【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

【ともだち】昭和44年当選同期3人が小沢さん説得【最後の団結】 

2007年11月07日 01時42分36秒 | 第168臨時会(2007年9月~1月)法案の嵐作戦

 羽田孜元首相は鳩山氏ら党幹部に電話で「小沢は話せばわかる人間なんだ」と強調した。(6日付産経1面)

 渡部恒三衆院議員は小沢氏の気質をこう解説する。「昔なら慰留など関係なく辞めるに違いない。彼のことが分からなくなったのは初めてかもしれない」(6日付産経第2社会面)

 石井一副代表「批判じゃない。憂えているんだ」(6日付朝日「時々刻々」)

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 3人は午後2時過ぎ、小沢さんが滞在するホテルを訪れました。(画像は「NHKニュース7」から)






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 小沢一郎さんが民主党代表にとどまった背景に、かつて小沢さんと袂を分かった昭和44年(1969年)初当選組3人の説得がありました。

 元総理の羽田孜さん(長野3区)、元衆議院副議長の渡部恒三さん(福島4区)、党副代表の石井一さん(参院全国比例)の3人です。

 木曜クラブ(田中派)→経世会(竹下派)と自民党主流派を歩いてきた小沢さんら4人は、金丸信自民党副総裁逮捕後の経世会会長に関して、政治改革を進める人事を主張。羽田大蔵大臣(当時)を代表に、新派閥「改革フォーラム21」(自民党羽田派)を立ち上げます。

 そして1993年夏、日本社会党委員長の山花貞雄さんらが提出した「宮沢内閣不信任案」に賛成し、自民党を離脱し、新生党を結党。総選挙で自民党を過半数割れに持ち込み、細川護煕政権を樹立します。

 「55年体制の崩壊」です。

 その後、4人は新進党を結党。政権交代可能な2大政党制をめざします。ちなみに恒三さんの政治学修士号取得論文は「英国に於ける二大政党制」だったそうで、二大政党制は恒三さんにとって「75年の夢」です。

 しかし小沢さんは1998年末、党首を務める新進党を自ら解党します。これと前後して、羽田、恒三、ピンの3氏は、小沢一郎から離れていきました。

 かいつまんでいうと、「3人は自由党に在籍したことがない」という共通点が一番分かりやすいでしょうか。

(次の段落は読み飛ばしていただいてけっこうです)
 羽田さんは96年末「太陽党」を結成し、先に離党。98年1月には新進党解党でさまよう議員たちと「民政党」に統合。ピンさんはここで袂を分かちます。2人は民主党に合流。合流時の代表は菅さん。恒三さんは衆院副議長に伴う党籍離脱(無所属)の間に新進党解党を迎えました。そのまま、無所属会派に所属しながら、2005年の前回総選挙公示とともに民主党入り。久しぶりに「44年組」がそろいました。

 ちなみに竹下派7奉行のうち、4人が改革フォーラム21にうつり、3人が自民党に残りました。
 自民党に残った橋本龍太郎、小渕恵三、梶山静六の3人は鬼籍には入られています。
 新生党に行った4人のうち奥田敬和さんは9年前、民主党両院議員総会長を最期に亡くなりました。
 竹下派7奉行のうち、小沢、羽田、恒三の3人は健在。また「7奉行」ではありませんでしたが、ピンさんは副代表、綿貫民輔元衆院議長は国民新党代表です。

 同期の桜。竹下派という権力の頂点を経験しながら、その後の13年間の野党生活に耐えた3人。民主党の若手に気を使いながら、二大政党に向けて再会した小沢さんを含む4人。
 僕は友情の素晴らしさを感じました。小沢さんもきっとそうでしょう。

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