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ニュースサイト 宮崎信行の国会傍聴記

元日本経済新聞記者の政治ジャーナリスト宮崎信行が3党協議を現地で取材したり国会中継を見たりして雑報を書いています。

サヨナラの田原総一朗さんが「岡田さんがんばって」

2010年03月14日 21時24分34秒 | 岡田克也、旅の途中
[画像]あと3回で終了する「サンデープロジェクト」で、ジャーナリストの田原総一朗さんから励ましの声を受け、神妙に頭を下げた岡田克也外相=放送からキャプチャー

 21年間続いた日曜朝の政治討論番組「サンプロ」もあと3回で終了。

 3月14日日曜日は、外務大臣になった岡田克也さんが出演し、「核密約」について話しました。

 田原総一朗さん(75歳)、岡田克也さん(56歳)。ともに1993年の「宮澤解散」を境に大きく飛躍し、日本を代表する「リーダー」に飛躍した2人。おそらくこれが最後の「サンプロ」になるでしょう。

 核密約の話はなかなか難しいようで、私のツイッターにも「ヒトコトでいうとどういうことですか」「メリットとデメリットどちらが大きいのか?」との質問をもらいます。ヒトコトで言うと、「日米同盟のボタンの掛け違いを直す」ということなんでしょう。

 なかなか難しい話なので、田原さんは、

 「僕は岡田さんを信頼しているから言う。国民が岡田さんの言うことを本当に分かる、と。

 『岡田の言うことは分かったんだ』という信頼度をとらなきゃね
。」

 と話しました。「信なくんば立たず」ということですね。「岡田が言うんだから、そうなんだろう」という信頼度をもっともっと得なくちゃダメだ、というのが田原さんの心の内なんでしょう。

 岡田さんは「今田原さんとしているこの議論を避けたいがために、(自民党政権は)密約を認めてこなかったんです。

 そこは、こういう(厳しい)議論が出てくることは覚悟しながら、これを明らかにしているわけです」

 田原さんは「こういう議論が出てくることを覚悟した上で、岡田さん言った。これは偉いと思う」
 
 としたうえで、終了直前に、
 

 「岡田さん頑張って。岡田さんに期待しているからね。今、民主党いっぱい問題あるんだから

 と言うと、岡田さんは神妙に頭を下げ、コーナーが終わりました。

 

 サンデープロジェクト(サンプロ)は1989年4月2日から21年間続きました。聞くところでは、CM収入が厳しい昨今、ジャーナリスト・田原総一朗さんのギャラが高額なので、社員アナウンサーの番組に切り替えるとのことのようです。

 田原さんと岡田さん。思い出されるのは1993年6月18日の「宮澤嘘つき解散」。

 1993年、「総理が語る」の番組上、田原さんは宮澤喜一総理大臣(自民党総裁)から、「政治改革関連法案は、通常国会で必ず成立させます」、「終わってみれば、ああなるほど、宮澤はこういうことを考えていたんだな、という結果にしてみせます」という言質を引き出しました。

 結果は大嘘。

 岡田さんも今の物静かなイメージとは違い、河村建夫さん、簗瀬進さん、石破茂さんらと、「宮澤邸夜討ち事件」を起こすなど、元気はつらつとしていました。

 岡田さんが乗り込んだ船「改革フォーラム21(羽田派)」は敢然と宮澤内閣不信任案に賛成し、自民党を離党し、新生党を結党しました。

 中選挙区時代、5人区のビリで初当選した岡田さんですが、国のために政治改革に突き進む姿が共感を呼び、トップ当選で再選。その次から小選挙区になり、野党暮らしが長いのに、毎回断トツの得票率で、7回連続当選しています。

 「三重の岡田」から「日本の岡田」になる歴史を語る上で、「田原総一朗」という人物は不可欠。田原さん、21年間お疲れ様でした。

 ◇

 岡田さんは、これに先立つフジテレビ「新報道2001」で、核のイントロダクションをめぐる密約の日米のボタンのかけちがいについて、1991年のブッシュ(父)政権の後は、空母に戦術核兵器が載っていないので、日本への持ち込みはあり得ないと断言。戦略核についても、SLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)などを載せた米軍の潜水艦はすべて日本政府が把握しているので、「来たらすぐに分かる」と述べました。弾道ミサイルは太平洋や大陸を横断する目的の戦略核ですから、朝鮮半島有事で日本に来ることはまずないと思います。

 難しい話ですが、岡田さんは毅然とした態度でキッパリと話すので信頼感が持てました。

 番組の最後に、トレンド調査(毎週首都圏の500人に対してFNN・産経調査)の結果、次の首相にふさわしい人で、①舛添さん(自民党)、②鳩山総理、③菅副総理に次いで、岡田さんが4位になっていることを聞かれると、民主党代表時代と比べて、「だいぶ落ちましたよね」と語りました。日米安保50年のボタンの掛け違いに関する話ですから、全体的に笑顔は少なかったのですが、ここだけは相好を崩しました。

 「今は私は、外務大臣の職責を果たす。

 それが日本の国益につながる。


 そういう確信の下に。そのことに専念しています


 と断言しました。

 NHK日曜討論でも、核密約について、説明しました。
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3月10日付紙面は「密約」ディスクロージャーで花盛り

2010年03月10日 07時00分12秒 | 岡田克也、旅の途中

 おはようございます。
 路上に雪が残る寒い朝です。
 きょう(3月10日)付の新聞は岡田克也外相の「日米密約」のディスクロージャーに関する記事が大展開しています。見出しもていねいに考えた物が見られました。

 

 

 

 

 

 

 

 

  

  

 

 

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岡田外相の密約調査終わる ディスクロージャーで命を救おう

2010年03月09日 20時46分48秒 | 岡田克也、旅の途中

 岡田克也さんが外務省に初登庁した、2009年9月16日夜(9月17日未明)に発した国家行政組織法第12条などに基づく大臣命令で始まった日米間における4つの「密約」に関する調査が終わりました。報告書が3月9日、有識者委員会座長の北岡伸一さんから、岡田外相に渡されました。

 内部報告書、有識者報告書のほか、関連公文書などは下のホームページから見ることができます。

 http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/mitsuyaku/kekka.html

 岡田さんは自らのブログなどで、「最後に、外務省の職員の皆さんも、とにかく『いま出せるものはきちんと出す』という思いで、この半年間本当に一生懸命に、徹底的に資料を調べ、そして公開のために準備をしてくれました。外務省の皆さんも本当に一生懸命頑張ったということ、そこは、国民の皆さんに申し上げておきたいと思います」と部下の労をねぎらいました。

 

【他策はあった・・・】

 『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』。

 大変印象に残るタイトルの本です。著者の若泉敬さんは、沖縄返還交渉で、佐藤栄作首相の密使として、ニクソン政権のキッシンジャー補佐官と特別な交渉ルートを持ち、1969年11月19日、ワシントンのホワイトハウスの小部屋で佐藤首相とニクソン大統領が2人っきりで署名した「合意議事録」という文章を起草した人です。

 この「合意議事録」には、次のようなことが書いてあります。きょう提出された有識者委員会の報告書の中にも収められていますから、そこから引用します。

北岡座長らの報告書の70頁から引用はじめ)

(前略)

 米国政府は、沖縄に現存する核兵器貯蔵地である、嘉手納、那覇、辺野古、並びにナイキ・ハーキュリーズ基地を、何時でも使用できる状態に維持しておき、極めて重大な緊急事態が生じた時には活用できるよう求める。

(中略)
 日本国政府は、大統領が述べた前記の極めて重大な緊急事態の際の米国政府
の諸要件を理解して、かかる事前協議が行われた場合には、遅滞なくそれらの要件を満たすであろう。

 大統領と総理大臣は、この合意議事録を二通作成し、一通ずつ大統領官邸と総理大臣官邸にのみ保管し、かつ、米合衆国大統領と日本国総理大臣との間でのみ最高の機密のうち取り扱うべきものとする、ということに合意した。
一九六九年十一月十九日
ワシントンDCにて
Richard Nixon
Eisaku Sato


(引用おわり)

 このペーパーに書かれている内容は驚くべき内容です。ところが、このペーパーは、最近になって佐藤邸から発見されました。ということは、佐藤政権以降の自民党政権に引き継がれていなかったことになります。

 報告書の79ページはこう書いています。「佐藤内閣の後継内閣をも拘束する効力」について、「おそらく否定的に考えざるを得ない」としています。

 そして、もう一つ。若泉さんのペーパーがなければ、沖縄は日本に返還されなかったのか。

 これについて、報告書は、「これらに答えるのは現時点では難しい。判断の根拠となる資料がなお不足しているからである」としています。

 ただ、少ない資料を精査した結果として、ペーパーの発効には、佐藤、ニクソンのほか、統合参謀本部議長の署名が求められていたのに署名がないこと、沖縄返還交渉の日程が残り2日間あり、交渉の材料となる別のペーパーがあったこと・・・などから、「結局合意は実現されたのではないかと考える」としています。

 ですから、若泉さんが起草したペーパーがなくても、沖縄返還交渉は実現していた可能性は極めて高いことになります。

 民間人の若泉さんは自らが抱えた秘密の大きさに耐えきれなかったのでしょう、そのディスクロージャー、情報公開として、1994年、文藝春秋から『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』を世に出しました。1996年、若泉さんは66歳で他界しました。自殺だとされています。

 私は『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』を読んで、執筆している時点で、若泉さんはすでに精神疾患にかかっておられたと思います。あくまでも私の個人的な感想です。そして、「遺書がない」とされていますが、私は、『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』が若泉さんの遺書なのだと思います。

 報告書は、若泉さんの功績として、

(抜粋引用はじめ)

 他方で、若泉―キッシンジャー・ルートが果たした役割を否定することはバランスを失することになろう。何故なら交渉経緯の全体を見た場合、キッシンジャーというユニークなスタイルを持つ強力な外交指導者との交渉において落としどころを探っていく上では、若泉―キッシンジャー・ルートが開かれたことは大いに評価できるからである。このルートを通してニクソン大統領の意向が佐藤首相に届いたことの意義は大きいと言えよう。

(抜粋引用おわり)

 と書き記しています。が、この文章には、若泉さんが情報を抱え込んでお亡くなりになったことへの配慮がある、と私は感じました。

 若泉さんが「公文書の保管と公開のルールがしっかりと決められた国」--欧米ではこのような政治体制を「デモクラシー」と呼ぶようですが--そういった国に若泉さんが生まれていれば、いずれ重荷は解けるのですから、良心の呵責にかられて著作を書き、自殺する必要は無かったと思います。

 ディスクロージャーで重荷を解く。ディスクロージャーで救える命もある。しっかりとディスクロージャーする国を作っていきたい、と改めて感じました。

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『劔岳 点の記』と『沈まぬ太陽』が日本アカデミー賞を分け合う

2010年03月08日 02時53分42秒 | 岡田克也、旅の途中

 このほど(3月5日)に第33回日本アカデミー賞が開かれ、『劔岳 点の記』(『剣岳 点の記』)が6部門を受賞しました。

 映画ファンで知られる岡田克也さんが謎の文化人から、「剣岳はぜひ見た方がいい。創価学会の池田大作先生も絶賛している」とすすめられ、映画館で鑑賞し、「面白かった」と語りました。私はそれを聞いて、政権交代後に映画館で見ましたが、映像・ストーリーともすばらしい作品でした

 高校生のころから、漠然と「公の仕事」に興味を持ってきた岡田さんが、地図をつくるという「公の仕事」のために、命を懸けた明治公務員の群像に感動したのは想像に難くない。また木村大作監督をはじめとする撮影スタッフそのものも、まさに日本映画史に残る「公の仕事」をしたと思います。「撮影賞」(木村大作監督)は当然です。すでにDVDのレンタルが始まっているほか、各地の映画館も巡回しているようですから、ぜひ、映像だけでもご覧になることをオススメします。

 もう一つ、僕は『沈まぬ太陽』も見ました。助演男優賞は『剣岳』で、香川照之さんになりましたが、香川さんの『沈まぬ太陽』の演技も、「ディスクロージャーを怠った日航の悲惨な結末」を表現したすばらしいものでした。主演男優賞は、『沈まぬ太陽』で渡辺謙さんでしたが、『剣岳』の浅野忠信さんと、僕の中で、同時受賞という感じがしますね。

 ちなみに、『沈まぬ太陽』の第2部で、渡辺謙さんが石坂浩二さん演じる会長(カネボウの伊藤淳二さんがモデル)と元旦の一番機の離陸を見送るシーンで、飛行機の映像がやたらとちゃっちかったのですが、これは日航が撮影を拒否したので、やむを得ずCGにしたとのこと。後で知って納得しました。これも含めて、ご覧になると面白いでしょう。

 なお、『沈まぬ太陽』の第1部、第2部の冒頭に出てくる「たかりジャーナリスト」は日経新聞産業部で編集委員などを務めた記者がモデルです。元社員の一人として、このような人物がジャーナリストを名乗っていることを遺憾に思いますし、自分はそのようなたかりジャーナリストではないし、将来も絶対にそのようなことがないようにしたいと思います。

 邦画というと、宮崎アニメ頼りが長かったのですが、実写映画も復活してきたことを感じさせた2009年でした。大したものです。欲を言えば、「絵がきれい」な監督、例えば行定勲監督らが良い脚本に出会って、配給会社もじっくりとお金と時間を投入することを望みたいと思います。

 「株式会社日本航空」の長年の妨害にかかわらず、製作・公開にこぎ着けた角川歴彦さんに作品賞がいったのは、当然かと。邦画ではありませんが、『孫文 百年先を見た男』も面白かったですよ、角川は最近がんばってますね。

 ところで、岡田さんは外相就任後、ほとんど映画館に行けなくなったし、DVDもあまり見ていないようです。時々は映画でリフレッシュしてほしいですね。北欧の首相なんかは、夫婦で気軽に映画に出かけるライフスタイルをしていると聞きます。

 日本の主要産業のひとつである、コンテンツ産業もなかなか有望です。

 日航は沈んでも、日本(Japan)は沈まない。

作品賞は「沈まぬ太陽」=「剱岳」が6冠-日本アカデミー賞(時事通信) - goo ニュース

 第33回日本アカデミー賞の授賞式が5日、東京都内で行われ、「沈まぬ太陽」が最優秀作品賞に輝いた。カメラマンの木村大作氏の初監督作として話題となった「剱岳 点の記」は監督賞など6部門で受賞した。その他の最優秀各賞は次の通り。(敬称略)

 ▽主演男優=渡辺謙(沈まぬ太陽)▽主演女優=松たか子(ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ~)▽助演男優=香川照之(剱岳)▽助演女優=余貴美子(ディア・ドクター)▽脚本=西川美和(ディア・ドクター)▽音楽=池辺晋一郎(剱岳)▽撮影=木村大作(剱岳)▽照明=川辺隆之(剱岳)▽美術=種田陽平・矢内京子(ヴィヨンの妻)▽録音=石寺健一(剱岳)▽編集=新井孝夫(沈まぬ太陽)▽アニメーション作品=サマーウォーズ▽外国映画=グラン・トリノ。

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岡田外相、先週末は豪州、今週末は参院選弾丸ツアー

2010年02月26日 12時31分43秒 | 岡田克也、旅の途中
[写真]岡田克也外相(三重3区)と改選を迎える芝博一参院議員(三重選挙区)

 今週末は、政権交代が実現した第45回衆院選(8月30日)から、ちょうど半年を迎えます。

 先週末の長崎県知事選・町田市長選の大惨敗は民主党に動揺をもたらしています。

 さて、岡田外相は2月11日の祝日には、韓国、先週末はオーストラリアと弾丸外交を展開していますが、今週末の2月27日(土)は、選挙区の三重3区を弾丸ツアーします。10時間で6会場を巡るというハードスケジュールです。

岡田かつや公式ウェブサイトから引用はじめ)

【日 時】
2010年2月27日(土)

10:30~ 久米・桑部・在良・七和  久米地区市民センター

13:00~ 橋北地区 ばんこの里会館3階

14:00~ 神前地区 神前地区市民センター

15:00~ 県地区  下海老公民館

18:30~ 城南地区 城南公民館

19:30~ 長島町 Aコープ長島店2階

(引用おわり)

 これは今夏改選を迎える芝博一・参院議員を引き回すのが最大の目的です。

 芝さんは第20回参院選の三重選挙区(1人区)で、得票率52・1%を獲得し、次点の自民党候補に10万票余りの差をつけて初当選しました。

 親しみやすい人柄ですから、参院民主党の国対委員長代理を務めるなど実績を積んできました。

 ところで、岡田さんの地元事務所では、政権交代後に大きな変化がありました。岡田さんはナント、与党になるやいなや、地元事務所の秘書の担当地区を全部入れ替えるという大人事異動をしました。

 銀行などでは情実融資を避けるために、2~3年で担当地区を入れ替える人事異動は当たり前ですが、政界でそれをやった岡田さんには、いつもながら驚かされます。15年ぶりに「岡田事務所」が与党になったことで、支持者の方との間で、情実に動かされないで、国政とのパイプ役を務め、新しい支持者も発掘したいという考えが、岡田さんにあるのだと思います。

 地元支持者の間では、「岡田さんらしい」とおおむね好意的に受け止められているようですが、支持者によっては、前任者に話したことを「岡田事務所に話したから事務所全員が知っている」と思っている人がいて、「引き継ぎはされていないのか?」と不満をおっしゃる方もおられるようです。

 さて、岡田さんは外相就任後も地元で、「オープンセミナー」を何度か開き、外交の話なのに、百数十人の聴衆を集めたりしています。

 「オープンセミナー」と違い、「国政報告会」は地区ごとに秘書に動員ノルマが課せられます。人事異動後では初めての「国政報告会」ということで、三重事務所の秘書は、参加のお願いや会合の運営などドキドキしているでしょう。

 10時間に6会場で芝博一・候補内定者を引き回して、お披露目する。ちなみに芝さんの初当選したときの民主党代表は岡田克也さんで、全国的に岡田ブームが小泉旋風を抑えた選挙でした。

 6年経って、岡田さんは外相として、6月~7月の参院選挙でも三重に張り付くことは出来ません。政権交代から半年、参院選まで4ヶ月のタイミングで国政報告会を開くことは、芝博一陣営にとっても、岡田かつや三重事務所にとっても、岡田かつや後援会にとっても、しっかりと目標を共有できます。

 投票日から逆算してスケジュールを組んでやるのが選挙というものです。

 岡田克也という一人の人間の中に共存する「やさしさ」と「きびしさ」。岡田さんから「食事に行こうよ」と声をかけられた民主党議員はマレでしょうが、日本のトップリーダーにふさわしい資質は何か? 長崎・町田ショックにうちひしがれている民主党議員にはよく考えて欲しいと思います。

 三重県連では、参院選の準備が着々と進んでいるようです。他の都道府県連はどうでしょうか?
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私たちが総選挙で選んだのは「鳩山代表-岡田幹事長」

2010年01月16日 11時16分52秒 | 岡田克也、旅の途中
 もう忘れてしまった人が多いようですが、第45回総選挙(2009年8月30日)のときは、「鳩山由紀夫代表-岡田克也幹事長」でした。私たちが選んで政権を預けたのは「鳩山・岡田民主党」なんです。「鳩山・岡田タンデム(二枚看板)」はその責任を、しっかりと国民に果たすべきです。

 総理(代表)は岡田克也さんを幹事長に戻すべきだと僕は思います。代表が指名し、両院議員の承認(拍手など)が必要です。

 岡田さんは2004年の参院選では、菅直人代表の年金“未納”問題(役所のミスの後に判明)のあと、5月16日に代表選(立候補者は1人)に当選し、5月18日に就任。7月11日、第20回参院選で民主党結党以来初めての国政選挙第1党(自民党は結党以来初めて国政選挙第2党)を実現するというスーパーリリーフに成功しました。

 民主党略年表
 http://www.dpj.or.jp/governance/history/index.html

 昨年も、5月16日に代表選に立候補し、鳩山さんが当選。5月19日に幹事長に就任しています。8月30日の第45回衆院選で、民主党結党以来初めて衆議院で第1党、自民党は結党54年にして初めての衆議院第2党に転落しました。

 http://www.dpj.or.jp/news/?num=15956

 これが初めての「国民の手による政権交代」でした。だから歴史の流れからすれば、鳩山代表が総理になり、岡田幹事長が党本部を守るというのが筋でした。この歴史の流れを変えてしまったために、民主党政権が上手くいかなくなっているのでしょう。

 また、リリーフが上手いので、第22回参院選の立候補準備者も安堵するでしょう。

 岡田さんの場合、民主党本部200億円の支出面も、私は信頼できます。信頼と言うより、岡田さんは「透明性とディスクロージャー」を政治家としての売りにしています。これは多くの人が岡田さんの「性格」だと思っているようですが、私は岡田さんの「戦略」だと思います。

 一方収入面でも「党本部が主催する政治資金パーティー」を始めたのは岡田さんですし、国から参議院会派に振り込まれている立法事務費を党本部に上納させるよう働きかけたのも岡田さんです。このため、岡田さんは参院幹部と仲が悪く、昨年の代表選で参院民主党の票集めに失敗してしまったようです。

 岡田さん本人はのんびりした「性格」なので、外務大臣の仕事が楽しいようで、続けたがるでしょう。でも、総理(代表)や国民から望まれれば、断り切れない「性格」だとみています。

 スピード感からすれば、今日にも鳩山さんが決断してくれれば、イチバン楽なのですが、多少時間はかかるかもしれませんが、私は岡田さんに幹事長を戻してほしい。それが「『歴史の流れ』という力」を民主党に呼び込むことになると思います。 
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岡田克也外相、チャレンジャー乗組員オニヅカ大佐のお墓参り 

2010年01月12日 22時56分25秒 | 岡田克也、旅の途中


 岡田克也外相は日米外相会談のため、米国ハワイを訪れています。JALグループの航空機で現地入りしました。外相会談に先立ち、日本時刻12日午前(現地11日午後)、国立太平洋記念墓地を訪れ、献花・黙祷した、と報じられています。

 
[写真]11日午後(日本時間12日午前)、米ハワイ・ホノルルの国立太平洋記念墓地で戦没者の霊に黙祷を捧げる岡田克也外相=MSN産経ニュースから

 エリソン・S・オニヅカ空軍大佐のお墓も訪れました。

 
[写真]エリソン・S・オニヅカ空軍大佐(アメリカ航空宇宙局(NASA)ホームページから)

 オニヅカ大佐は、1985年1月、宇宙を飛んだ初めての日系人、素晴らしいジャパニーズです。オニヅカさんの2度目のフライト当日の1986年1月28日、岡田さんは通産省からハーバード大学に研究員として派遣されており、奥さんと一緒にアメリカにいました。

(引用はじめ)

 全米のみならず、全世界がテレビを通じて見守る中、発射後わずか70秒余りで宇宙船は突如爆発した。国家プロジェクトが一瞬にして挫折し、尊い7名の乗組員の命が失われた。国民すべてが悲しみに沈む中、レーガン大統領は4分間の真摯な演説を行った。犠牲者を心から悼み、しかし、宇宙計画は断固として続行するという力強い物だった。国民はどれほど勇気づけられたことだろう。

 私はアメリカの地で、政治や政治家の果たす役割の大きさ、あるいは政治の可能性の大きさに気づいた。と同時に、スキャンダルが頻発し、同じ党内での派閥争いに終始する日本の政治のありように、居たたまれない思いがした。

 日本の政治を何とかしなくてはならない、と強く感じた。また、アメリカでできていることが日本でできないはずはない、とも思った。

 あまりに強くそれを思ったがために、「自分が政治家になれば」などという、それまでなら決してあり得なかった発想が浮かんだのかもしれない。政治家になる--渡米前には夢にも思わなかった選択肢を胸に収めて、私は帰国した。

(引用おわり) 
岡田克也著『政権交代』 62~63ページから

 ハワイは日本と米国の真ん中の太平洋上にあります。ハワイで岡田さんは大佐の勇気を感じ取れたでしょうか。まあ、岡田さんもそろそろ、勇気をもらってばかりではなく、国民に希望と勇気を与えられる政治家に脱皮しなきゃいけないですね。岡田さんはすでに「レーガンさん」を上回る智者ですが、「存在としてのレーガン大統領」の威厳と荘厳さにはまだまだ遠く及びません。

 
[画像]チェレンジャー号爆発事故で毅然と対応した米大統領、ロナルド・レーガン=雑誌「US News & World Report」のレーガン大統領追悼号より

 太平洋、パシフィック・オーシャンとは、「平和な海」という意味です。元々は「波が穏やかな海」という意味合いで命名されたようで、真珠湾攻撃があったわけですが、 ここ半世紀ほど、太平洋、ハワイは、平和と豊かさの象徴となっています。レーガン大統領は、米カリフォルニア州の太平洋が見える丘に眠っています。

 来週1月19日(火曜日)、日米同盟は50周年を迎えます。

 ◇

 鳩山由紀夫総理は、12日午後9時頃、「日本時間の明日未明、日米外相会談がハワイで開かれます。日米同盟は日本外交の基軸。岡田外務大臣に期待します。」とツイッターでつぶやきました。

 

岡田外相が米戦没者に献花 - MSN産経ニュース

 【ホノルル=加納宏幸】日米外相会談のため米ハワイに滞在中の岡田克也外相は11日午後(日本時間12日午前)、第2次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争などで戦死した3万人以上の兵士が眠るホノルルの国立太平洋記念墓地(パンチボール)を訪れ、献花=写真=し、黙祷(もくとう)をささげた。岡田氏はこの後、同墓地内で、ハワイ出身のオバマ米大統領の祖父や、1986年のスペースシャトル「チャレンジャー」爆発事故で死亡した日系人宇宙飛行士、エリソン・オニヅカ氏の墓を訪れた。

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岡田外相、ロシア訪問で北方領土問題交渉へ

2009年12月18日 18時42分51秒 | 岡田克也、旅の途中
 岡田克也外相は27日(日)にロシアを訪問(29日朝帰国)し、日露外相会談で北方領土問題を含めて話し合うことを、記者会見で発表しました。岡田克也さんのロシア訪問は14年ぶり。

 北方領土(歯舞諸島、国後島、択捉島、色丹島)は「千島・樺太返還条約」に基づき、明々白々に日本の領土ですが、1945年8月の太平洋戦争終戦のあとに、ソ連軍が宣戦布告無しに侵略し、64年経った現在もロシアによる不法占拠が続いています。ソ連軍の進駐は、米ソによる日本列島の分割をにらんだもので、ソ連は東日本の占領をねらっていたが、根室岬の手前までに留まった、というのが私の歴史認識です。

 外相は質疑応答で、「短期間で劇的に進む話ではないと思います。少しずつ積み上げていく。そういう話だと思っていますので、外相レベルでも何回もやる必要が出てくると思いますが、そのためのスタートだと考えております」と語りました。

 9月16日の外相就任後、あくまでも日本のため、公のために馬車馬のように働く岡田克也。

 「日ソ平和宣言の鳩山(HATOYAMA)」ブランドもいかして、北方領土返還→日露平和条約締結に向けて、50年先、100年先を見すえた岡田外交に期待します。

tags Okada,Katsuya(1953-)
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「政治家としての勇気の差かな」 

2009年11月26日 15時54分09秒 | 岡田克也、旅の途中

【衆院安全保障委員会 2009-11-26】

 朝の8時40分という極めて早い時間から、岡田克也外相・北澤俊美防衛相に対する一般質疑がありました。

 不正常国会での安保委の運営について、安住淳委員長が反省を述べてからスタートしました。

 公明党の佐藤茂樹さんの質問。米海兵隊普天間飛行場の米空軍嘉手納基地への統合案について。

 北澤防衛相は岡田外相が検証を続ける「統合案」について、就任直後の沖縄訪問では、「厳しい道のりだ」と感じたとの心情を吐露しました。その上で、

 「岡田大臣が(嘉手納統合案に)挑戦しているのは、政治家としての勇気の差かなあ、と思っておりまして。私は少し難しい話かと思っていましたが。岡田外務大臣は難しいから探求してみたいと。同僚が言うのも何ですが、その勇気は称賛に値する」と述べました。

 そのうえで、「新しい政権を担った責任者として、(外相が)探求すべき問題だ」として、岡田さんの検証作業を見守りたいと明言しました。

 ◇

 北澤大臣の報道での発言のブレが指摘されました。北澤大臣は次のような答弁をしました。

 「(防衛相と外相の)両極を作ると報道がしやすいということで、私はロマンチストだと思っていますが、世間でみると、(私は)リアリストのような感じがするらしい。私が辺野古案を容認しているように報じられていますが、これはまったくの間違いであります。私と岡田外務大臣は何度も協議する中で、まったく同じ姿勢でやっております」
 「私は辺野古のへの字も言ったことはない」「報道の諸君とはあまり会話をしないようにしている」

 佐藤議員が北沢さんが

 ①「野党時代に地元紙に県連代表として寄せたコメント」
     と
 ②「大臣として述べた認識」


 
が違う、と指摘しました。

 この質問について、北澤大臣は次のように答弁しました。

 「政治には、与野党がありまして、野党の立場で、政治的に発言し、行動することは政権獲得への一つの段階であるということでご理解ください」。

 岡田外相、安住委員長が苦笑い。

 佐藤さんは念を押します。「当時の認識と防衛大臣の認識は変わったのか?」

 「防衛大臣の重い任務を背負った中で、佐藤議員の質問に誠実に答えたものです」とマジメにこたえ、安住委員長は笑いをこらえているようにみえました。

 佐藤議員はこれ以上、追及できませんでした。

 ふざけているように思うかも知れません。が、このような胆力のある答弁はなかなかできるものではありません。北澤さんは議員室の執務机に「大辞林」と「字源」を常に平積みに置いている「日本語のプロ」です。だから、こうやって流れにそって国会答弁を乗り切れるのです。

 北澤防衛大臣を手強いと感じたのか、自民党の岩屋毅元外務副大臣(大分3区比例)が、質問の冒頭で、「濱田和彦・防衛大臣秘書官」が大分県別府市出身だ、と持ち上げる場面もあり、裏方さんの名が2009年11月26日の衆院安全保障委員会の会議録に永久に残ってよかったと思います。

 岡田・北澤コンビは必ず沖縄の負担軽減に向けてソフトランディングできます。信なくんば立たず。私は政治家以前に人間として二人を尊敬しています。私が保証します。岡田・北澤コンビは1994年6月30日、あの羽田内閣を倒された日から、15年2ヶ月間野党ひとすじに耐えてきた人です。沖縄のみなさん、大丈夫です、安心してください。

tags Okada,Katsuya(1953-),Kitazawa,Toshimi(1938-) 

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岡田克也のやさしさ原理主義

2009年10月19日 20時25分46秒 | 岡田克也、旅の途中
 与党になってから、政務三役もそれ以外も新人も議員、秘書ともピリピリしたムードが漂っていて、このところ、国会に行っていません。

 来週からは時々行くでしょうから、よろしくお願いします。

 ここら辺で、少し軽いテーマにしたいところですが、とりあえずやや軽いテーマ、優しさを感じるテーマです。

 岡田外相がきのう18日夕方、横浜駅前で、参院神奈川補選(25日投開票)の金子洋一候補=民主党公認・国民新党推薦の応援にかけつけました。

 首都高速の霞が関入口から横浜出口までは30分ほどで行けます。しかし、岡田外相は「電話でやりとりできる外相50人作り」を目標に世界を駆け回っていますから、よく行けたなあ、という気がします。

 とはいえ、岡田さんは絶対的に神奈川補選の応援に入ると思っていました。

 民主党三重県第3選挙区総支部長の岡田さん。実は金子洋一さんは少し前まで、三重5区総支部長だったのです。四日市工業地帯を中心とする3区から近鉄に乗って南下し、県都・津を越えてもっと南に行き、志摩半島に行くと、そこが三重5区です。なんといっても、伊勢神宮があるのが特徴です。

 神奈川県出身の金子さんは、三重5区に落下傘で2回挑戦しましたが、自民党現職・三ツ矢さんの厚い壁にはばまれました。

 地元出身者を求める声もあり、第45回衆院選は元県会議長の息子である、藤田大助さんが闘いました。最後に大逆転できそうな気配でしたが、危機感を感じた三ツ矢議員が自ら「比例重複を辞退」したのが、地元の方に心意気を感じさせたようで、三ツ矢氏が当選し、藤田さんは比例復活で初当選を果たしました。

 岡田陣営では、金子さんに総支部長を明け渡してもらって藤田さんが出たこともあり、5区の方も必勝したいということで、山を越えてサポートしましたが、小選挙区で勝てず残念、という声が上がりました。

 城下町・津が地盤の中井洽国家公安委員長(三重1区)、工業地帯・鈴鹿が地盤の三重2区中川正春・文科副大臣(科技担当)、工業地帯であり商都である四日市3区の岡田外相に続き、ベッドタウン4区では森本哲生さんが小選挙区初当選。5区では藤田大助さんが比例初当選ということになりました。

 海千山千の三重県は、市域ごとに独立した気風が高いとされています。神奈川生まれの落下傘ということになると、苦労が絶えなかったと思います。

 故郷に帰り、新しい立場から国政をめざす金子洋一候補。このところ、私は有料ブログ併設の準備で過去のエントリーを振り返る作業をしていたのですが、大事な局面で金子さんから助かるコメントをいただきました。優しさと官庁エコノミストの誇りを持って、国政にチャレンジする金子候補。

 岡田さんは約束を必ず守る人だと言われています。金子さんの応援に駆けつけた岡田さんに優しさ原理主義を感じました。

 新聞の世論調査では、3分の1以上の有権者が投票先を決めていないということで、低投票率確実の厳しい闘いです。そして、“帰郷”とはいえ、国替え候補である金子さんにとってはこの選挙が「ラストチャンス」であることを、是非ともご理解いただきたい。

 参院神奈川補選(定数1)には、いずれも新人で、
 自民党の角田宏子さん
 共産党の岡田政彦さん
 民主党の金子洋一さん(47)元内閣府職員=国民新党推薦
 諸派の加藤文康さん

 の4人が立候補しています。
 
民主党:岡田外相、神奈川で街頭演説 発足1カ月の鳩山内閣へ支持求める

 岡田克也外務大臣は18日夕、神奈川県の横浜駅前で街頭に立ち、鳩山内閣への支持を求めた。

 岡田外相は、発足1カ月が過ぎた鳩山内閣の掲げる政治主導の取り組みについて、政治家が中心になり、国を動かしていると指摘。国民の皆さんも、「目に見えて変わってきている」「今までと違うやり方が実現されている」と実感しているのではないかと思うと、自らの認識を示した。

 また、日ごろの直接対話によって国民の皆さんが肌で感じることを受け止めているかどうかが、政治家と官僚の違いであるとの見解を述べ、「国民の皆さんの気持ちを政府の中に取り入れることは、政治家でないとできない」と主張。政治主導の新しいやり方を、更に進める考えを語った。

 外交については「国民の信頼と支持の上に立って初めて力を得る」ものであると述べ、その認識に立って密約の事実調査を指示したと報告した。また、鳩山由紀夫総理大臣の就任後の首脳外交について、首脳間の信頼関係を構築し、距離感を縮めることができたと振り返った。

 岡田外相は、自身のアフガニスタン、パキスタン訪問にも言及したうえ、「国民の皆さんの支持があるからこそ鳩山内閣は仕事ができる」と述べ、閣僚と民主党をさらに支えてほしいと訴えた。

 演説会では、神奈川県関係の衆参両院議員が揃い、党活動への支持を求めた。
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25%削減にTOYOTA社長が“アクセルGO” 国民75%支持

2009年10月05日 13時58分51秒 | 岡田克也、旅の途中


[写真]トヨタ自動車の豊田章男社長(日経新聞の写真をトリミングさせていただきました)

 10月5日付読売新聞に世論調査(電話RDD、10月2日~4日)の結果が出て、一つ驚くべき数字がありました。

 民主党マニフェストに盛られた5つの政策への賛成-反対が載っていました。

 項目          賛成(%)-反対(%)
 子ども手当       57-39
 高速道路無料化    26-69
 インド洋給油終了    48-37
 温暖化ガス25%削減 75-19
 八ツ場ダム中止     44-36

 となっております。第45回総選挙の民主党得票率は小選挙区47・4%、比例42・4%で、野党(自公共)に投票した人や棄権した人も世論調査の対象になってきますから、ある程度の厳しい数字はやむを得ないところです。

 しかし、「温暖化ガスを2020年までに1990年比で25%削減する」という地球温暖化(気候変動)への対応の枠組みについては、ナント75%が賛成、19%が反対、6%が「答えない」ということで、とても大きな支持を集めています。

 気候変動サミットや国連総会で鳩山由紀夫総理が「25%」を国際公約したときには、国内でかなりの批判があったように感じていたので、かなり意外。

 これに先立つ3日付日経1面は、トヨタ自動車の豊田章男社長が2日の講演で、“25%削減”について、「ブレーキをかけるのではなく、アクセルを踏んでいく」「社内で現在、スタディー中だ」「電気自動車や燃料電池車などの投入を考えざるを得ない」と前向きに取り組んでいく考えを示しました。

 

 豊田社長は、鳩山政権が「どういう施策を探ると実現できるかを検討している」として、政府との意見交換が必要との認識を示したようですが、さすがは世界のTOYOTAと思わせる発言も。

 「自動車業界は100年に1度の変革が求められている」

 「顧客が何を欲しがっているかをとらえ、技術を安く提供できる会社が

 今後の100年を生き抜いていける

 「正直、今は勉強中だが、

 鳩山首相が国連総会の場で発言しただけに、我々としても一生懸命やっていく

 100年前、「TOYOTA」の名前を知っている人が世界に何人いたでしょうか。豊田章男さんは豊田家の4代目、自動車創業後は3代目になりますが、100年先を見るトヨタ・スピリッツの継承を感じます。

 私は昨年2月4日付のエントリー(http://blog.goo.ne.jp/kokkai-blog/e/6f06e19c7c9f37230f12d77c6d60c7fd)で、

(上記エントリーから引用はじめ)

トヨタマンは「イエス or ノー」を迫られると、「イエス」としか言わない傾向があります

(引用おわり)と書きました。

 これは、引退した伊藤英成・初代政調会長直嶋正行前政調会長=現・経産相らトヨタマンの民主党議員を見て感じたことです。

 日本で生まれた世界のトヨタが、「人へ。社会へ。地球へ。」というかつてのキャッチコピーを体現するかのように「25%」に舵を切りました。

 5日付日経7面には、きょう(5日)から日本を訪れる英国のマンデルソン民間企業・規制改革担当大臣という人に、現地(ロンドン)でインタビューした記事が載っています。マンデルソン大臣は「温暖化ガスの排出の削減の過程で新たな技術や新市場が生まれる」として、負担だけでなく経済的なメリットがあると強調しています。

 エコカーや太陽電池(太陽光発電)をはじめとした省エネ技術では、日本は世界でトップ、ここ数年でドイツに一気に抜かれましたが、なお世界第2位の地位にあります。

 それなのに、大手製造業の社長らが構成する「経団連」が反対する。政権政党、国民、地球、そしてTOYOTAが「25%」に舵を切ったのに、経団連が反対しているという構図には、「ものづくりハイテク日本もここまで落ちたか」と嘆息せざるを得ない。

 「25%」が日本に新しいビジネスチャンスをもたらすことを理解できないサラリーマン社長は経団連から去れ、今年末には経団連会長の任期切れに伴う次期会長が内定するようですが、「25%反対」の経営者が会長になるようだったら、もはや経団連などいらない、日本の成長戦略の阻害要因だといってもいいのではないか。日本商工会議所や、経済同友会があるんですから、経団連の歴史的使命も自民党の一回休み(野党転落)とともに大きく揺らいでいるとしかいいようがありません。

 エコは一人一人の心がけというという認識は国民全体に広まりつつあり、私たち日本人は誇りに思って良いと思います。しかし、省エネ技術の発達に関しては、国民一人一人がどうこういえる問題ではない。自民党政府は、「一世帯あたり年間38万円の負担増になる」との試算を出しています。私には、「38万円の内需創出」ということで例えば電気工事業の人の仕事は増えると思うのですが、岡田克也外相、福山哲郎外務副大臣らが試算見直しを公言していますので、その作業に注目したいと考えています。

 鳩山総理が国際公約にしたことで、国内での「25%」の動きが加速してきました。この動きに逆行することは難しい。そして、その動きに真っ先に手を挙げたのがTOYOTAだということに、大手製造業、金融業のサラリーマン社長は刮目すべきだと思います。
  
NIKKEI NET(日経ネット):企業ニュース-企業の事業戦略、合併や提携から決算や人事まで速報

CO2削減「アクセル踏む」 トヨタ社長
 トヨタ自動車の豊田章男社長は2日、日本記者クラブで会見し、政府の温暖化ガス削減目標について「(政府が)どういう施策を採ると実現できるかを検討している」と述べ、政策などへの要望を行っていく考えを示した。鳩山新政権が温暖化ガスを2020年までに1990年比で25%削減することを目指すのに対し、企業が排出量を減らす場合の優遇措置などで政府と意見交換する意向とみられる。産業界では25%の削減目標は厳しいとの見方が増えているが、今後達成への具体策についての議論も広がる可能性がある。

 豊田社長は「(政府が打ち出した目標に)ブレーキをかけるのではなく、アクセルを踏んでいく」と表明。実現に必要な策を「社内で現在、スタディー中」だと語った。“脱石油社会”の到来は避けられず「電気自動車や燃料電池車などの投入を考えざるを得ない」とし、商品化を進めるハイブリッド車だけでなくあらゆる種類の環境対応車の開発・普及を加速させる方針を強調した。(02日 22:21)

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「過密」「疲れた」「慣れていない」 岡田外相が開放記者会見で様々なディスクロージャー

2009年09月29日 23時59分59秒 | 岡田克也、旅の途中

[写真]岡田克也外相の定例記者会見を待つ記者、ジャーナリスト、報道カメラマンら=外務省記者会見室、2009年9月29日午後5時過ぎ、宮崎信行撮影

 岡田克也外相が29日夕方の外務省内での記者会見をフリーランスやネットメディアなどに開放しました。私も「こりゃ、人として行かなきゃならん」と外務省報道課に事前登録して出席しました。

 私は特段、府省の記者会見のクラブ外への開放を求める運動はしておりませんでしたから、神保哲生さん上杉隆さん、日本外国特派員協会(FCCJ)、日本インターネット報道協会、日本雑誌協会のみなさんに感謝申し上げます。

 私も大臣に直接、確認したいことがあったので、質問しました。既に会見のもようは外務省のYouTube公式チャンネルにアップされています。29分からです。この質疑については、朝日新聞毎日新聞が記事にしてくれていますので、そちらに譲ります・・・正直うれしい(^_^)v。紙面・リンク先をご覧ください。

(私の質問内容を受けた、毎日、朝日の記事。引用はじめ)

民主党:職員ら米に選挙前派遣 岡田外相認める - 毎日jp(毎日新聞)

 岡田克也外相は29日の記者会見で、衆院選前に民主党職員と岡田氏の秘書らが訪米したことを認め、「米政府のほうから非公式に意見交換したいという申し出があり、党職員を派遣した」と語った。

 党幹事長だった岡田外相の本庄知史秘書と民主党政調会の須川清司部長が8月9日から約1週間、訪米した。岡田外相は「今だから言えるが、(米政府が)政権交代を見越した話だった」と述べた。

asahi.com(朝日新聞社):米、総選挙前に民主と接触 岡田外相明かす - 政治

 岡田克也外相は29日の記者会見で、総選挙投開票前の8月中旬、米政府の非公式の働きかけで民主党職員を米国に派遣し、日米関係などで意見交換していたことを明らかにした。米側の働きかけについて岡田氏は「政権交代をある程度見越しての話だったと思う」と説明。米政府が政権交代前から民主党との接触を急いでいたとの見方を示した。

 当時、岡田氏は党幹事長で外相を含め重要閣僚への起用が取りざたされていた。派遣したのは、外交政策を担当していた党政策調査会幹部。岡田氏の政策秘書も同行し、約1週間滞在した。ただ、会合の相手について岡田氏は「申し上げない方がいい」と明言を避けた。(蔭西晴子)

(引用おわり)

岡田外務大臣会見(平成21年9月29日)



 また、テキスト版(9月29日分)は、外務省ホームページにいずれアップされると思います。

 で、せっかく記者会見で直接、岡田外相の様子を見てきたのですから、その観点からエントリーを書きます。

 鳩山内閣の18人のうち、14人が初入閣の大臣ですが、その中で岡田さんは落ち着いているように見えましたが、意外な発言が冒頭からありました。

 「(前回の記者会見からの)この間、ニューヨークへの出張と上海への出張とありました。(略)ややスケジュールが過密すぎるなという感想は、率直に(言って)ございます」「今週もまたカンボジアに行くということで、慣れない生活でやや疲れておりますけれども、まあ元気に頑張っていきたいと思います」。

 ディスクロージャーの象徴とも言える大臣会見での一連の発言は、「人間が弱いという当たり前の現実」をディスクロージャーすることで、民主党支持者からの声援を背中に受けられるという考えもあるでしょう。鳩山内閣には、気負いのある大臣もいるようですが、ネット世論では、「民主党が未熟である点も含めてディスクロージャーする姿勢を評価している」という意見がありました。

 「デモクラシー(民主政治)はディスクロージャー(情報公開)から始まる」という発想が岡田さんには貫かれていると思います。

 そして、正と負の情報は背中合わせであって、負の情報をさらけ出すことで、自分への理解と支持を得られる。これは整体師の免許を持っている人は知っていると思いますが、陰陽思想でも「背中が陽」、「お腹が陰」です。自分の背中(弱い部分)を見せることで、前に進む力が得られる、あまり馴染みがないでしょうが、これは政治家の基本だと思いますので、興味のある人は調べてみてください。

 また、記者会見とは別に前々からディスクロージャーされている岡田さんの9月28日付ブログでは国連総会の感想として、「英語力も身に付けなきゃいけないな」という意外なことも述べています。

 岡田さんは20歳代はあまり英語は得意でなかったようですが、31歳のとき、1985年、通産省からハーバード大学国際問題客員研究員に派遣されています。この間に1ヶ月間の語学研修・1年間の英語での生活をしています。ただ、国連総会の英語は、“外交英語”ですし、ハーバード大学のある州は日本で言えば“京都”にあたりますから、世界192カ国からやってくる国連総会場での英語はかなり雰囲気が違うと思います。むしろ現代は、後者の方が「世界共通語」になっている。その辺でのブラッシュアップが必要だという意味合いだと思います。

 記者会見に戻ります。沖縄・普天間移設について、鳩山総理、北沢防衛相、岡田外相の間に閣内不一致があるとの質問で、「北沢さんは現場を見て、いろんなご感想があったんだと思いますが、まあなんといいますか、みんなお互いまだ閣僚に慣れていませんので、(北沢防衛相は)やや率直に言いすぎている面があるのかもしれませんね」と述べました。

 以前から指摘しているように、北沢大臣の発言は8割が思い付きです。また、経世会では1990年に岡田克也さんが衆院で初当選、1992年に北沢俊美さんが参院で初当選。体育会系の経世会では、2年先輩大きい。ともに羽田孜元首相の愛弟子であり、北沢さんは岡田さんを「克ちゃん」と呼んでいるそうで、外相と防衛相の間にすきま風はないと思います。平たく言えば、岡田外相に任せよう、ということです。 

 これらすべてを含めて、岡田さんは元気で、表情も良かったです。岡田さんは顔に疲れが出やすい体質のようです。おそらくトレーニングで筋量を増やしているので、血液が体の上に行き、顔がむくみやすくなるのだと考えます。眠ればすぐに戻るように見受けられます。

 新しく民主党の支持層に加わった若い世代では、「あの人、バズ・ライトイヤーに似てるよね」との声が上がっています。「トイ・ストーリー」の主人公を助ける最強キャラクターで「無限の彼方へ さあ行くぞ!」が決めぜりふの正義の味方。ネット上でも以前から話題になっているようですが、映画の中ではおっちょこちょいのキャラクターとしても描かれています。

 記者会見をめぐるルールについても「試行錯誤を繰り返しながらやっていきたい」と発言しました。試行錯誤をさらけ出す、ディスクロージャーしながら、国民に縁遠い外交を国民の手に取り戻して欲しいと感じました。

全メディアに記者会見を開放 岡田外相 - 47NEWS(よんななニュース)

 岡田克也外相は29日、記者会見を外務省記者クラブ所属の報道機関に限らず全メディアに開放した。事前登録したフリーランスやインターネットメディアの記者ら約20人が今回初めて参加し、会見は約50分間に及んだ。

 岡田氏は「従来の状態を続ければ、記者クラブ以外の記者の取材機会を奪い、国民の知る権利にもかかわる問題になる」と開放の意義を強調した。

J-CASTニュース : フリーやネット記者が参加する「歴史的な日」 外相記者会見のオープン化が実現

   これまで一部のメディアだけに限定されていた閣僚会見の扉が少し開いた。岡田克也外相は2009年9月29日、記者会見のオープン化を実行に移した。外務省の会見室にはフリー記者やネットメディアも含めた多数の記者がつめかけ、熱気に包まれた。

 「今日から記者会見をすべてのメディアに公開する」
 
会見ではフリーの記者からもたくさんの質問が飛んだ    オープン化されて最初の大臣会見が開かれた9月29日の夕方。外務省3階の会見室には約80人の記者・カメラマンが押しかけ、用意された席に座れない者も出るほどだった。そのうち、記者クラブの加盟社以外のフリーランスやネットメディアの記者は約20人。なかには、会見をネットで生中継しようというニコニコ動画のスタッフたちもいた。

   岡田外相にとっては約1週間にわたり米国や中国を訪問した直後の定例会見だったが、メインテーマは「大臣会見の開放」だった。会見開放の基本的な方針について説明しながら、岡田外相は、

「今日から大臣・副大臣の記者会見をすべてのメディアに公開することにしたい」
と宣言した。

   岡田外相が記者会見のオープン化を発表したのは9月18日。外務省の記者クラブに所属していないメディアにも会見を開放したのにあわせて、会見の時間は閣議直後の午前から夕方へ、場所は国会・首相官邸から外務省へと変更された。その後、従来通りの会見を求める記者クラブとの間で文書のやりとりがあったが、「クラブから記者会見の開放そのものについての明確な見解は示されなかった」として、会見開放を実現させた。

   岡田外相によると、記者クラブからは

 「開放するということに関しては、意見の一致を見ることができなかった。引き続き、加盟社や上位組織の話し合いを見守りながら、検討していくこととする」
という形で、会見開放に賛同していない旨の回答があったという。しかし、「従来のやり方を続けるとそれ以外の記者の取材の機会を奪うことにもなりかねず、国民の知る権利にも関わる」ということで、「こういうふうに判断したということをご了解いただきたい」
と述べた。

 「大メディアの圧力は感じていない」
   17時40分から始まった会見は、記者からの質問があいつぎ、予定の30分間をオーバーして45分近くに及んだ。記者クラブ所属の新聞社や通信社の記者と、フリーやネットメディアの記者が交互に質問するように形で進んだが、クラブ所属の記者が米軍基地再編や密約問題など外交そのものについてたずねていたのに対して、クラブ以外の記者の質問は会見の開放に関するものに集中した。

   そのことについて、会見を取材していた大手新聞の記者は

「個人的にはオープンにしていくのはいいことだと思う。ただ、フリーの記者がどういう鋭い質問をするのか興味があったが、今回は外交問題に関する質問があまり出なかった」
と拍子抜けした様子だった。逆に、会見の方式変更に不満を感じているはずの新聞やテレビの記者からは、不思議と記者会見についての質問は出なかった。ネットメディアの記者からは

「会見開放をやめるように大メディアから圧力がなかったか?」
という質問も出たが、岡田外相は

「特に私は感じておりません」
と簡単に答えたのみだった。その代わりに、今回の会見開放が持つ意味について、

「現時点で一番オープン化が進んでいるのは外務省だと思うので、我々がいろいろ試行錯誤をしていくなかで、それが他の役所でも伝わっていけばいいと思う」
と語った。会見終了後、フリーランスのビデオジャーナリストとして活動してきた神保哲生さんは

「今日は歴史的な日だと思う。記者会見の開放問題に20年間取り組んできたが、日本におけるいろいろな問題の根っこに情報公開の問題があると確信している。今回の記者会見開放は、日本の政治や経済に変革をもたらす一歩になるのではないか」
と感慨深げに話していた。



tags 岡田克也の英語力 

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【地球温暖化】総理、「鳩山イニシアティブ」発表 国際排出量市場創設へ、一歩を踏み出す

2009年09月23日 00時52分57秒 | 岡田克也、旅の途中

[写真]国連の気候変動の枠組みサミットの開会式で「鳩山イニシアチブ」を発表する鳩山総理=9月22日、米ニューヨーク

 鳩山総理は21日夜(日本時間22日午前)、国連気候変動サミット(気候変動=地球温暖化=の枠組みに関する首脳会合)で「1990年比で2020年までに25%の温室効果ガスを削減する」とし、米中の巻き込みを念頭に、「排出量取引導入」を明言しました。さらに国連加盟各国(途上国)に対して、「鳩山イニシアチブ」を提案。日本・EUなどの技術・資金援助により、“気候変動枠組み”への世界各国の取り込みを図り、米中に対して、参加カードを突き付ける第一歩を記しました。

 民主党は野党時代の2008年1月、「地球温暖化対策本部」(岡田克也本部長、福山哲郎・事務局長)を発足させ、政策作りを進めました。昨年と今年の通常国会に「地球温暖化対策基本法案」を提出しましたが、ともに審議されず廃案となっています。

 第1次鳩山内閣は、地球温暖化対策本部長だった岡田さんを外相に、同事務局長の福山さんを外務副大臣に起用。法案発議者8人の1人である直嶋正行さんを経産相に起用し、衆院財政金融委が長い小沢鋭仁さんを環境相につけました。直嶋さんと福山さんは政調会長・同代理コンビ、小沢環境相は鳩山グループ(実現する会)の事務総長です。

 今後は、鳩山・岡田・福山・直嶋・小沢(鋭)のラインで、“排出量取引市場”で「ハイテク・ニッポンを復活させ、お金を儲け、地球を冷やす」という一挙三両得をめざす、というのが真のねらいです。

 なお、「国会傍聴記by下町の太陽」では、これまでも排出量取引市場の確立による地球温暖化の防止についてウォッチしてきましたが、引き続きウォッチしていきたいと思います。この問題については、当方が当ブログとは別途設けることを予定している有料媒体を中心にご紹介していくことを考えています。

【当ブログ内の参考資料】

 2008年6月4日に民主党が国会に提出した地球温暖化対策基本法案(筆頭発議者・福山哲郎外務副大臣、発議者は直嶋正行経産相ら合計8人=肩書きは現在)の原本の写し


【温暖化】排出権取引市場2010年創設 民主党、基本法案を提出2008年06月

【地球温暖化】岡田・李克強会談で中期目標にはずみ2008年07月

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【地球温暖化】岡田外相、クリントン国務長官に「気候変動」強調し“排出量”へ米巻き込み

2009年09月23日 00時52分45秒 | 岡田克也、旅の途中

 岡田外相が国連総会を前にニューヨークに到着し、アメリカのクリントン国務長官と会談しました。クリントン長官が冒頭カメラの前で「とても光栄です、新しく外相になってから、お会いするのがこんなに早く・・・」と話すと、岡田さんは掌を広げて、「5」を示しました。国務長官は、「わずか5日間で会えるなんて・・・」と続けました。

 わが国と米国の二国間関係が対等なものであることを感じさせました。あたりまえのことですが(^^;)、新政権ですからしっかり和やかに確認しました。

 岡田外相は、新政権が100日以内に取り組む課題を3つあげ、その筆頭に「気候変動(地球温暖化)」を挙げました。

 この後、開かれた国連の気候変動枠組みサミットで鳩山総理が「わが国は、1990年と比べて温室効果ガスを25%、2020年までに削減する」とし、鳩山イニシアチブを表明

 ドイツに続く環境技術をもつ日本。EUと手を携え、新興国を鳩山イニシアチブで味方につけて、アメリカ、中国、インドなどの国際排出量取引市場への参加を促します。

 鳩山総理、岡田外相、小沢鋭仁環境相が手を携え、COP15(コペンハーゲン)に向けて、しっかりとしたチームプレーができつつある。さながら「1番・岡田が塁に出て、2番・鳩山がきっちり送り、3番・小沢(鋭)が本塁に返す」という民主党全員野球が22日、国際デビューしました。

tag 鳩山由紀夫首相、岡田克也外務大臣、小沢鋭仁(おざわ・さきひと)環境大臣
 
「密約」や給油活動には触れず…日米外相会談(読売新聞) - goo ニュース
 【ニューヨーク=宮井寿光】岡田外相は21日夕(日本時間22日未明)、ニューヨーク市内のホテルでクリントン米国務長官と初めて会談し、日米同盟を強化していく考えで一致した。

 米海兵隊普天間飛行場の移設など在日米軍再編については、両政府で改めて意見交換することを確認した。

 長官は会談で、「日米同盟は米国外交のコーナーストーン(礎石)だ。日米関係の幅を広げ、深いものにしたい」と述べた。外相は「30年、50年たっても持続可能な、深みのある日米関係を構築したい」と応じた。

 外相は、今後100日以内に取り組む課題として、〈1〉気候変動〈2〉アフガニスタン・パキスタン支援〈3〉在日米軍再編――をあげ、米国の協力を要請した。

 そのうえで、2006年に日米両政府が合意した在日米軍再編の行程表に関し、外相は「具体的な対応を政府の中で検討する。(民主党が)賛成しなかったことも合意内容にある」と述べ、見直しに意欲を示した。

 長官は「現在の合意が基本だが、日米同盟にかかわる問題は話し合っていこう」と答えた。

 また、アフガンの復興支援について、外相は民生分野の支援で積極的な役割を果たす考えを伝えた。インド洋での給油活動や、核持ち込み「密約」の問題は取り上げられなかった。

 両外相はこの後、オーストラリアのスミス外相を交えて日米豪閣僚級戦略対話を開催。北朝鮮の核や弾道ミサイル開発を認めない考えで一致した。

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YouTubeに岡田かつや公式チャンネル

2009年07月15日 01時01分45秒 | 岡田克也、旅の途中

 岡田克也(岡田かつや)さんの誕生日はフランス革命の日なんですね。7月14日、56歳になりました。

 民主党幹事長の岡田克也さん(三重3区)の声を発信する「岡田かつやYouTube公式チャンネル」が立ち上がりました。
http://www.youtube.com/user/KatsuyaOkada

 二大政党の現職の代表・幹事長級がYouTubeに公式チャンネルを持つのは初めてです。これにより、代表・幹事長が個人として、自分の声でビデオメッセージを発することができます。

 日本デモクラシーの大きな前進です。とはいえ、英女王も、ローマ教皇もYouTube公式チャンネルを持っているんですから、日本は遅れているよね(^^;)

 自民党では幹事長経験者、閣僚経験者などがいかにも業者に丸投げしたと思われるYouTubeチャンネルを持っていますが、アクセス数は極めて少ないようです。

     ↓
できれば直接リンク先に飛んでから見てください。
http://www.youtube.com/watch?v=Su9dA3ftQ60

 YouTubeの公式チャンネルは、民主党では

民主党本部
http://www.youtube.com/profile?user=dpjchannel&view=videos

長妻昭・ネクスト年金大臣(東京7区)
http://www.youtube.com/user/nagatsumaTV

藤村修・ネクスト厚生労働大臣(大阪7区)、
http://www.youtube.com/user/fujimurachannel

小川淳也・四国ブロック常任幹事(香川1区)
http://www.youtube.com/user/h09027

らが持っています。

新人・元職では、
石田勝之・埼玉2区総支部長
http://www.youtube.com/user/officeishida

山尾しおり・愛知7区総支部長(初代アニーで東大卒の元検事)
http://www.youtube.com/user/shioristaff

大西健介・愛知13区総支部長
http://www.youtube.com/user/Kensukedotnet

森本和義・愛知15区総支部長
http://www.youtube.com/user/morimotokazu

高井崇・岡山1区総支部長
http://www.youtube.com/user/hirosumi

らが活用しています。(ほかにあれば、メールでお知らせください)

 さて、7月21日ごろ解散→8月18日公示→8月30日投開票という長い選挙戦になりますが、公示前にしっかりと固めていきましょう。名簿などもしっかり整理しましょう。

 お気に入りのYouTube動画のアドレスを、PCメール、ケータイメールなどで友人・知人に知らせて、「見てみて!」と誘うのは、解散・公示前の政治活動、立候補届出後の選挙運動期間を通じて、公選法上まったく問題はありません。ただし、「事後買収を約束する」ような動画は、過去に摘発例はないと思いますが、公選法違反の可能性があるでしょう。

kokkaiblogのチャンネルもよろしく!
http://www.youtube.com/user/kokkaiblog

 なお、これから8月18日までにYouTube動画チャンネルを始めたいという総支部は、ちょっとギリギリだと思いますが、若くてストレスに強い人がいるならば、意外と簡単ですので、やってみたらいいかもしれません。私は「田口和裕・YouTube完全攻略マニュアル」という本を参考にして作りました。

http://www.amazon.co.jp/YouTube-%E5%AE%8C%E5%85%A8%E6%94%BB%E7%95%A5%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%83%AB-%E7%94%B0%E5%8F%A3-%E5%92%8C%E8%A3%95/dp/4844324705/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1247587867&sr=1-1

 もし、よろしければ、私の方に10分未満の動画(wmvウィンドウズ・メディア・ビデオなどの方式)を送ってもらえれば、kokkaiblogチャンネルにアップロードできるかもしれません。

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