【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

平田健二・参議院議長が参院選不出馬、政界引退へ「若い政治家が必ず政権を奪還してくれると信じている」

2013年03月10日 20時29分57秒 | 第23回参院選(2013年7月)二番底

[写真]平田健二・参議院議長。
 報道によると、民主党員(会派は無所属)平田健二・参議院議長は7月21日投票予定の第23回参院選(岐阜選挙区)に立候補せず、引退することを表明しました。3月5日の本会議では「質疑はなおございますが、これを次回にゆずりたいと存じます。ご異議ございませんか。異議なしと存じます」という上品な議事次第を披露するなど「平田カラー」が鮮明になっていたので、さみしいですね。

 平田さんは「昨年10月に決断していた」とのことで、読者の一部は私が今国会召集当日のエントリーに「平田健二参院議員の任期はこの第183通常国会の閉幕直後に切れます(略)平田健二が参議院議長だったことを、忘れないで」と書いているので、当ブログのお得意の「知ってて知らないふり」をしていたのではないかと勘ぐる向きもあるでしょう。野暮ですよ。ほんとうにびっくり仰天しています。さみしいです。

 自民党が第一会派のころから新進党勢が4人連続で参議院議長をつとめてきました。まさに良識の府です。昨年末、総理、副総理、内閣官房長官の新進党3羽ガラスが官邸を去りました。夏には、三権の長からも去ることになります。新進党勢が少なくなるのはやむを得ません。ただ、平田さんの任期は、7月27日までのはずですから、7月21日の投票日の週に院の構成のための第184臨時国会を開く可能性が高まりました。仮に安倍内閣が8月臨時国会を避けた場合は、9月に第185臨時国会を再度召集することになるでしょうが、一般法案の審査が大幅にずれ込むことが確実になってきました。

 平田さんは、阪神大震災と地下鉄サリン事件で日本が不安のどん底にあった1995年夏、新進党新人として初当選。このときは、自民党公認の大野明さんと2人区の議席を分け合いました。小沢一郎なる者に新進党を解党されてしまった後は、私が担当していた「新党友愛」を経て、民主党結党に参画しました。政務三役の経験はありません。

 イギリス庶民院の現在の議長も政務三役経験はありません。現在50歳で、在職期間も平田さんより2年短いのですが、労働党政権時代に議長になり、与党・保守党の一部からの支持もあり、政権交代後も議長をしています。ネクスト厚労相などの経験はありますが、リアル大臣の経験はありません。The Timesの寸評では「サッチャー流自由主義から民社主義に政治スタンスを変えてきた政治家だ」と現議長を評しています。このように英国議会では、政務三役コースと、議長・委員長コースは分かれる傾向があるそうで、今後は政務三役経験のない参議院議長も珍しくなくなるだろうし、あるいはそれも参議院議長らしさになるかもしれません。後世に「平田ルール」と呼ばれるかもしれません。

 平田さんの1期目の「国会議員要覧」を引っ張り出して参議院の会派構成をみました。自民党が113議席、新進党はわずか48議席、公明が8議席でした。(第1次)民主党が16議席、社民党が20議席、太陽党が3議席。ここから考えると、二大政党の勢力が拮抗する今の伯仲参議院は望ましい姿です。民主党も非改選がありますから、参院選の結果が芳しくなくても、平田さんが新人だったころよりも多い議席を維持できることは確実です。衆院議員、地方議員がみんなで県連の参院議員をつくるという心構えをつくれば、道はいくらでも拓けるでしょう。新進党・民主党はたくましく変わりました。

 一方の自民党。 大野ファミリーといえば、「院外団上がり」から自民党副総理に駆け上がり、東海道新幹線岐阜羽島駅をつくった大野伴睦(おおの・ばんぼく)さん。その息子が大野明さんで、運輸相・労相をつとめながら、衆院で落選し、参院に回りました。亡くなり、奥さんが跡を継ぎ、郵政民営化法で造反し、政局を混乱させました。そして、今夏は大野伴睦さんの孫にあたる県議が自民党公認を得たようです。自民党は何も変わりません。

 民主党岐阜県連のみなさまには1人区になると、県の公共事業について知事などの要望を受けることが増える可能性があるということをご認識いただきたい。そうなると、ある程度実績があり、与野党の人脈があり、何よりもお金に清潔な後継者を県連内から選ぶのがベストではないでしょうか。

 平田さんは「若い政治家が必ず政権を奪還してくれると信じている」と語ったそうです。

 絶つ鳥跡を濁さず。多くの政治家に見習ってほしいです。
 
平田参院議長が引退表明(時事通信) - goo ニュース

 平田健二参院議長(69)=岐阜選挙区=は10日、岐阜市内で開かれた民主党岐阜県連大会で「年齢的なものと、体調を含めて(考え)引退を決意した」と述べ、夏の参院選には出馬せず、今期限りで政界を引退する考えを表明した。

 

 平田氏はこの後の記者会見で、後継候補について「近いうちに県連から発表できると確信している」と述べるとともに、「若い政治家が必ず政権を奪還してくれると信じている」と、民主党の再生に期待を示した。