん(長野3区)、元衆議院副議長の渡部恒三さん(福島4区)、党副代表の石井一さん(参院全国比例)の3人です。

 木曜クラブ(田中派)→経世会(竹下派)と自民党主流派を歩いてきた小沢さんら4人は、金丸信自民党副総裁逮捕後の経世会会長に関して、政治改革を進める人事を主張。羽田大蔵大臣(当時)を代表に、新派閥「改革フォーラム21」(自民党羽田派)を立ち上げます。

 そして1993年夏、日本社会党委員長の山花貞雄さんらが提出した「宮沢内閣不信任案」に賛成し、自民党を離脱し、新生党を結党。総選挙で自民党を過半数割れに持ち込み、細川護煕政権を樹立します。

 「55年体制の崩壊」です。

 その後、4人は新進党を結党。政権交代可能な2大政党制をめざします。ちなみに恒三さんの政治学修士号取得論文は「英国に於ける二大政党制」だったそうで、二大政党制は恒三さんにとって「75年の夢」です。

 しかし小沢さんは1998年末、党首を務める新進党を自ら解党します。これと前後して、羽田、恒三、ピンの3氏は、小沢一郎から離れていきました。

 かいつまんでいうと、「3人は自由党に在籍したことがない」という共通点が一番分かりやすいでしょうか。

(次の段落は読み飛ばしていただいてけっこうです)
 羽田さんは96年末「太陽党」を結成し、先に離党。98年1月には新進党解党でさまよう議員たちと「民政党」に統合。ピンさんはここで袂を分かちます。2人は民主党に合流。合流時の代表は菅さん。恒三さんは衆院副議長に伴う党籍離脱(無所属)の間に新進党解党を迎えました。そのまま、無所属会派に所属しながら、2005年の前回総選挙公示とともに民主党入り。久しぶりに「44年組」がそろいました。

 ちなみに竹下派7奉行のうち、4人が改革フォーラム21にうつり、3人が自民党に残りました。
 自民党に残った橋本龍太郎、小渕恵三、梶山静六の3人は鬼籍には入られています。
 新生党に行った4人のうち奥田敬和さんは9年前、民主党両院議員総会長を最期に亡くなりました。
 竹下派7奉行のうち、小沢、羽田、恒三の3人は健在。また「7奉行」ではありませんでしたが、ピンさんは副代表、綿貫民輔元衆院議長は国民新党代表です。

 同期の桜。竹下派という権力の頂点を経験しながら、その後の13年間の野党生活に耐えた3人。民主党の若手に気を使いながら、二大政党に向けて再会した小沢さんを含む4人。
 僕は友情の素晴らしさを感じました。小沢さんもきっとそうでしょう。

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“雨降って地固まる” 小沢代表「恥晒すが頑張る」

2007年11月07日 01時01分10秒 | 第168臨時会(2007年9月~1月)法案の嵐作戦
(写真は原口一博ネクスト総務大臣=NHKニュース7)

 “雨降って地固まる”
 最終的には一番いいかたちになりました。

 おととい(4日)に突然発表した「小沢辞任」。

 きょう(6日)までに党幹部、全議員への説明→意見集約の結果、「慰留を求めるよう執行部に一任する」との党内コンセンサスを得て、小沢代表が続投します。総選挙に向けて一丸体制を確立できそうです。

 さて、小沢会見にあった「民主党には政権担当能力がない」との発言。
 これは「民主党には(次の総選挙で)衆院で241議席をとる能力がない」という意味だったと推し量ります。

 いうまでもなく、東北人の小沢さんは口べたです。

 次期総選挙での単独過半数or民主・社民・国民新での過半数が見えてこない状況。それが「政権担当能力がない」という意味だったと思います。

 実際、この混迷の間も、多くの国会で民主党は質問や答弁にあたっていました。

 参院農林水産委員会では法案提出者の平野達男さんが農業者戸別所得補償法案の答弁を続けていました。自民党の市川一朗さん(宮城選挙区)、佐藤昭郎さん(全国比例)らは「バラマキにしても大した金額ではない」(市川)「マニフェストとパンフレットに書いてあることが違う」(佐藤)などと支離滅裂な批判を繰り返しました。平野さんは数字に関して言質を取られないよう配慮していましたが、真摯な答弁に努め、「はぐらかし」も使っていました。

 そういう国会を取材しないで、大新聞も「参院17人を引き連れ、小沢新党か?」
 そんな新聞何の意味があるの?
 だって平野さんは岩手選出ですよ。小沢側近が国会で必死に法案の可決に向けて答弁している最中に離党しますか? いったい「17人」ってだれなの?ちゃんと計算した?

 読売、産経は6日付紙面に反省の色が見えました。
 が、そもそも今回の中曽根・ナベツネ・中川秀直らの“情報テロ”に加担した責任は重いです。

小沢氏、辞意撤回へ 「ぜひ、もう一度がんばりたい」(朝日新聞) - goo ニュース

(朝日新聞) 2007年11月6日(火)22:54

 辞職願を提出していた民主党の小沢代表は6日夜、鳩山由紀夫幹事長らに「もう一度がんばりたい」と語り、辞意を撤回する意向を伝えた。7日に両院議員懇談会に出席して経過を説明したうえで、記者会見して正式に表明する。党執行部は、福田首相との党首会談など一連の経緯に対する不満を封印し、分裂回避を最優先した。

 小沢氏としては「再信任」を受けた形だが、党首会談で連立協議をめざしたことへの不信感は容易には解消されそうもない。次の総選挙に向け、小沢氏がどこまで党内の求心力を回復できるかが当面の焦点となる。

 鳩山氏と菅直人代表代行、輿石東参院議員会長が6日、小沢氏と東京都内の個人事務所で会談。この日の国会議員の期別懇談会で出た意見の概要を伝え、「党の総意」として続投を促した。鳩山氏によると、小沢氏は「大変ご苦労かけた。感謝している。本当に恥をさらすようだが、皆さんの意向を受けてぜひ、もう一度がんばりたい」と応じたという。撤回にあたり双方とも条件はつけず、辞職願はその場で小沢氏に返却した。

11/3【解説】「特殊」維持の渡辺恒雄、礼儀正しい小沢一郎 党首会談の裏側
9/25福田内閣はナベツネ政権?

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福田首相、“呼び出し”食らう 自民幹部に党首会談の経緯を釈明

2007年11月07日 00時58分41秒 | 第168臨時会(2007年9月~1月)法案の嵐作戦
(写真は日本テレビNews24)

 福田康夫首相(自民党総裁)が“呼び出し”を食らいました。

 伊吹文明自民党幹事長の要請で、国会内で開かれた自民党役員連絡会に出席。役員会ならぬ役員連絡会に首相が出席するのは、私は少なくとも見たことも聞いたことはありません。

 あの「党首会談」を持ちかけたのは福田さんなのか、小沢さんなのか。
 いったいぜんたい何なのか、日本列島が「?」マークなんですから。
 どうすんの?

 福田さんは「あうんの呼吸」と答えました。

 総理、ちょっともう少し真面目にやってください。同大学同学部同窓生の下町の太陽もがく然。

 私は党首会談は渡辺恒雄・読売新聞グループ本社会長兼主筆の意見で福田さんが呼びかけたんだと思います。エビデンス(証拠)に関しては、正直持っていませんが、状況証拠からの推測です。

 自民党内に残ったしこり。「総理のお考え」に関する情報をここまで持たない執行部は、自民党52年間の歴史でも初めてでは?

 マスコミ界のドンと結託しての、国民だまし。もちろん、「だまし」に関しては福田首相というより側近が悪かった。中川秀直さん、大島理森さんらの罪は万死に値します。読売新聞も月曜日に大きく減紙(部数減=解約)したと思います。6日付朝刊では「大連立」社説が鳴りを潜め、一気にトーンが変わりました。ノーエビデンスですが。

 小沢会見の最中に僕は「ブルックナー交響曲第5番」を聞いていました。あのとき、急に目を閉じ、腕組みをして聞いた第3楽章の「逡巡」部分。
 自民党政権の晩鐘に似ている。そんな気がします。

党首会談、国会打開の契機に=福田首相が努力求める-自民役員連絡会 (時事通信) - goo ニュース

2007年11月6日(火)12:11

 福田康夫首相は6日午前、自民党役員連絡会に出席し、民主党との連立を協議した小沢一郎同党代表との先の党首会談に関し「これを1つの契機として国会運営の道筋を付けられればと願っているし、ぜひそのように努力してほしい」と述べ、民主党との話し合いによる国会運営の打開に努力するよう求めた。

【追記(投稿直後)】

 時事通信の配信です。福田首相はこの自民党役員連絡会に出席した6日の夜、渡辺恒雄さんらと会食しました。

2007/11/06-23:05 読売・渡辺氏と「機微な雑談」=福田首相(時事通信)
 福田康夫首相は6日夜、都内のレストランで、渡辺恒雄読売新聞グループ本社会長ら報道各社の首脳10数人と会食した。出席者の1人は会食後、会談内容について記者団に「機微に触れた雑談だった。首相は非常に余裕を感じさせた。小沢一郎民主党代表の去就を気にしている様子だった」と語った。
 渡辺氏は自民、民主両党の大連立に向け、首相と小沢氏の党首会談を仲介したとされる。ただ、当の渡辺氏は記者団の問い掛けに「この会は昔からオフレコが原則」と述べるにとどめた。【追記おわり】

11/3【解説】「特殊」維持の渡辺恒雄、礼儀正しい小沢一郎 党首会談の裏側
9/25福田内閣はナベツネ政権?

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【国会傍聴記】柳澤伯夫前厚労相がフェミニズム批判

2007年11月06日 22時43分37秒 | 第168臨時会(2007年9月~1月)法案の嵐作戦

【国会傍聴記2007-11-6衆院本会議】

 衆院本会議は、国会議員生活25年を迎えた3議員が河野議長から表彰されました。

 自民党の柳澤伯夫さん(静岡3区)、川崎二郎さん(三重1区)、民主党の藤井裕久さん(神奈川14区比例)が晴れ舞台。藤井さんは参院議員を含めての25周年。3人とも主要閣僚を務めました。モーニング姿の3人、おめでとうございます。

 柳澤さんが代表してあいさつ。
 この中で「私の今年1月の発言で多くの方を傷つけた」と厚労大臣としての「産む機械」発言を謝罪。議場は静まりかえりました。そして、「私はこの後、ポストモダンという考え方を知りました」と続けました。
 産む機械発言に関して、ポストモダンを知ったということは、おそらくフェミニズムによる過剰な攻撃を受けました、という意味ではないかと思います。
 ですから、この発言は暗に発言に対するフェミニズムへの批判ないしは戸惑いの表明したものと考えます。
 (手書きメモからの再現ですので、柳澤発言に興味がある方は衆院インターネットライブラリで動画をご覧になってください)

○「准介護福祉士」法案衆院通過→参院へ

 衆院本会議はこの後、「准介護福祉士」を新設する法案に関して、厚生労働委員会で可決した経緯を茂木敏光委員長が報告。起立採決の結果、賛成多数で可決しました。参院に送られます。
 准介護福祉士とは日比EPA(経済連携協定)に基づくフィリピン人「介護士」と、養成機関を卒業しながら国家試験に合格できなかった日本人に「介護士」への道を開きます。

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伊吹幹事長、自民単独過半数を勝敗ラインに設定

2007年11月06日 00時45分51秒 | 第45回衆院選(2009年8月)政権交代

(写真は共同=過去の配信)

 朝日新聞の報道から。

 自民党の伊吹幹事長(京都1区)は5日、都内で開かれた自民党衆院議員のパーティーで「(自民党の現有の)305議席は、いくらがんばったって減る」と述べた上で、「(過半数の)241議席より減ってしまったら、私の首が飛ぶ」と強調。自民党の選挙対策責任者として、第45回衆院議員総選挙の勝敗ラインを「自民党単独での過半数獲得」と設定しました。

 前回の総選挙(2005年9月11日)では自民党の小泉純一郎総裁(首相)は「自民党・公明党(自公)で240議席を下回れば、総理大臣をやめる」と語り、「自公での過半数」を勝敗ラインに設定していました。

 今回の伊吹発言は、「与党の過半数」=「自民党の過半数」ととらえたもので、公明党との連立政権に微妙なすき間があることを浮き彫りにしました。

議席、過半数割れ「私の首が飛ぶ」 自民・伊吹幹事長(朝日新聞) - goo ニュース

 自民党の伊吹文明幹事長は5日、東京都内で開かれた同党衆院議員のパーティーで、次期衆院選について「(現有の)305議席は、いくらがんばったって減る」と述べた。現有議席の維持は厳しい情勢にあることを、与党の指令役が認めた形だ。伊吹氏は「(過半数の)241議席より減ってしまったら、私の首が飛ぶ」とも指摘。自民党執行部が総選挙の責任を負う勝敗ラインは過半数との考えを示した。


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民主党、「小沢代表」継続を決定、連立なしが条件

2007年11月05日 21時18分10秒 | 第168臨時会(2007年9月~1月)法案の嵐作戦

(写真は東京・硫黄島を視察する小沢代表=左、菅代行)

 民主党は午後1時から隼町にある党本部で役員会を開き、小沢一郎代表を慰留することで一致しました。ただし、連立協議は認めず、自民党との政策協議はテロ対策など安全保障分野に限りという条件付きです。

 これに先立つ午前11時から、菅直人代表代行が小沢さんに代表にとどまるよう依頼。小沢さんは東京・深沢の自宅を出て、午前10時から都内のホテルで待機していました。ということは、何らかの対応を待っていたのかも知れません。

 午後1時からの臨時役員会は小沢さんが欠席して始まりました。

 役員会の後の副代表会議には、岡田克也副代表、前原誠司副代表らが記者団の問いかけに無言で出席しました。

 鳩山幹事長は夕方、小沢さんに直接会いました。
 小沢さんは「昨日、辞職願を出したばかりだ。心の整理に時間がかかる」と回答を保留しました。

 民主党議員は予定を繰り上げ上京し、議員会館などで議員同士が情報交換しました。
 新聞などで「小沢グループ」と表現されることも多い、小沢さんに近い若手でつくる「一新会」は昨日、幹事が都内で集まり、「一新会は派閥ではないので、誤解を招かぬよう、組織として統一的に動かない」と申し合わせ、会員に連絡しました。

 民主党内には、辞任を明言した以上、翻意はないとの見方の一方、続投の可能性を指摘する声もあります。

 ただ、民主党代表は5期連続で途中辞任しています。両院議員総会での代表選出が続き、「党員・サポーター」と「党籍のある地方議員」の声が代表選びに反映されない状態が長く続いています。

 私は、ここで多少時間をとってでも、代表選出集会(臨時党大会)を選んで、後継代表(ネクスト総理)を選んだ方が得策だと思います。
 この選挙に小沢さんが出馬するという手もあります。小沢さんが当選すれば「リセット」して、より強いリーダーシップで小沢民主党が総選挙に勝利して、二大政党による政権交代という「日本の夜明け」を迎えることができます。

 辞任表明後のネット上の世論は、二大政党の一翼として民主党に期待する声が多く聞かれます。民主党への支持はこれまで30~50歳代の、特に男性に多い傾向がありました。が、今回はそれ以上の年代や女性にも「民主党に期待(心配)する」声が多く聞かれました。

 雨降って地固まるを実践できるか、民主党の真価が試されています。

小沢氏は回答留保 鳩山氏ら辞任撤回要請(共同通信) - goo ニュース

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11/4【小沢辞任の背景】「菅首相で北海道サミット」?

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【7年前の国会】長妻vs中川官房長官【長妻さん初手柄】

2007年11月05日 06時44分00秒 | その他

 7年間の国会議事録を見ていたら“偶然”こんなの見付けてびっくり仰天!~~なんてね。
 まあ、議事録読んでみてください。そしてその日のうちに大きな動きがありましたから、新聞記事も付けときましたよ!
 それにしても、新聞って恐いですね!秀直(シューチョク)さん!

【国会傍聴記クラシック第150臨時会 2000-10-26 衆院内閣委員会】


中川秀直官房長官と民主党の長妻昭議員のバトル(要旨)


○長妻委員 時間もないので、手短に今の関連の質問をさせていただきます。 愛人だったと言われている中川さんの女性、その女性に中川さん、あなたが、覚せい剤の捜査が入る、こういうような情報を教えたことというのは御記憶にありますか

○中川国務大臣 そういう情報が私のところへ入るわけもございませんし、そしてまた委員は、私からすれば、十分裏づけもなく、そういう報道をなさること自身がまことに心外でございますけれども、それを根拠に公のこういう国会の場でお尋ねになるからには、本当にそういう事実関係が、私が当事者ではございませんから、だれか漏えいする人がいなければ私は聞くこともできないわけですから、そういうこともちゃんと裏づけをとってからお尋ねをいただきたい、このように思います。

○長妻委員 非常に強気な御答弁ですけれども、裏づけはきちんととっています。それはおいおいお話をいたします。 あなたとその愛人だったと言われている女性との電話での会話、これがテープにあります

 読ませてもらいますと、あなたが「ともかく、なにか、覚醒剤の関係で警察も動いているよ、多少」、女性が「私、でも、やってないです。だから来ても、全然関係ないです、私」、そして中川さん、あなたが「警視庁の保安課が動いているから。覚醒剤の動きが確かにあるよ。本当に……」、女性が「エッ、どう言うことですか」、中川さんが「いや、君の関係を内偵しとるちゅうんだよ」、女性が「そうですか。エッ、それはどこの情報ですか?」、あなたが「それは警察情報だよ」、女性が「それは先生が調べた情報ですか」、中川さん、あなたが「そう、私の方の情報だ」、女性が「私、でも絶対そういうことないですから」、こういうような話が、あなた、されているわけですよ。

 本当に決定的な証拠がこれだけ出ていながら、全くしらを切る。それは国民の皆さんが、これだけその疑惑が続いて、ずっと続いている。本当は、みずから中川さん本人が疑惑を晴らす説得力のある御説明をする、これが疑惑を打ち切る本当の最善のことなんですよ。我々にこういう疑惑を解明する仕事をさせないでください。あなたみずから疑惑を解明して、正直にお話しください。 今のような会話の事実はありますか。

○中川国務大臣 それは仙谷委員にも、また長妻委員にも、こんなことでこの国会の場でお尋ねいただくということ自身、私自身本当に大変に遺憾でありますし、国民の皆さんにも本当に遺憾であると思っておるわけです。 しかし、今お尋ねの点は、それはどういうテープなんですか。確かに私は、写真週刊誌でそういうやりとりがあるというのは読ませていただきました。私自身はそういう会話をした覚えはございません。記憶もございません。そしてまた、そのような情報を得てそういうことを伝えるなどという、そんなルートもなければ、そういうこともございません。

 もしそういうものが、どういうテープなのか。そしてまた、別段私は、そういうものは工作されているとか加工されているとか、そう決めつける根拠も何もございませんけれども、どういうものであるのか。そういうこともきちんとお示しをいただかないと、委員御自身がそれではどうやってそのテープを御入手なさったのか。そして、相手のおっしゃることが全部真実であるのか
 そういうこともきちっとおっしゃっていただかないと、実は正直言いまして、私自身の名誉にかかわることでもあるし、家族の名誉にかかわることでもございますから、こういう席で申し上げることではないのですが、最近号の出たことについても、正直言いまして全く心外でございまして、それについて私自身も調査をいたしました。

○長妻委員 何でこれだけ疑惑が晴れないのか。テープのお話がありました。このテープは九五年にとられたテープで、私は聞いているんですよ、テープを。この部分は、あなたとその愛人と言われている女性の会話、三日間会話はとられていますよ。その一日分、三十分間のテープ。確かに、どう考えてもあなたの声なんですよ、言い回しも含めて。ため息を何度もつかれております。さぞ大変だったんでしょう。これを私聞いておりまして、それで質問をこういうふうにしているわけです。

 九五年というと、あなたが首相補佐でいらっしゃったときだと思いますけれども、ある意味では権力で警察情報を得て、それをその捜査対象となっている人に漏らす。事実、その後、警察も動いているわけですよ。こういうような事実がある。あなたの水割りのグラスの氷の音も聞こえて、水割りを飲みながらお話しされているんですよ、その女性と。これでもまだしらを切られるんですか。

○中川国務大臣 何度も申し上げますけれども、あなたはそのテープをお聞きになったとおっしゃいますけれども、どこから入手されたテープなんでしょうか。そしてまた、それが私の声である、似ている、こうおっしゃいますけれども、その背景は何なんでしょうか。どうしてそんなテープがあるんでしょうか。また、私は、どこにいたか知りませんけれども、水割りなんかカタカタやって、そんなことなんてありません。家で水割りなんか飲んだこともありません。

 それから、さっきからもお話ししておりますとおり、どんな立場にあったって、そんな警察情報なんか入るものではありません。あるというならば、そういう根拠をお示しいただかなければなりません。 それからまた、先ほどから、そのテープはどなたがおとりになったか知りません。仮にそのテープが一方の方がおとりになったというのであるならば、ちゃんとそうおっしゃっていただきたいと思う。そして、あなたはどういうルートでそれを手に入れられたかもおっしゃっていただきたいと思います。そして、本当にそれが全く加工もない、つなぎもない、そういうテープであるのかどうかもちゃんとお調べいただきたい、このように思います。

○長妻委員 実際、中川さんと思われる人とこの女性と会話があったその二、三日後に……(発言する者あり)事実だよ。その二、三日後に、この電話の相手の女性に、警察の方が、家宅捜査が入った。捜査令状を持ってこの女性の自宅に家宅捜査が入った。私ども確認しております。この電話の録音された数日後にそういうことがあったというふうに女性も言われているわけです。(発言する者あり)私は、今週刊誌の話は全然していません。自分で聞いて、我々が確かめて質問しているわけです。週刊誌の話は言っていない。

 こういう事実があるわけですよ。余りに偶然、あなたがその女性と話して、その二、三日の後に捜査令状を持って家宅捜査に入っている、こういうようなことがあるわけでありますから。 委員長、いずれにしても、このテープをこの委員会に出せるようにお取り計らいをいただきたい。委員長にお願いします。

 そして、実際、いずれこのテープが出ると思いますけれども、中川さんが、御自身が聞かれて、もしあなたの声だということが証明された場合、科学的に証明された場合、そのときはどういう対応をされますか。

○佐藤静雄委員長 今テープの件は、理事会で協議をさせていただきます。 官房長官。

○中川国務大臣 たくさんたくさんお尋ねでございますから、一々全部はお答えできないかもしれませんが、そういうような捜査が行われたなどということも私は存じません。また、そういうことは警察当局にお聞きをいただくしか私は確認のしようがございませんし、お聞きいただいたらいいんだろうと思いますけれども、私は、そういう会話をした記憶、覚え、それは委員だって六年前、七年前の会話なんか全部覚えておられましょうか。そういう記憶は私にはございません。

 それから、そういうテープが、どこから入手をされて、委員はそのテープをおとりになった方からこういうテープであると御確認の上のお尋ねなのか、今のお尋ねでははっきりいたしませんけれども、私自身には、捜査情報を漏らすとか、またそんな情報も入りもしませんし、そのような事実関係が、日時の関係がどうなのか、そんなことも私にはわかりません。 いずれにしても、全く不可解であり、心外でございます。

 ○長妻委員 いずれにしても、時間も残り少なくなりましたので、このテープ、実際私が聞いておりますから、いずれ中川さんも聞くことになると思いますけれども、そのときに今のここでの御答弁をお忘れなく、出処進退を明らかにしていただきたいということを強く求めます

○中川国務大臣 私は、官房長官になったのはことしの七月でございまして、それをさかのぼること七年前の私事が、なった途端にこうやってわっと出て、しかもその真実が、本当にあたかも真実のように、そういうふうにいろいろ書き連ねられている、まことに心外でございます。そしてまた、正直申しまして、そのうちの本当にたくさんのことが真実ではございません。私は、法に触れるようなことは一切いたしておりません。そういう中で、多くの人たちと今一生懸命、日本さえよくなればいいという思いで懸命になって頑張っているところでございます。 以上です。

○長妻委員 法に触れることを一切していない、法に触れなきゃ何でもいいということじゃないわけで、いずれにしても、この疑惑は今の御答弁でも私ども全く納得できませんし、これは国民の皆さんが広くごらんになられているわけですから、国民の皆様も納得できない。官房長官がうそをついている、こういう目で見られている状態は依然と続いて、日本の政治は非常に暗たんたる状況からいまだ抜け出ていないということを申し添えて、このテープの問題あるいは御自宅で撮られた写真の問題、いずれにしても、長官が天地神明に誓って、そして事実無根というふうに言われているわけですから、それが仮にうそであれば、ここまで言われているわけですから、それなりの責任をおとりいただくということを確認いたしまして、私の質問を終わります。


【そしてその日のうちに・・・】

   
2000年10月27日付読売新聞

「中川官房長官を更迭 交友疑惑で政権ダメージ 後任に自民党の福田康夫氏」

 森首相は二十六日夜、女性問題や右翼団体幹部との交友疑惑が取りざたされていた中川秀直官房長官(56)を更迭し、後任に同じ自民党森派で福田元首相の長男、福田康夫(ふくだやすお)衆院議員(64)(当選四回)の起用を内定した。

 野党各党が中川長官の罷免を要求し、自民党橋本派や公明党などに早期の長官交代を求める声が強まったことなどから、首相も中川長官の更迭はやむを得ないと判断したものだ。首相側近で内閣の要(かなめ)の官房長官の辞任は、森政権にとってダメージとなるのは避けられない情勢だ。

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 ところで、くどいですけど、新聞って恐いですね!
 シューチョクさん!

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小沢代表「私を政治的に抹殺を意図した中傷報道に抗議」声明発表

2007年11月04日 22時39分39秒 | 第168臨時会(2007年9月~1月)法案の嵐作戦

写真は民主党本部が入るビルの駐車場で幹部を待ちかまえる報道陣(4日、午後6時半)=宮崎信行撮影

 小沢さんという人は大局的な戦略にたけていますが、あっさりしたところもあります。話し下手で、大のマスコミ嫌いです。

 そんな小沢さんの記者会見はきょうも15分ほどでした。
 そして、2つの声明を発表しました。

 そのうちの一つが「中傷報道に厳重に抗議する」。
 名義は「衆議院議員 小沢一郎」

 僕はこの小沢一郎の叫びを皆さんにお伝えしたい。そのまま伝えたい。でもコピー&ペーストはしない。これから手で打ちますから、読んでください。

      ◇

 福田総理との党首会談に関する新聞、テレビの報道は明らかに、報道機関としての報道、論評、批判の域を大きく逸脱しており、強い憤りをもって厳重に抗議いたします。
 特に11月3、4両日の報道は全く事実に反するものが目立ちます。
 私の方から党首会談を呼びかけたとか、私が自民、民主両党の連立を持ちかけたとか、果ては今回の連立構想について「小沢首謀説」なるものまでが、社会の公器を自称する新聞、テレビで公然と報道されています。いずれも、全く事実無根です。
 もちろん、党首会談及び会談に至るまでの経緯と内容について、私自身も、私の秘書等も、どの報道機関からも取材を受けたことはなく、取材の申し入れさえ全くありません。
 それにもかかわらず、事実無根の報道が氾濫していることは、朝日新聞、日経新聞等をのぞき、ほとんどの報道機関が政府・自民党の情報を垂れ流し、自らその世論操作の一葉を担っているとしか考えられません。
 それにより、私を政治的に抹殺し、民主党のイメージを決定的にダウンさせることを意図した明白な誹謗中傷報道であり、強い憤りを感じます。
 このようなマスメディアの在り方は明らかに、報道機関の役割を逸脱しており、民主主義の危機であると思います。報道機関が政府・与党の宣伝機関と化した時の恐ろしさは、亡国の戦争へと突き進んだ昭和前半の歴史を見れば明らかです。
 また、自己の権利維持等のために、報道機関に対し、私や民主党に対する誹謗中傷の情報を流し続けている人たちは、良心に恥じるところがないか、自分自身によくよく問うてみるべきです。
 各種報道機関が一日も早く、冷静で公正な報道に戻られるよう切望いたします。

以上

      ◇

 赤坂から、首相官邸の横を通り、衆院第一議員会館の脇道を通り、国会議事堂前を歩きました。この街は日曜夜は恐ろしく人がいないですね。そう、恐ろしく。議員会館は5部屋くらい明かりがついていました。

 国会議事堂と議員会館の間の夜道で、小沢代表の秘書役で知られる元議員がさっぱりした表情で歩いていました。体力自慢の元議員ですが、午前5時には名古屋にあらわれるという日帰り出張だったそうですから(クルマで行ったのか?)、さすがにお疲れ気味でした。私は面識があるのですが、向こうも気付かなかったようですし、いろいろな配慮から声をかけませんでした。とはいえ、代表を党本部から送り出し、さっぱりした雰囲気。赤坂に繰り出すという感じでもありませんでした。

 さらに50メートル歩きました。参院議員会館の前に、女性参院議員がいました。こちらも冷静な表情。彼女を「小沢の愛人か?」と報道した紙媒体もありますし、彼女の選挙に関して、小沢議員の政策秘書が公選法違反で検挙されるかのような記事を載せた全国紙もあります。

 一部で「小沢周辺議員が自民と連立(連携)」との報道が出ています。
 だったらこの人たちがこの時間帯にこうしているわけないですよね。会合を開くか、賛同者を増やすための電話がけで忙しいはずですよ。ちゃんと取材しているのかよ?憶測で書いてんじゃねえの!

 参院議員会館を抜け、信号を渡り、民主党本部が入るビルに向かいました。坂道には民放テレヴィジョン各局の中継車が鎮座ましましていました。上野駅みたいにいろいろなおくにことばが聞こえてきました。

 党本部があるオフィスビル1階の駐車場には50人ほどの記者がたむろしていました。出てくる党幹部に「ぶら下がり」をするためでしょう。
 民主党本部にこんなに記者が並ぶようになったんですね。雑談したり、喫煙したり、他人のケータイをのぞき込んだりしながら時を過ごしていました。面識のある記者はいませんでした。政治部って入れ替わりが激しいんですよ、徒労だから。

 ここにいても何も情報がなさそうなので、7時のニュースに間に合うよう帰宅しました。
 それにしれも永田町を歩いても、何も見えてきませんね。
 そりゃそうですよ。なぜなら、この闘いの答えは全国にいる有権者一人一人が決めるのですから。

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11/3【解説】「特殊」維持の渡辺恒雄、礼儀正しい小沢一郎 党首会談の裏側

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【小沢辞任の背景】「菅首相で北海道サミット」?

2007年11月04日 21時15分46秒 | 第168臨時会(2007年9月~1月)法案の嵐作戦

 民主党の小沢一郎代表は2007年11月4日午後4時37分から記者会見し、党代表の辞任届を鳩山幹事長に提出したと発表しました。

 さすがに驚きました。ただ、「このタイミングは絶妙だ」と思いました。
 第21回参院選(2007年7月29日)の民主党躍進後から私が時々、思いを馳せていたこと。

 いったい、「小沢一郎」→「菅直人」の総理(ないしネクスト総理)のバトンタッチはいつか?

 そしてその答えとして、「今日」というタイミングは絶妙であること。
 もちろん小沢一郎は神ではなく人間ですから、「結果的にそうなったね」ということですが。

○なぜ菅直人なのか?

 まずなぜ「菅直人」が小沢一郎が考えていたと思われるネクスト総理なのか?

 ひとつは菅直人が自民党でも社会党でもないこと。
 「非・自民党で、非・社会党で、反共」
 これが民主党初の政権の顔(総理ないしネクスト総理)として必須の条件であること。

 参院選直後の8月、民主党初の参議院議長に江田五月さんが就任しました。これが一つの証拠です。

 「非・自民党で、非・社会党で、反共」

 江田五月と菅直人の共通点です。

 これなら第45回衆院選は シンボル(権威) 江田五月=離党中
             顔   (権力) 菅 直人=ネクスト総理
 として闘えます。

 「民主党は自民党竹下派の別働隊」「社会党の残党である民主党左派が脚を引っ張っている」という批判は完全に封じ込めます。

 そもそも、2003年10月の民主党(菅代表)と自由党(小沢党首)の合併、いわゆる「民由合併」のとき、代表には菅さんが就き、小沢さんは無役に退きました。
 今の民主党本部も、もともと鳩菅民主党の本部だった場所です。
 ですから、菅さんのリリーフを務めていた小沢さんが菅さんにその座を返すだけのことです。
 もちろん、あすの役員会で小沢慰留がなされたり、代表選で菅さん以外の代表が選ばれる可能性はあります。それはそれで党内デモクラシーが働いている証拠です。

○なぜ小沢一郎は総理にならないのか?

 小沢一郎は連続当選13回。議員生活は38年間を超えました。総理になりたきゃとっくになっています。
 なぜ総理にならないか。やはり健康問題でしょう。
 これは周知の事実ですが、小沢さんは海部内閣当時の自民党幹事長として権力の絶頂にいました。そして幹事長を退任した翌年、経世会(自民党竹下派)会長代行のときに狭心症のため入院しています。

 それから15年間、定期的に検査入院しながら政治家を続けています。
 かかりつけは都内の有名な大学病院ですが、政治家にはさほど縁のない病院です。言っておきますが、慶應病院ではありません。ツツジがとてもきれいに咲く名所の隣りにある病院です。

 私もことし5月に久しぶりにツツジ見物にでかけました。手の込んだツツジ園に折しも土砂降りの五月雨が。いつもなら「地球温暖化のせいだ!」と息巻く私も、鳥居の下で雨宿りする人たちの方まで何だか気持ちよく掛けていきました。さわやかな大学生カップルが場所を譲ってくれました。そこの医大生でしょうか、それとも近くの東大生でしょうか。日本の未来を背負ってたつ人材はまだまだいます。

 個室の窓がどっちを向いているのか知りませんが、花時計のようなツツジ園を上から見るだけで、相当心が和むはずです。そこは、彼が思春期を過ごした家の近くでもあります。本を読み、ツツジを眺めながら、人生や社会を考えたとき、現下の日本政治が馬鹿らしく思えると私は考えます。本当に根気のある人だと感心します。

○菅直人・胡錦涛会談

 このブログの「今後の政治日程」のエントリーで以前からお伝えしている通り、小沢団長と国会議員・民間人1000人による中国訪問が1ヶ月後に迫っています。
 12月6日(木)には北京の人民大会堂(国会議事堂)で胡錦涛国家主席(中国共産党総書記)と会談し、その後、団員全員で記念撮影をする予定でした。

 小沢さんが訪中するとして、菅さんも行けば、菅直人・胡錦涛会談が成功します。これは福田首相より先に訪中したことになります(ただし、今月のシンガポールでの国際会議で福田・胡錦涛会談が予定されています)。

 衆院選前に中国行き。なんだか、日本王が中国皇帝から「金印」(漢の倭奴国王印)をもらったことを連想してしまいますが、聖徳太子の隋の皇帝に「国書」を送って以降、日本と中国は対等な主権国家です。
 とはいえ、聖徳太子にしても、遣隋使の成功で内政の基盤を固めたことは歴史的事実です。

 さらにこの後、「テロとの戦い」に参加するため、国連の決議に基づく(国連のオーソライズによる)「テロ対策基本法」(といった名称の)一般法を与野党共同で制定させる運びになるのではないかと予想します。

 そして、健全野党として、通常国会で平成20年度予算案を(賛否は別として)通過させる。そして、その後の予算関連法案、とくに道路特定財源に関する租税特別措置法を否決し、政府・自民党に2兆数千億円という巨額の歳入欠陥を現実のものとし、衆院解散・総選挙に追い込む考えではないでしょうか。

 菅直人ネクスト総理 vs 福田康夫首相
 非自民・非社会   vs 自民・公明
 外交安定で内政安定 vs 外交のために内政後回し

という対立軸で第45回総選挙を戦います。

 仮に民主党が勝つとします。民主党は若手を中心に選挙区での日常活動が疎かな支部長が多いのでギリギリの勝利でしょう。単独過半数はムリか?

 小沢代表は全国行脚のスタート地点として北海道を選び、10月24日に札幌を訪れ、「北海道は全勝をめざす」と宣言しました

 北海道は前回小選挙区で民主党が8勝4敗の金城湯池。

 また「北海道での全勝」とは同時に「町村官房長官(5区)、武部元農相(12区)、中川昭一元農相(11区)の小選挙区落選」を意味します。

 そして、7月7日、北海道洞爺湖で菅直人首相がホスト国総理として、G8首脳サミットの議長として政治宣言を発表します。菅首相の外交デビューです。

 北海道では、鳩山幹事長(9区)、鉢呂ネクスト外相(4区)、北海道知事・衆院副議長を務めた横路孝弘さん(1区)らがお出迎え。

 参院選の「姫の虎退治」ならぬ「民主幹部の自民幹部掃討作戦」になります。やはり衆院選は天下分け目の闘いなんです。

○米中露との2国間関係と国連外交安定で、内政重視の布陣

 日本外交の要諦は米中露。

 鳩山幹事長(道8区)は「日ソ共同宣言」の鳩山一郎首相の孫、鉢呂ネクスト外相(道4区)は政界きってのロシア通で知られます。

 中国には「日中国交正常化」の田中角栄首相の政治家としての息子(小沢一郎さん)、本当の娘(田中眞紀子さん=統一会派)がいます。

 米国国務省では、前原副代表が独自の人脈を持っていますし、日米構造協議(SII)を仕切った官房副長官と言えば小沢さんです。

 この日本―米国、日本―ロシア、日本―中国との関係を盤石化する。
 そうすると、米中露はすべて国連安保理常任理事国ですから、国連のオーソライズに基づく「テロ防止基本法」のような恒久法があれば外交・安全保障は安定化(スタビライズ)します。

 外交が落ち着けば、内政重視の布陣を引けます。内政面も処方箋の骨格は生活関連法案として、「年金流用禁止法案」=参院で可決=など具体的な法案として参院に提出済みです。

 というのが下町の太陽の「妄想」ですが、あなたはどう思います?

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小沢民主代表が辞意 大連立構想めぐる党内混乱にけじめ

2007年11月04日 20時25分20秒 | 第168臨時会(2007年9月~1月)法案の嵐作戦

まずは第一報をお伝えします。

小沢民主代表が辞意表明 大連立協議巡り「けじめ」(朝日新聞) - goo ニュース
(写真も朝日)
2007年11月4日(日)20:25

 民主党の小沢代表は4日、福田首相との党首会談をめぐる政治的混乱にけじめをつけるとして、鳩山由紀夫幹事長に代表の辞職願を提出した。小沢氏はその後、緊急会見を開き、2日の党首会談後の役員会で連立政権に向けた政策協議入りを全員一致で拒否されたことは「不信任を受けたに等しい」と説明した。小沢氏の突然の辞意表明で、同党の混迷は必至だ。小沢氏は会見で離党は否定したが、小沢氏が安保政策での一致などを理由に与党との連携を目指すのではないかとの見方もあり、政局は政界再編含みの展開になりそうだ。

 小沢代表は会見で、連立政権協議を受け入れてもいいと判断した理由について、首相が(1)「自衛隊の海外派遣は国連決議で認められた活動に限る」とする小沢氏の持論を受け入れた(2)連立政権が成立すれば補給支援特措法案の成立にはこだわらない――と確約したことをあげ、「我が国の無原則な安保政策を根本から転換するもので、それだけでも政策協議を開始するに値する」との考えを示した。

 小沢氏はまた、政策協議入りのメリットとして、年金改革や子育て支援、農業再生など、参院選で公約した政策の実現が可能になると指摘。さらに、民主党の現状を「様々な面で力量が不足しており、政権担当能力に対する疑問が提起され続け、次期総選挙での勝利は厳しい情勢だ」と分析したうえで、「あえて政権の一翼を担い、政権運営の実績を示すことが、民主党政権を実現する近道だ」と強調した。

 小沢氏は辞任を決断したのは3日だと説明。「多くの議員、党員を指導する代表として、また党首会談で誠実に対応して下さった福田総理に対し、けじめをつける必要があると判断した」と語った。

 今後の政治活動については「ゆっくり考える」とし、民主党を離党する可能性については「離党などということは今言っていない」と否定した。

(以上、朝日の記事を全文引用しました) 

11/4【小沢辞任の背景】「菅首相で北海道サミット」?

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