goo blog サービス終了のお知らせ 

ニュースサイト 宮崎信行の国会傍聴記

元日本経済新聞記者の政治ジャーナリスト宮崎信行が3党協議を現地で取材したり国会中継を見たりして雑報を書いています。

ヴルフ独大統領が岡田克也さんと伊勢神宮参拝 

2011年11月02日 05時00分15秒 | 岡田克也、旅の途中


[写真]伊勢神宮参拝を前に、お手水(オチョーズ?)をなさるヴルフ大統領(右)と民主党最高顧問で三重3区選出衆院議員の岡田克也さん(ドイツ連邦共和国大使館ホームページから)

 2011年10月23日(日)から28日(金)まで日本を訪れたドイツ連邦共和国のクリスティアン・ヴルフ大統領(ウルフ独大統領)の滞在中の写真が、同国日本大使館のホームページで公開されました。

 この中で、岡田克也さん(民主党最高顧問、衆院三重3区選出衆議院議員)とともに、伊勢神宮を訪れた写真も公開されました。













 なお、これに先立ち大統領は、四日市市にある「エボニック・モノシラン・ジャパン四日市工場」を訪れました。大統領には、ドイツ政府専用機に同乗した岡田克也さん、ドイツリーグに所属し大統領と一緒に帰国したなでしこジャパンの安藤梢選手らも同行し、現地では鈴木英敬(すずき・えいけい)三重県知事らが出迎えました。ここは四日市市石原町ですので、三重2区の中川正春・文部科学大臣の選挙区になります。

 グローバリゼーションの相克(そうこく)としてローカリゼーション、あるいはブロック化の様相を呈し始めたリーマン・ショック後の世界経済。人と人のつながり、人と自然のつながりに立脚して、一人一人の謙虚さが求められます。

 ◇

 ヴルフ大統領が伊勢神宮で記帳した内容(日本語訳)がドイツ大使館ホームページに載っています。


 
「私たちドイツ人は、日本から、そして日本において多くを学ぶことができます。日本の文化に敬意を抱き、日本の方々の心遣いに感激しています。

人生において本当に大切なものは何か。伊勢神宮というこの特別な地においては、それをはっきりと感じとることができます。

貴国日本が、これからも自然との深いつながりを守っていかれますことを心から念じています。

日出ずる国日本とドイツ連邦共和国の良好な関係を願いつつ。

クリスティアン・ヴルフ 
2011年10月26日




[写真]政府専用機で離日するヴルフ大統領(ドイツ大使館ホームページから)

 どうぞまたおこしください。

今後の政治日程 by 下町の太陽・宮崎信行
(有料ブログ)
http://regimag.jp/b/sample/list/?blog=65

 こちらのブログは有料ブログで、月840円(税込み)となります。初月度無料ということで試し読みできますので、いつからでもご登録いただけます。

 これまでのクレジット払いに加えて、「ポイント」を、コンビニ払いや銀行振り込みで購入して頂き、そのポイントを今後の政治日程 by 下町の太陽・宮崎信行の購読に充てていただくことができます。ですから、個人だけでなく、法人として購読していただくこともできます。

今後の政治日程 by 下町の太陽・宮崎信行」の購読のしかたは、下のアドレスでご確認ください。
http://regimag.jp/navigation/buy

-----------------------------------------------------------------------------------------------

[お知らせ②]

 確かな取材、情報源に近づけるために、「国会傍聴取材支援基金」にご協力いただきたく存じます。

 詳細は、次のリンク先(http://blog.goo.ne.jp/kokkai-blog/e/e8879dfc5196cbd00d79ece544842407)でお読みいただけます。

 「国会傍聴取材支援基金」の創設とご協力のお願い

 どうぞよろしくお願いいたします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

年度末解散ねらい? 自公が”岡田克也筆頭理事包囲網” 宿敵・石破茂さん、「弟」高木陽介さん

2011年10月26日 20時17分24秒 | 岡田克也、旅の途中

【公明党が衆院予算委に武闘派議員を配置して来年通常国会の3党合意反故、解散前倒しも視野か?】

 公明党は第179臨時国会で、衆院予算委員会の理事を富田茂之(比例単独南関東、党千葉県本部代表)さんから高木陽介・党幹事長代理(比例単独東京ブロック1位)に交代させました。富田さんは高木さんにかわり、国交委理事に回ります。

 次の予算委員会(おそらく10月28日夕刻か?)の冒頭で、中井洽委員長(民主党、三重1区)の発議により、理事に選任される運びだと思います。

 もう1議席の公明党予算委員には、ベテランの元公明党国対委員長で北九州の東順治(ひがし・じゅんじ)さんを新しく起用しました。東さんは、民主党が岡田克也代表だったころは、ずっと公明党国対委員長だった人です。富田さんは財務副大臣を終え、党に戻った2008年秋の第168臨時国会から、政権交代をはさんで4年間・11国会(うち通常国会=本予算審議は4回)務めてきました。公明党が予算委理事を交代させるのは、下野後初めてになります。
 これについて、同党の漆原良夫・国会対策委員長(比例単独北陸信越)は2011年10月25日、当ブログの独自単独取材に対して「総合的な人事配置だ」と述べながらも、「他党とのバランスをまったく考えていないわけではない」と語りました。

 漆原さんは、第178臨時国会から民主党が岡田克也筆頭理事、第179臨時国会から自民党が石破茂筆頭理事を配置したことから、国対副委員長や党広報の屋台骨を背負ってきた高木さんを理事、東副代表を委員にする「武闘派路線」に切り替えたことを否定しませんでした。

 このため、3党合意や3党協議の枠組みを維持しながらも、来年の年度末前後にかけて、予算関連法案が各々、付託される財金委、総務委、あるいは厚労委(年金制度など)、国交委(津波対策など)、郵政改革特別委員会(郵政改革関連法案)などと連動しながら、場合によっては、1年程度の解散前倒しの確約を取り付けた上で、平成24年度の特例公債法案などの成立に応じるというシナリオもあり得るということになってきそうです。

 富田さんは国交委理事に回り、きょう(10月26日)初めて質問に立ち、「1993年の初当選以来、国交委に所属するのは初めてです」と述べましたが、ちょっと元気がないようにも感じられました。野田佳彦首相とは、「新進党千葉県連仲間」の富田元財務副大臣ですが、私が9月26日付エントリーで、「民主党と公明党が蜜月新時代か? 野田首相と富田理事が散会後に長話 衆・予算委」を書いたせいで外されたのでなければいいのですが。これについて、別の公明党議員は「おそらく総理が千葉選出であることは、まず関係ないだろう。そもそも4年間理事を務めるのは我が党では長い」と語りました。

【コワモテの高木さんもホントウは岡田さんの背中を見ながら歩いてきた?】

 高木さんは、2009年の真夏、第45回衆院選のさいちゅう、選挙区で苦戦していた当時の公明党幹事長のかわりに、東京のテレビ局で肩書きで出演しました。このなかで、高木さんは自民党の細田博之幹事長(当時)とタッグを組んで、民主党の政策を激しく攻撃しました。そうすると、民主党の岡田克也幹事長(当時)が、ディベートで、「高木さんに聞きますけど、初当選はいつでしたっけ?」と質問。これに対して高木さんは「1993年(第40回衆院選)初当選(なので第39回初当選の)岡田さんの1個下(いっこした)です」と人差し指で「1」の字をつくりながら破顔万笑でギャル言葉を交えながら、答えました。そうすると、岡田さんは表情を変えずに、「なら分かると思いますけど、同じ党にいましたよね」と言われ、高木さんは「はい、新進党にいました」と小声で答えました。この後、高木さんはいつも通りのふてぶてしい顔に戻りました。しかし、「1個下(いっこした)」ととっさに答えたことで、長年、岡田さんの背中を見ながら、あるいは高木さんは与党10年ですから、そのころは横顔を見ながら、政治生活を歩んできたことが浮き彫りになってしまいました。

【中井予算委員長「原理主義の岡田克也と原則主義の石破茂の対決だ!」と興奮】

 中井洽・衆院予算委員長は25日昼に国会内で開かれた民社協会国会議員団会議に出席し、この後同委員会の理事懇談会が開かれるとし、「原理主義の岡田克也と、原則主義の石破茂の対決だ」と興奮気味に語りました。

  ちなみに続投の中井委員長、ことしの本予算審議では、野党側筆頭理事だった元自民党幹事長から、おそらく物理的な力を加えられたのではないかと思われる場面がありましたが、まったくそのことを不問にして審議を続けるという場面がありました。中井委員長の裁きも解散時期を左右することになりそうです。
 岡田さんは『政権交代』の118ページに次のように記しています。

 

[引用はじめ]

 今度こそ、政権を担い得る新党をつくるーー。そういう気概をもって新進党を結党したはずだが、「与党」を居場所とする議員たちには、野党で苦労するのがムダに思えるのだろう。政権党に戻ったほうが選挙も楽だし、ポストにも就ける。離党者続出の中で、自分の政治生命だけを考えて行動する、突然自民党に戻る政治家もめずらしくなかった。そうした人間としての弱さ、一貫性のなさ、無責任さをなじりたい気持ちもある。しかし、支持者や選挙区など、それぞれの事情があるのだろう。煩悶しつつ復党の決断を下さざるを得なかった人もいるはずだ。だから、断罪する気にはなれない。

 ただし、誰がどういう行動をとったかは忘れまいと思う。こうした、ある意味での極限状態に直面したとき、一人の人間がとる行動は繰り返されるものだ。これまで二十年近く政界に身を置いて経験に照らしてみると、一人の人間は同じような行動を繰り返すことがわかる。一度裏切った者は、二度裏切る。ぎりぎりの状況では本質を隠しおおせないのだ。それを理解さえすれば、批判する必要はない。


[引用おわり]

 次は朝日新聞の14年前の記事です。


[朝日新聞のデータベースから引用はじめ]

石破茂氏が自民復党へ 常田享詳氏は新進離党濃厚 /鳥取
1997.03.13 大阪地方版/鳥取 0頁 鳥取 (全684字)  
 
 衆院小選挙区の鳥取一区から選出された石破茂議員(四〇)=無所属=が、近く所属会派「21世紀」を離れ、自民党に復党する意思を示していることが十二日、明らかになった。今月中にも正式に決定する意向で、一九九三年十二月の離党以来、三年三カ月ぶりに自民党籍に戻る。また、石破議員の復党に伴い、常田享詳・参院議員は新進党を離党する可能性が高くなった。

 石破議員は昨年十月の衆院選直前に新進党を離党し、無所属で出馬、当選した。その後は会派21世紀の結成に参加。首相指名で橋本龍太郎首相に投票するなど、これまでも自民党に同調する姿勢を見せていた。

 復党について、石破議員は「まだ正式に決めたわけではない」と前置きしたうえで「現在の政治状況を見れば、今の会派で頑張るのか、自民に復党するかの二者択一しかない。議員は政策の実現が一番の仕事だが、無所属のままでは一方的に主張を述べるばかりだ。まだ、公共事業などが必要な県のためには与党にいることが必要だし、私の主張を自民党内で訴えることができるならば、と考えている」と説明した。

 自民党側は衆院選前から復党の要請を続けてきたが、石破議員が考え始めたのは「21世紀の政党化が難しいことがはっきりした二月初めごろ」という。今後は、後援会などの支持者に説明し、理解が得られた段階で復党を届け出る。

 また、新進党県連会長の常田議員は「石破氏と私の盟友関係から考えて、二人が与野党に別れるわけにはいかない」と言い、石破議員が自民党に戻れば、新進党を離党する考えを明らかにした。党派については「無所属か自民党の二通りだが、今はまだ決める段階ではない」と話した。

[引用おわり]

 「公共事業などが必要な県のためには与党にいることが必要だし、私の主張を自民党内で訴えることができるならば、と考えている」と述べて自民党に復党した石破さん。ちなみに石破さんは議員立法のプロのような印象がありますが、衆院法制局がまとめた『衆議院における議員立法の記録 第1回国会から第170国会』によると、石破さんは意外なことに法案の筆頭発議者になったのは、「海洋構築物などにかかる安全水域の設定などに関する法案」(第164国会衆法24号)だけなんですね。政調会長時代は予算の撤回の上編成替えを求める動議(組み替え動議)は出していましたが。それに石破さんは、防衛大臣や農相をやりましたが、具体的実績って何なんでしょうか。岡田さんは、「政権交代ある政治を定着させるために、第45回衆院選で野党・民主党を過半数獲得に導いた幹事長」という大実績があります。

 石破さんは、自民党総裁選に「額賀派(平成研究会)」から推薦人20人で出馬し25票獲得に終わりましたが、その額賀派を退会したと報じられています。

 ちなみに野田佳彦首相は、石破さん(第38回初当選)よりも初当選は「2個下」の第40回衆院選初当選で、野田さんは落選経験があるので、当選回数は3回下、勤続年数は11年も短く、さらに年齢は3ヶ月下です。石破さんは野田総理との初めての予算委員会で、次のように話しました。

 「総理、連日、本当に御苦労さまであります。立場は違いますが、総理という仕事がいかに重圧に耐えねばならないものか、本当に命を削るような仕事であることは、私も何度か閣内にいて総理を近くで見て、よくわかっておるつもりであります。しかし、総理が任命される、陛下の認証を仰ぐ閣僚と違って、総理は、みずから日本国総理大臣になりたいということで代表選に立候補され、勝利をされ、今日の地位を得られた方であります。泣き言は言ってはなりません。そして、逃げてもなりません。総理と私は同じ昭和三十二年生まれであります。私が二月、総理が五月、同じ時代を生きてきました。ケネディの暗殺も初めての衛星中継で見ました。そしてまた、ロッキード事件も見てきました。同じものを見、いろいろな思いを持ってきました。民主党の総理であり、私は自由民主党の政策をお預かりする立場です。立場は違いますが、同じ時代を生きる者として、次の時代に何を残すか、日本国のために何をするか、その責任は共有したい、私はそのように思っております」

 責任を共有するのもいいですが、石破さんは新進党に残っていれば今頃総理だったかもね。

 それはそうと、岡田さんと石破さんの不仲は決定的で、理事同士の協議は難航することが予想されます。衆議院の理事会は非公開なので分かりませんが、来年2月にかけて、石破筆頭理事が「政府統一見解を出せ」などと要求し、岡田筆頭理事が態度を保留すると、石破さんがひたすらまくし立てて、理事会が紛糾する場面が出てくるような気がします。もちろん、岡田さんが土俵際でうっちゃり、石破さんを自分の勢いで砂かぶりにつっこませ、岡田さんと高木さんが土俵に残るのが理想です。ただ、公明党が「だらしない小沢付き民主党」にくっついてもメリットが少ない。さらに、関連法案を扱う委員会では、民主党の筆頭理事が2回生という委員会もあり、不安定要素はあります。まあ、岡田さんに任せましょう。

 現在、参議院は理事会は扉を開けっ放しでやっており、国会内ケーブルテレビで中継しています。(インターネット中継はなし)。一方、衆議院は理事会は非公開で、国会内での生中継もありません。ですから、理事会は私も取材は難しく、仮に理事室周辺で取材しても、そのころには委員会が開会していますから、ぜひ新聞、テレビのみなさんにご健闘いただきたく存じます。また各理事も、ブログ、ツイッターを、党利党略でいいですから、情報を発信して欲しいと考えます。ただ、民主党の武正公一・予算委次席理事(兼)郵政改革特別委筆頭理事は苦労するかなという感じがします。埼玉1区は、自民党の河村建夫・選対局長がいい支部長を擁立しているので、正念場だと考えます、どうかよろしくお願いします。
 ところで、アクセス解析をみていると、平日に岡田さんのことを書くと、その日のうちはアクセス数はあまり高くないんですね。当ブログは国会内視聴率が高いので、あまり民主党現職議員や秘書は岡田さんのことを読みたくないのでしょう。ところが、土日になると、岡田さんのエントリーが跳ね上がる。やはり社会で働き、世界や海外が見えている人は、岡田さんを支持しているのだと感じます。みなさん頑張りましょうね。


 政権交代ある政治の定着のために、当ブログは、これからも、まっすぐにひたむきに、岡田克也さんを100%支持し、その背中を追いかけていきます。

 一度裏切る者は二度裏切る。

 政治がややこしくなり、デモクラシー(民主政治)の前提であるプロセス(政策の決定過程)の透明化(情報公開や分かりやすさ)の障害となります。テレビでの弁舌のさわやかさにだまされてはいけません。民主党と公明党の総力を結集して、新進党の裏切り者、年下総理をねたむ石破茂(氏)を倒しましょう!政治を国民の手に取り戻すために。

関連エントリー)
石破茂さんと岡田克也さんはそろそろ仲直りして欲しい 救国のために、期限付きでいいから・・・
石破茂氏「小沢一郎さんは真の改革者と信じましたよ」 岡田克也さん宮澤喜一邸夜討ち「大変丁寧に応対」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

辛亥革命100周年、孫文ゆかりの岡田克也さんが向かったのは中国でも台湾でもなく、被災地だった

2011年10月09日 08時52分41秒 | 岡田克也、旅の途中

 おはようございます。

 いよいよあす、2011年10月10日、辛亥革命100周年となりますが、中国(中華人民共和国)での記念式典はきょう、北京・人民大会堂で開かれるそうです。台湾(中華民国)はあす式典をするようです。北京の式典には、孫文を助けた日本人の一人、梅屋庄吉のひ孫にあたる、小坂文乃さんが招かれているそうで、おめでとうございます。

 岡田克也さんのお母さん(保子さん)の実家である高田家にも孫文が泊まったことがあります。岡田さんのひいおじいさんに当たる人物で、高田隆平さんという方だと思います。なので、岡田さんも中国に行くのかと思いきや、金曜日から被災地に行っています。

 高田先生へ「博愛」孫文・・・という書が高田家の蔵に残っていて、おばあちゃん子だった岡田さんは、この書を1990年に衆院議員になった後に、表装を直して、衆院議員会館の自室に飾っていました。昨年から広い議員会館に移ったので、議員室から会議室に移して、より多くの人が見られるようになっています。

 

 国民新党の自見庄三郎・金融・郵政改革担当大臣は、昨年6月に、亀井静香さんと入れ替わりで入閣する直前に「孫文先生と私の意外な関係 - じみ庄三郎 日記 - Yahoo!ブログ」として、孫文が福岡に泊まった際に、自見さんのひいおじいさんのいとこである元衆院議員が一緒に写った写真を公開しました。



 まあ、ひいおじいちゃんのいとこということで、自見先生も名家ということになってきますが、これ以上自慢合戦になっても困りますね。

 岡田さんにしても、父方のイオンがあまりに有名なのに、母方も大地主かよ、と思われるのが嫌で、最近はあまりこの話はしていないのかもしれません。昨年に、外相として上海万博を視察したときには、「孫文と梅屋庄吉展」をみています。岡田克也さんは三重3区から出馬していますが、実は3区は岡田家の実家ではないんですね。岡田さんの実家は、伊勢湾に流れ出る三滝川の南側にあり、ここは三重2区です。ここは文部科学大臣になった中川正春さんの選挙区です。そして三滝川の北側が四日市市中心部で、三重郡菰野町も入っていて、高田家があります。そして、岡田さんがあえて三重3区を選んだかは、本人が公式に説明はしていませんが、郡部を含んだ選挙区の方が、固定票が多く連続当選しやすいからだと考えられます。

 この辺からも、岡田さんは父方も母方もお坊ちゃんだと思われるのが心外なのかもしれません。

 岡田さんは、今月になってから、岡山5区の花咲宏基さんの応援にかけつけました。ここは自民党が加藤勝信さんと村田吉隆さんのコスタリカの選挙区なので、「次は非常に厳しいがよろしくお願いします」と応援しました。このほか、岡山1区の高井崇志さんも応援しました。一部報道で、「来年9月の代表選をにらんでいる」ともされましたが、実際には、1年生議員の応援計画は白紙です。

 やはり、菅直人さんを民主党代表にかついだときの筆頭推薦人として、また、菅内閣がいきなり参院選で負けたピンチのあと、枝野幸男さんから幹事長を引き継いで、そして、あの「3・11」を党本部からサポートしたことから、被災地が気になるようです


[画像]退任が決まりホッとした表情の菅直人代表と岡田克也幹事長、8月、両院議員総会。

 私は菅直人総理はよくやったと思います。

 菅さんは元々嘘つきだと思っていましたが、菅総理自身は嘘をついていなかったと思います。ただ、周りが以前よりサラリーマン化していて、情報公開に脚がすくんだようです。側近によると、背中に氷柱が立ったような気分でいたそうです。また、菅総理としては、政府東電統合対策本部は別として、法的根拠がない組織には意味がないということを理解していなかった野党ボケと、危機管理の鉄則である「ワンボイス」(情報共有の窓口を徐々に統合すること)を知らず逆に「原発担当首相補佐官」などをつくってツーボイシーズ、スリーボイシーズと増やしてしまったことでしょう。

 イオン株式会社の中国への積極出店もあってか、岡田さんは親中派だと思われていますが、1年間の滞在歴があるアメリカおよび、中国、韓国をなるべく対等に考える国家観を持っています。

 岡田さんは次のように語っています。

 私は中国の皆さんにも知っていただきたいのは、中国にとって孫文というのは、台湾の国民党から見ても、中国の共産党から見ても、孫文というのは最初の創設者であると位置付けられていると思いますが、その孫文が不遇の時代に日本で、多くのそれを支援する日本人たちによって支えられていた。そういう時代があったということ。そして、それを支えるという空気が、日本の中にあったと。孫文を敬愛し、隣の国中国のリーダーとして頑張ってもらいたい。そのために危険を冒してでも支えた人たちがいた。たくさんの日本人がいたということを中国の人たちにも分かってもらいたいと改めて感じました

 100年前の日本は日露戦争に勝利した後のバブル期で余裕がありました。

 日本にはまだまだ遺産がありますから、こういった物を生かすと同時に、ひとりのリーダーをしっかりと育てる土壌をつくっていきたいものです。まず定数是正・定数削減のあと、衆参の選挙制度改革、党代表規約、国会法、内閣法などをトータル・デザインの下に改正することが肝要です。

 なお、当ブログでは、岡田さんと孫文のゆかりについては、たびたび言及していますので、それらのエントリーはこちらをクリックしていただくと一覧できます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岡田克也さん「公明党を優先」卒業会見で明かす 衆参ねじれ、「新進党のときから信頼できる」

2011年08月25日 16時47分44秒 | 岡田克也、旅の途中

 民主党の岡田克也幹事長は2011年8月25日、卒業会見にのぞみ、衆参ねじれ国会で、「衆議院での3分の2条項をなるべく使わないように、公明党との協議を優先した」と述べました。そのうえで、「10年間与党をやってきて、自公の絆はなかなか強かった」として、民自公の3党協議に切り替えたことを明らかにしました。

 その理由として、記者の質問に答えて、「公明党は、新進党のときからやってきた身近な存在だ。新進党のとき、あのときは一つの党でしたが、信頼できる人も多い」と述べ、新進党の枠組みを活用して、ねじれ国会を乗り切ろうとしたことを明らかにしました。特例公債法案(子ども手当、農業者戸別所得補償など4k見直し)の協議では、最後は公明党が賛成に回ろうとし、自民党が慌てて党議決定することもありました。

 また、初当選のとき、中選挙区で自身が初当選したあおりで、政調会長(政審会長)でありながら落選の憂き目を浴びた坂口力さんが引退を撤回して、厚生労働大臣経験者としての知識と経験をいかして、子ども手当の所得制限と年少扶養控除のバランスに関する坂口試案を軸にしてまとまりました。

 新進党を破壊した小沢一郎(氏)の処分に時間がかかったことについては、「本人がすんなり受け入れていればこんな風にはならなかった」、「党内が混乱した」とし、小沢(氏)が衆議院政治倫理審査会での説明を拒んだことから、処分決定に時間がかかったとし、「処分問題を除くと、小沢グループと呼ばれる人たちがひっかかることは他に無いのではないか」とし、これにより、党内で岡田さんを悪く言う人が増えたことは、菅直人首相・代表から幹事長就任を要請されたときと同様に、「天命だ」とたんたんとしました。

 「天命」とは「天によって定められた人の宿命」のことです。

 また、3・11の原子力災害と震災について、菅総理は「真っ暗闇の中を手探りで進んだ」とし、「閣僚の中にはストレスで人知れず悩んだ人もいた」とし、精神的な症状があった閣僚がいたことを実名はあげずに明らかにしたうえで、菅さんを「歴代のなかでも抜きんでたタフな首相だった」と持ちあげました。

 そして、「心残りは党改革と政治改革ができなかったこと」としながら、「法案はできている」と述べ、与野党の調整ができれば、提出できるとの構えをみせました。

 記者からの「ポスト菅に名前が上がらないなど、失うモノが多かったか?」との質問には「大事なことは民主党が信頼を回復すること。個人的にはずいぶんご批判をいただいたが、そういったことを冷静にみている国民や、国会議員はいると思う。それも含めて天命だと思う」とたんたんと語りました。そのうえで「4人目はありえない」とし、来年9月の代表選(解散がなかった場合)にも出馬しない考えを表明しました。幹事長退任後について、「これからやりたいことはいろいろある」とし、「新総理からこれは天命だと思う仕事を頼まれれば引き受けるか?」との問いには、「天命という言葉はそうちょくちょく使う言葉ではない」と笑いました。

 11ヶ月間にわたる3度目の幹事長職、与党としては初の幹事長職でしたが、半分は小沢(氏)問題、半分は特例公債法案で終わってしまった感じです。新進党解党を防げず、民由合併で悪魔を民主党におびきよせてしまった2つの後始末だけで、終わってしまった感があり、日本を前に進めるバトンは次の幹事長に引き継がれることになります。

岡田vs小沢、“天命”の最終戦がスタート 新進党解党から13年

2010年10月11日 21時52分25秒 | 岡田克也「まっすぐに、ひたむきに。」


これも「天命」なのかな 岡田克也さん、民主党幹事長に1年ぶりに復帰

2010年09月16日 19時38分43秒 | 岡田克也「まっすぐに、ひたむきに。」


 ◇

 ところで、まったく関係のない話を書きます。

 代表選出馬要請を受けた鹿野道彦さんがなかなか「決断」をしませんが、過去にも似たようなシーンがあり、思い出しました。最近の国会議員はwikipediaが好きですが、初代民主党執行部は、菅代表、石井一国会対策委員長、横路孝弘・総務会長となっています。しかし、実は、菅初代代表は、鹿野さんに国会対策委員長を依頼しています。この時点の民主党のベテランは、寄り合い所帯ですが、今と違って与党経験がやたら長い人と、野党経験が長い人が二分されていました。与党経験が長い鹿野さんは、自民党では3役と呼ばれている総務会長(現在は常任幹事会議長に改組・改称)という言葉に憧れたようで、菅初代代表サイドには伝えていたようです。しかし、ここで、野党経験の長いベテランらが、「野党と与党は反対で、総務会長よりも、国対委員長の方が野党では格上だ」と指摘しますが、鹿野さんはあまり人の言うことを聞かない人のように、13年前に私は感じました。どうも、与党が長い人も野党が長い人も最終的には鹿野さんが総務会長にこだわり、国対委員長を拒む理由がよく把握できなかったようです。これとは直接の関係はないと思いますが、当時既に長老議員だった石井一さんが自ら菅さんに「オレが国対委員長として切り込み隊長になる」と申し入れて、国対委員長に就任しました。ピンさんは「菅は、菅は」と代表を呼び捨てにし、「オレが大臣のころ、菅は野党の若手だったからよく質問してきたけど鋭かったよ。ああいう奴が伸びるんだよなあ。国会議員は野党スタートがいいな」と若手に教えて、大喜びされます。このときの若手というのが、安住淳さん、原口一博さんらの世代になります。一方、自民党出身者から羽田孜幹事長、石井一国対委員長がきまったので、総務会長は社会党系にさざるをえなくなり、北海道知事3期を経て、2年前に国政復帰していた横路孝弘さんが総務会長となり、鹿野さんは無役となってしまいました。その後も、副代表や、ネクスト農相などしか役職に就いたことがありません。最近の鹿野さんをみていると、あのときに似ているなと思ったので参考までに書きました。それから、民主党1期生議員に対して「赤坂で飲んでいるんじゃない」「国会議員になってから真の友達はできない」と書いてきた意味も、ようやく最近分かっていただけた方も多いかと思います。別段、代表選に対して、何か影響を与えたい狙いはまったくございませんので、私を叩かないでください。もう疲れました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岡田さん「細野、寺坂はよく頑張った」「我が期(51年入省)は次官が出ない期に」「さびしい」夏

2011年08月04日 20時52分33秒 | 岡田克也、旅の途中

[画像]同期(昭和51年通産省入省)の退職について語る岡田克也さん、2011年8月4日、民主党幹事長記者会見ネット中継から。

 岡田克也さんは2011年8月4日、民主党幹事長としての記者会見で、通産省同期入省(昭和51年=1976年)の細野哲弘・資源エネルギー庁長官と寺坂信昭・原子力安全・保安院長の更迭を海江田万里経産相が内定したことについて、「細野、寺坂と2人は、この重大な局面で全力でがんばってくれた」とねぎらいました。「ただ、結果については、いろいろと感じるところもあるんだろう、と思います」と述べ、経産省と東京電力など原子力発電をめぐり一連の国民の信頼を失いかねないできごとに対して、遺憾を示しました。これに先立ち、「更迭という表現は違う」「人事抗争の結果ではない」として、2人は更迭ではなく、定例の人事による退任だという考えを示し、かばいました。

 そのうえで、「同期で残るのは1人(岡田秀一・経産審議官)だけになった」とし、「少しさびしい気はします」と述べました。海江田経産大臣は、事務次官も昭和49年入省の松永和夫さんから、昭和52年入省の安達健祐さんに交代する、と発表しました。霞が関では、「同期入省のうち事務次官になれるのは1人だけ」「事務次官が出るまでに同期は全員退職する」という全省庁に存在するピラミッド型人事の慣例がありました。以前から、大蔵省や厚生省は”植民地”的な事務次官ポスト(防衛庁、環境庁など)を持っていた時期もあったり、橋本行革での省庁合併により、同期から2人以上の事務次官が出るなど崩れつつありますが、彼らが入省した時点では、それは不文律ながら、鉄の掟でした。

 昭和52年入省の事務次官が出るとなると、昭和51年入省の岡田秀一・経産審議官も経産省を去ることになる可能性が高いと思われます。なお、岡田秀一さんは小泉純一郎首相の事務秘書官を務めて、飯島勲・政務秘書官とともに、ワイドショー型の小泉劇場を演出した一人でもあり、TPPをめぐる議論も政治日程から先送りされる格好となっています。経産審議官はまだ決まっていないようですが、岡田秀一さんも涼しくなるころには、経産省を去ることになるんだろうと思います。岡田審議官は本省ではナンバー2ですし、「エネルギー畑よりも通商畑から」というアイディアもあり、次官コースに復活する可能性があったとされていますが、大臣が発表していますから、もうこれはないでしょう。

 記者会見(午後4時過ぎ)の時点で、この人事を知っていたと思われる、岡田克也さんは、「どうやら我が期は次官の出ない期になりそうです。あるいは(岡田審議官が)チャンスがあるから、そう言っちゃあいけませんが、残念ながらたぶん次官が出ない期になりそうです」と語りました。まあ、岡田さんがちょっとだけうれしそうにも見えたのはなんでかな~~(笑)という気がしますが、経産省がエネルギー官庁に生まれ変わり、歯止めが利かなくなったようにも思える内情が報じられる昨今、いろいろとうかがい知れる面が多々あります。なお、同期には4月に三選した高橋はるみ北海道知事もいて、自然エネルギー(再生可能エネルギー)を積極的に推進しています。

 けさ(2011年8月4日付の)朝日新聞は、松永次官に加えて、細野さん、寺坂さんが「更迭」という横見だしで、1面トップで伝えました。官僚はあくまでも国家公務員一般職で、ここまで大きく報じられることは異例です。


[写真]2011年8月4日付朝日新聞朝刊。
 顔写真は、右から見て、松永和夫事務次官(昭和49年入省)、寺坂信昭・原子力安全・保安院長(昭和51年入省)、細野哲弘・資源エネルギー庁長官(同)

 岡田さんらが通産省に入省する1年前、昭和50年(1975年)の6月に新潮社から、通産省を舞台にした城山三郎さんの小説『官僚たちの夏』が単行本として出版されています。三木武夫通産相の下で、事務次官を務めた佐橋滋さんという名物通産官僚がモデルとされ、「佐橋大臣、三木次官」とも呼ばれたそうです。

 私は入省年次ごとに一定の昇進をする「メリット・システム」は公務員制度としてはすぐれた制度だと考えています。しかし、定年が事実上ない、ピラミッド・システムは止め、事務次官同期も残れるようにすべきですし、東京都庁がとっているシステムを見習い、入省から数年して、キャリア組とノンキャリア組が試験によってわかれる制度にすべきだと考えます。また、府省間の移籍も認め、自治体への転籍も、本人の意思で可能にできるようにしたらいいと考えます。ただ、成果主義だけは絶対に反対です。これは、ゴマすりが上に行くシステムです。

 『官僚たちの夏』の文庫をけさ、引っぱり出して、驚いたのは、最終章のタイトルは『冬また冬』。そして事務次官退任後に健康を壊した主人公がタクシーに同乗した新聞記者から、「競走馬であるまいし、全力で走りさえすればええというもんやない」「ケガしても突っ走る世の中は、もうそろそろ終わりや」などと言われます。そして雪の夜、通産省の建物はまだ明かりがともっているというシーンで終わります。国会待機だったんでしょうか。ひょっとして、城山さんが描きたかったのは「官僚たちの冬」だったのかもしれません。戦後の物資配給、新日鐵に代表される企業再編、日米繊維交渉、オイルショックを経て、やがて規制官庁よりも、石油、ガス、原子力などのエネルギー官庁へとかわっていった通産省。今につながるアメリカ人脈を構築したアメリカ・ハーバード大学への1年間の滞在(留学ではない)から帰った岡田克也さんがなぜ、すぐに通産省に辞表を出してしまったのか。それはだらしない大臣といやしい族議員を見て、官僚としての限界を感じたからのようです。

 まあ、官僚の場合、同期は仲が悪い方がフツーです。一方、国会議員は同期は仲が良いことが多いです。この違いはかんたんな理由で、上述したピラミッド・システムによるものです。人をいかすのもいかせないのも、システムというのはヒジョーに大きな要素です。それは拡大すれば、日本という国全体のシステムづくりであり、政治そのものだという気もします。 

asahi.com(朝日新聞社):経産省事務次官に安達経済産業政策局長 3首脳更迭 - ビジネス・経済

 海江田万里経済産業相は4日夕、更迭した3首脳の後任を含む幹部人事を発表した。事務次官には安達健祐経済産業政策局長(59)が就く。資源エネルギー庁長官には、高原一郎同省中小企業庁長官(55)、原子力安全・保安院長には、深野弘行商務流通審議官(54)が就く。

 12日に閣議了解をする予定。資源エネルギー庁長官は国会で再生可能エネルギー特別措置法案が審議中のため9月1日付となる。

 海江田氏は同日午前、緊急の記者会見を開き、東京電力福島第一原子力発電所の一連の事故対応や、国主催の原子力関連のシンポジウムをめぐる「やらせ」問題の責任を取る形で、松永和夫事務次官(59)、寺坂信昭同省原子力安全・保安院長(58)、細野哲弘同省資源エネルギー庁長官(58)の更迭人事を明らかにしていた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「総理大臣、誰がやっても使い捨て」岡田克也さん、地元後援会に吐露

2011年07月28日 21時50分22秒 | 岡田克也、旅の途中

 58年間のアナログテレビ放送のニュースでは、「街の声」なるものがつきものでしたが、「総理大臣は誰がいいか?」とのアナウンサーの問いに有権者のおばちゃんが「誰がやっても同じ(おんなじ)」という答えるのが「お約束」でした。ホントウにイヤな言葉でした。有権者としての権利を放棄しているし、有権者として選択眼がないことをはずかしげもなくさらしている。「歌手1年、総理2年の使い捨て」ーーこれは竹下登さんの言葉です。竹下内閣は1年7ヶ月弱(576日間)でしたから、残念ながら2年より早く使い捨てになってしまいました。「誰がやっても同じ」「総理2年の使い捨て」は官僚が優秀だった時代の話です。今の霞が関は、組織である以上例外はありますが、全体的に能力は落ちてきています。

 岡田克也さんは22歳で通産省に入ったときは、政治家になるつもりはまったくなかったようですが、大臣・政務次官のだらしなさや、商工族議員のいばり方を見て、政治家と官僚の関係に疑問を持ちました。そのころ、四日市を地盤とする山本幸雄・元自治大臣の後継者を探していた経世会(自民党竹下派)領袖の竹下首相が、早大商学部の2年後輩にあたる地元の名士である経済人、岡田卓也さんに「通産省にいる息子を出さないか」と持ちかけたのが、岡田さんが非世襲議員なのに、自民党公認新人として中選挙区に出られたきっかけです。しかし、そういった力関係が少しずつずれてきたのか、15年間の野党暮らしが長すぎたのか。「竹下さんの皮肉」が四半世紀の歳月を経て、「岡田さんの苦悩」となって、地元支援者に吐露されました。

 これは「衆議院議員 岡田かつや後援会会報 2011年夏号(通巻30号)」の巻末のコラム「憂楽帳 KATSUYA'S NOTE」に寄せた文章です。

[全文引用はじめ]

 総理大臣を支える仕組み作りを

 菅総理を間近で見ていてつくづく感じることは、日本は、もっと総理大臣を支える仕組みを作らなければならないということです。東日本大震災、福島第1原発事故という戦後最大の危機に直面して、誰が総理をやっても難しいということは、皆がわかっているはずです。しかし、すべての責任を総理のせいだということにして、国会、メディア、あるいはそれに影響された国民の皆さんからの批判が、菅総理に対して寄せられました。

 もちろん、総理大臣である限り最善を尽くさなければいけないし、個々の対応について批判されるべき点はいろいろとあるでしょう。しかし、何でもかんでも批判的に見て、総理にその責任を問うというやり方を続けることが、果たしていいのでしょうか。

 菅総理を間近に見ていて、幹事長として徹底的に支えきろうとしてきました。それが十分できなかったことを本当に申し訳ないと思いながら、このままでは誰がやっても同じように使い捨てになってしまい、そして、そのことが、日本の国益や国民の利益を大きく損なうということを強く思わずにはいられません。

[全文引用おわり]

 民主党だろうが、自民党だろうが、政権は4~12年くらいで使い捨て(政権交代ある政治)すればいいのですが、総選挙まで総理である与党党首を使い捨てにしてはいけません。そうすると、政治は国民の手から離れ、与党党首の投票権を持つ与党国会議員だけの物になっていまいます。

 早く震災関連法と特例公債法を仕上げて、そろそろ、仕組み(システム)作りの議論を与野党でして欲しいと考えます。10年間政権を担った自民党、公明党のほかにも、みんなの党の江田憲司、小野次郎両元総理秘書官などもノウハウを知っているはずです。

 昨年6月4日の代表選で、岡田さんは菅直人候補の筆頭推薦人となった責任があります。一方、私も菅直人候補がふさわしいと6月の代表選(対樽床伸二候補)、9月の代表選(対小沢一郎候補)とも主張しました。これは脱小沢の民主党をつくるとともに、菅さんの精神力の強さならば、石にかじりついてでも、任期満了近くまで辞めないだろうと考えたからです。それは今もかわりません。つまり、菅さんの政策ではなく、選挙の度に首相候補をそれぞれ抱えた与党陣営と野党陣営のうち、どちらがいいかを国民が選択する総選挙という仕組み(システム)をつくるべきだと考えたのです。英国の首相も、タイの首相も40歳代ですが、これは野党時代に党首になり、総選挙で党を勝たせて首相になっていますので、国民の信認というロケットエンジン付きの40代首相です。ですから、自民党が来年の総裁選で40代前半の首相候補を選ぶことはあっても、民主党では、より党全体の力を引き出せる人を選ぶべきです。もちろん、自民党規約と違い、民主党規約には多選規制がないので、菅さんが再び代表選挙に出てもいいでしょう。

 総理大臣、誰がやっても使い捨て。

 そのうち、日本も使い捨て。

 そうならないためには、国会法改正、内閣法改正もいいですが、まずは国民の意識の変化による、先例の積み重ねが必要でしょう。まずは、民主党内の意識改革いうことになりそうです。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なでしこジャパン「日本は女性の方が活躍しているな」 岡田克也さん

2011年07月18日 08時13分41秒 | 岡田克也、旅の途中


 なでしこJAPANことサッカー日本女子代表優勝やりましたね! 

 なによりすごいのは、PKのときの、あの(TVで見る限りは)リラックスしているところ。PKに関しては、「ミスした方が負け」という要素がより強いですが、アメリカはけっこう力が入った表情だったようにTVでは見られましたが、実際にミスがありました。

 サッカーのFIFA女子ワールドカップ(W杯)2011年ドイツ大会。日本時間の2011年7月18日(現地時刻は17日)、日本女子サッカー30年目にして、ついに初の頂点です。

 岡田克也さんは14日、なでしこJAPANの決勝進出について、語りました。

 岡田さんは「なでしこJAPANが決勝戦に進んだことはヒジョーに喜ばしいことだと思います。体力的にも(欧米などの参加国の選手と比べて)ハンディキャップを抱えながらも、すばらしい成績をあげていることは国民の一人としてうれしく思います。

 やはりスポーツの世界でも、日本は女性の方が活躍しているな、と改めて感じております」と語りました。

 その一方で、岡田さんは「私も準決勝を見ようかなと思いましたが、さすがに時間が深夜ですので、断念して寝てしまいました」と相も変わらぬマイペース。

 実は、岡田さんが「やはり日本は女性の方が活躍しているな」と感じるのは、岡田家はいわゆる“女系家族”なんですね。岡田さんのお父さん岡田卓也さんがイオンの創業者ということで、男系のように思われるかもしれませんが、岡田さんのお母さんである岡田保子さんは、三重県三重郡最大の旧家である高田家の出身です。


[写真]岡田さんの母、岡田保子さん=岡田卓也著『私の履歴書』日経新聞から

 保子さんのおじいさんが自宅に孫文を泊めたことは有名ですが、保子さんのお父さんは若くしてなくなっています。保子さんのお母さんである高田ちゑさんは、女手一つで3人の娘を育てました。いくら旧家とはいえタイヘンです。とはいっても旧家ということで、半世紀にわたり、菰野町母子福祉会の会長を務め、全国組織の「全国母子寡婦福祉団体協議会(全母子協)」の副会長も10年以上務めました。

 また、岡田さんの奥さんの多津子さんも日本最初の「女医学校」である東京女子医科大学を卒業した神経内科医です。「女医学校」というのは世界的にも珍しい組織のようです。


[写真]岡田さんの奥さん、岡田多津子さん=民主党ホームページから。

 
[写真]東京女子医科大学の創立者、吉岡彌生さん、「国立科学博物館の「科学技術の偉人たち」のレリーフ=筆者撮影。

 ちなみに、吉岡彌生さんの「弥生」とは3月の意味ですが、私は新暦の3月1日生まれで、生まれた場所は、東京女子医科大学の第二病院(現在の東医療センターに改称)ということで、ご縁を感じます。

 このように、岡田さんは“女系家族”なので、日本は女性の方が活躍しているということに前々から気付いていたようです。私もなでしこジャパンの、とくにPKの落ち着きぶり。これは僕には無理です。今の日本には、じゃっかん、派手な振るまい(金銭、外食)の女性も多いですが、バブルを忘れれば、はるかに女性の方が活躍できるので、日本も十分に復興できると考えます。

 それにしても、あのPKのときの落ち着きぶり。「スゴイ」という表現しか見つからないのが悔しい(^^;)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岡田克也幹事長、落選県議・政令市議候補に「県連政策委員で年60万円」の再チャレンジ制度導入

2011年07月07日 20時48分02秒 | 岡田克也、旅の途中


【きょう上梓の石川知裕さん著『悪党 小沢一郎に仕えて』は選挙必勝本?】

 きょう2011年7月7日(木)、待望の石川知裕・衆院議員(北海道11区、現在は無所属)の著書『悪党 小沢一郎に仕えて』が出版されました。私も、きょう、国会内の石川事務所で購入しました。夕方に帰宅して、すでに読了しました。これは、言ってみれば、あるいは、歴史書といえるかもしれません。この手の本にしては珍しく、245ページとかなりボリュームは厚く、小沢事務所に入った「1996年2月3日」(50ページ)からの回想部分が実に面白いです。ですから、海部内閣の小沢「剛腕」幹事長のころのことはありませんが、その後の小沢氏の「壊し屋」政治人生が石川さんの人生と重ね合わす格好で書かれています。ベールに包まれた小沢秘書軍団も実名で登場します。例えば、秘書時代にはよく「どうやったら(小沢さんの)秘書になれるのか?」と聞かれることがたびたびあったそうですが、その答えは「紹介のみ(でしか秘書になれない)」だったというエピソードが語られます。

 ところが、どういうわけか、「2002年ごろ、日本大学の就職課に秘書の募集をかけた」ことがあったと書かれています。これとは別の部分にこの答えがあり、小沢さんの奥さんは上智大学を卒業しているそうで、これは私は初耳でしたが、小沢夫妻がけんかになり、奥さんが「上智でも早慶より入るのが難しい学部もあるのよ」と言うと、小沢さんが「そんなはずない」と譲らない。石川さんは推測として次のように書いています。「小沢は慶応を出た後、日大の大学院に入りながら司法試験の合格を目指した。私が察するに、アイデンティティーは慶応ではなく日大にあると思う。2浪しても東大に受からずにしぶしぶ入りながら、大学院に進ませてもらえなかったからか、小沢が慶応の愛校心を語るのを聞いたことがない」としています。

 年齢が上で市議の経験もあるけれども、小沢事務所としては後輩になる大久保隆規さんが、公設秘書に昇格することになったときのことも振り返っています。大久保さんは、石川さんのことを、「石川」でもなく、「石川さん」でもなく、「石川ちゃん」と呼んでいたそうで、大久保さんが秘書寮にある自宅に石川さんを呼んだときの回想。また、小沢流選挙必勝法では、やはり詠んでいて唸るような部分があり、参考になりました。小沢さんは「中選挙区を知っているから、小選挙区に強い」ということで、「何のこっちゃ?」と思いましたが、つまりは、中選挙区時代に自民党で対立していた陣営が、それぞれの小選挙区で棲み分けているので、その支持者間の過去の因縁を突くという戦法です。これが、北海道11区で中川昭一さん(故人)と闘う上で、石川さんと鈴木宗男さんが共闘することにつながったとのことで、けっこうドロドロした話ですが、小選挙区を闘う人は必読でしょう。しかしまあ、最後の衆院中選挙区選挙からもう18年が過ぎていますから、この作戦もだんだん使えなくなっていくでしょう。こういった「小沢一郎」が古びていっている、と感じさせるエピソードも多く、歴史書という感じもします。小沢事務所を2日間で辞めた人、元衆議院議長秘書が小沢事務所に移籍したけどすぐに辞めた話などもあります。今後も時折、このブログでもご紹介しようかと思いますが、待ち遠しい方は、ぜひ、お買い求めのうえ、ご一読いただきたく存じます。いわば「当事者が書いた週刊誌」といった感じで、読み進めると止まらなくなりました。石川さんはきょうは、出版社の人と書店周りをしましたので、東京の方では、店頭に平積みにしてくれた本屋さんも出たかと思います。みなさんのお手軽な方法でぜひ、お手元に1冊ご用意下さいませ。

 なお、このエントリーを更新した時点で、amazonでは全体で75位になっています!パチパチ!政治部門で75位ではないですよ、全体で75位です。これはもう、読まなきゃ恥ずかしい!それと、くれぐれも読んだ後、速攻で中古本に出品するのは止めてください。1年以上は自宅で保管してください。頼みますよ。お世辞抜きで、面白いよ(^_^)v

【岡田幹事長、落選候補予定者を「県連政策委員」や「県連嘱託職員」に起用で、パワーマネーを注入、土曜日の全国幹事長会議で正式決定へ】

 さて、民主党幹事長の岡田克也さんと、選挙対策委員長の石井一さんは、第18回統一地方選(2015年4月)に向けて、第17回統一選の「落選した地方議員候補者に対する再チャレンジのための支援策」をまとめました。すでにおととい(5日)の第528回民主党常任幹事会に提出し、あさって土曜日(7月9日)の全国幹事長会議に諮ります。

 当ブログが独自のルートで入手した常幹提出ペーパーは、この後ろに付けます(赤線は筆者が参考用に引いたものです)。

 これは、道府県議選(昨年末の茨城県議選含む)と政令市議選(2月の出直し名古屋市議選含む)の落選者のうち、「惜敗した候補者」のなかから、「県連政策委員」を任命し、年間60万円の「政策活動支援交付金」を支給するということです。政策委員の人数は、道府県ごとの落選者を勘案することになっています。

 政策委員になる条件は、「次回選挙での捲土重来を期す固い決意を有する者」で、その他にも、①前回選挙の惜敗率、②次回選挙時点の年齢、③選挙区情勢ーーも「任命要件」になります。

 ただ、やはり岡田さんというのはやさしさと厳しさが合わせ鏡になった男ですから、厳しい条件があります。まず、道府県連の申請を受けて党本部がこれを認めた者に限ります。そして、1年ごとの更新制となっており、3回を限度に更新できるということになっています。ちなみに、次の選挙までの残り年数は4年弱ですから、3回更新すれば、次の選挙で勝って、歳費を受け取れ、息切れすることはありません。しかし、道府県連は、毎年、政策委員の活動状況を点検し、党本部に報告することになっています。

 これとは別に、「主に地域政党の伸長などにより、県議、政令市議が大幅に減少した府県連」すなわち「大阪、愛知、神奈川、千葉、埼玉の5府県連」では、落選候補者を嘱託雇用するための資金を党本部が府県連に援助します。この場合の「落選候補者」は一般市長村議も対象になるものと思われます。この嘱託雇用職員の条件は、「次回選挙での捲土重来を期す固い決意を有する者」で、①前回選挙の惜敗率、②次回選挙時点の年齢、③選挙区情勢ーーも選定要件になります。手続きは、所管地域の総支部長が推薦し、府県連幹事会(人事委員会)でこれを認めた者は、府県連と嘱託契約を締結することができます。

 府県連は「地域基盤再建計画」と「人事活用計画」を策定しなければいけません。そして、それを党本部が審査し、党本部が府県連に対して貸付金を交付することになっています。ただ、「後日その実績を審査し、(党本部が府県連に対して)一部貸付金の返還免除を行う」ことができます。この辺も岡田さん流のやさしさと厳しさが合わせ鏡になっています。また、嘱託者が①次期選挙出馬を取り止めたとき②他の選挙への立候補が決定したとき③後見人、府県連がその人に不適格であると判断した場合ーーはその資格は失うことになります。


[画像]第20回参院通常選挙での岡田克也代表率いる民主党の快勝を伝える新聞。

 ところで、岡田さんは民主党でも屈指の資金力を誇り、唯一の政治資金管理団体の「岡田かつや後援会」は昨年1億9650万円の収入(繰越金含む)を挙げています。岡田さんは他に三重県第3区総支部の代表者もしており、9月末、政治資金収支報告書が公開されると分かりますが、あわせて3億円前後の収入(繰越金含む)があると思います。

 が、勘違いはいけません。このお金・貸付金は、民主党本部のオカネです。以前、NHKを見ていて、たしか埼玉だったと思いますが、“水年寄”という役目があり、集落の長老が務めるそうですが、水の湧く泉から用水路に流れる水を、棒で配分する習慣があるようです。この“水年寄”が岡田幹事長であり、配分役とそのルールをつくるのは岡田幹事長です。「パワーマネー受給資格」を1年更新にしたのは、そのときの幹事長(水年寄)に、限られた資源である党本部資金の配分の裁量の余地を与えた面もあると考えられます。以前、民主党には、党のオカネをあたかも自分のオカネのようにふるまう幹部がいましたが、今はいません。そういう意味では、岡田さんは幹事長に適任でしょう。岡田さんには、ぜひ政権交代可能な二大政党デモクラシーの完成のために、党のルール、国会のルール、選挙のルール作りに没頭して欲しいものです。どす黒い漆黒の孤独の暗闇の内閣総理大臣官邸・公邸になんて行ってほしくないですね。

 落選候補者も、なかなか、秘書の仕事も少ない昨今。県連政策委員や、県連嘱託職員をしながらも、いくばくかの不労所得を得られるシステムをつくっておくと、4年後に(仮に)議員になった後も行動しやすいと思います。息切れしないように、各々のペースを考えながら、しっかりと前に進みましょう。

 





[画像]岡田克也幹事長が第528回民主党常任幹事会に提出した資料
 (当ブログが独自のルートで入手したものをキャプチャ、赤線は筆者が参考用に引いた物です)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「玉突き県外移転案」が浮上!普天間→嘉手納→三沢 米上院レビン委員長、「岡田・前原」と連携か?

2011年05月25日 04時08分11秒 | 岡田克也、旅の途中


 25日付朝日新聞1面ワキにスクープです。

 米上院レビン軍事委員長が、嘉手納空港(沖縄県)のアメリカ空軍の戦闘機部隊を米空軍の三沢基地(青森県)に移転させ、その空いたところに、普天間飛行場のアメリカ海兵隊のヘリコプター部隊を統合させる、いわば「玉突き県外(青森)移転」案を検討していることが分かりました。普天間の海兵隊ヘリコプター部隊を、空軍の嘉手納に統合すると、騒音などが問題にあるため、空軍を三沢に移すというアイディアのようです。米上院は、いよいよ予算(歳出)法案の審議に入ります。

 12日付当ブログ「◎嘉手納統合案が再浮上!」で、米連邦議会上院の軍事委員会のレビン委員長(大統領与党の民主党)、ウェッブ「日本など」小委員長(同)と、マケイン筆頭理事(共和党、元大統領候補)の3人が、嘉手納統合案について、再度検討するよう、国防総省向けのメッセージを発表したことをお伝えしました。

 ここから先、このエントリーはまったくの推論の連続、場合によっては「うがった見方」にすぎません。その辺をご了承いただける方だけ、読み進めてください。

 実はちょうどこの、2011年5月12日(木)の夕方、民主党幹事長の岡田克也さんは定例記者会見で「(週末の)14日、15日と青森に行くことにしております。直接的には、青森県知事選候補予定者の山内崇県連幹事長の応援、これは15日です。それとの関連で、1つは、三沢の米軍基地を表敬する予定にしております。これは前回、3月11日の大震災の後、私が三沢、八戸と現地を訪問したとき、三沢の米軍、空軍ですが、ボランティアで震災直後から支援に入ってくれた。特に三沢市の海岸の瓦れきの片付けでありますとか、様々な活動を“トモダチ作戦”が始まる前から自主的にやっていただいたということで、私、一度どこかでお礼を申し上げたいと思っておりました。基地の責任者も幸いおられるということですので、三沢の米軍基地を表敬したいと考えております」と語りました。岡田さんが、木曜日の会見で、冒頭発言で週末日程を紹介することは珍しいことです。何らかの政治的思惑があっての発言だと考えられます。岡田克也さんは、民主党政権になった2009年9月、鳩山由紀夫代表から幹事長を外されてしまい、鳩山内閣の初代外相として1年間務めました。

 この訪問については、岡田克也さんの個人ブログでも紹介されています。


[写真]米空軍三沢基地のラスティーン司令官と懇談する、岡田克也幹事長、2011年5月15日、岡田克也トークアバウトから。

 「この週末(14、15日)は青森県へ行ってきました。基本的には、知事選を控えて、民主党の候補予定者の山内たかしさんの集会に参加するということでしたが、この機会に原子力に関わる問題を中心に、いくつか現地を視察しました。その中で、まず今日お話ししたいのは、三沢の米軍基地を訪問したことです。米軍は、三沢には空軍を中心に展開していますが、そこのマイケル・ラスティーン第35戦闘航空団司令官(大佐)を訪ねて、一言お礼を申し上げました。震災の後、八戸や三沢を訪れた際に、当時はまだ瓦礫(がれき)も撤去されていない状態でしたが、八戸の漁港組合の皆さんや漁民の皆さんから、三沢基地の米軍関係者や家族の皆さんが、ボランティアとして被災地に入り、瓦礫の撤去に大変協力してくれたというお話を聞いていました。“トモダチ作戦”ということで、今回、米軍は自衛隊とともに、大変大きな協力の実績を残してくれましたが、そういう中で、三沢基地の皆さんは、本格的な「トモダチ作戦」の展開の前から被災地に入って、自主的に行動してくれました。騒音の問題や基地にまつわる問題などは、もちろん様々ありますが、もともと三沢基地と三沢の地元コミュニティとの関係は良いと言われており、常に深い交流があって、進んでいると言われてきました。今回の地震に対しての、米軍関係者の皆さんの行動は大変素晴らしいものがあったと思います。そういうことで、ラスティーン司令官をお訪ねして、日本国民の1人としてお礼を申し上げ、同時に、当時の活動状況などのお話を伺いました。こういった協力関係がさらに深まればいいな、と改めて思ったところです。」

 ところで、朝日新聞は「日本側の外交関係者に伝えた」と報じています。これとの関係はまったく分かりませんが、前外相の前原誠司さんが、今週初めにレビンさんと会っているはずです。前原さんが先週末、米上院最長老のダニエル・イノウエ歳出委員長(民主党)と会った際には、辺野古崎沖埋め立ての現行案を履行するように言われたようです。これは、辺野古崎沖を埋め立てた方がお金は一杯かかりますから、やはりダニエル・イノウエとしてはこちらのより利権の総額が大きい利権バスに乗りたいところでしょう。ダニエル・イノウエは86歳ですが、彼の奥さんは若いらしいですよ。


[写真]前外相の前原誠司さん。


[写真]米軍事委員会の左から、レビン、ウェッブ、マケインの各上院議員。


[写真]辺野古崎沖の埋め立てをめざす、最長老で歳出委員長のダニエル・イノウエ上院議員。

 一方、同じ民主党でも、レビンさんとウェッブさんは、同じ党のオバマ大統領が、財政再建で再選をめざすうえで、少しでも軍事費の歳出を減らしてあげたいというのが本音でしょう。そうなると、日本人として絶対に飲めないのは、沖縄からグアムへの兵員・装備の移転がストップしてしまうことでした。ここがまさに、嘉手納統合案の痛し痒しの部分でした。

 しかし、25日付の朝日新聞の報道からすると、嘉手納の空軍を三沢に移し、普天間の海兵隊を嘉手納空港に移して、普天間を閉じる。そうすれば、辺野古崎沖の埋め立ては必要がなくなる。また、グアムへの移転もできればすすめてほしいですが、あちら(アメリカ連邦政府)の財政も厳しいですから、それなりになる。ただ、空軍が三沢に移れば、沖縄の負担は減少します。まさに「県外移転」という、岡田克也外相・北澤俊美防衛相コンビを苦しめた呪文もかなうわけです。

 どうやら、レビン、ウェッブ両上院議員の動きは、岡田克也さんや前原誠司さんらと何らかの連携がある動きのように、私には感じられます。2011年5月24日、防衛省で、防衛大臣の北澤俊美さんと会った当山宏・嘉手納町長は「嘉手納統合案はうんざりだ。もう2度と日米交渉のテーブルにのせないでほしい」と言ったそうです。ご同情の至りです。しかし、ナントカこの案を突破口にしてほしいと考えています。きょうの普天間周辺住民のためと、1000年先の日本人のために、辺野古崎沖の埋め立てをナントカやめさせましょう。

 永遠の同盟国、永久のトモダチ。日本とアメリカの新たな時代の幕開け。それは「対等に話し合う」ことから始まります。

asahi.com(朝日新聞社):三沢基地へ移転、有力視 嘉手納の一部、米議員が構想 - 政治

沖縄県の米軍普天間飛行場(宜野湾市)を米軍嘉手納基地(嘉手納町など)へ統合する案を提言した米上院の重鎮、レビン軍事委員長(民主)らが、嘉手納基地の戦闘機部隊を米軍三沢基地(青森県三沢市)へ移転することが有力だ、と日本側の外交関係者に伝えていたことがわかった。

 三沢基地は2007年以降、嘉手納のF15戦闘機や米軍岩国基地のFA18戦闘攻撃機の訓練移転を受け入れてきた。普天間のヘリコプター部隊を嘉手納に統合すると騒音などが問題となるため、嘉手納の空軍を三沢に移して沖縄の理解を得る狙いがあるとみられる。

 レビン氏と連名で提言した米上院のウェッブ外交委員会東アジア太平洋小委員長(民主)は、最近の日本側関係者との会談で「提言で意図的に触れなかった点がある」と説明。嘉手納の空軍の日本本土への分散先として「三つほど検討できるが、特に三沢が有力」と伝えた。部隊が沖縄を離れることによる抑止力低下については「嘉手納から分散しても太平洋地域には残るので問題ない」と語った。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

◎嘉手納統合案が再浮上! 

2011年05月12日 20時34分07秒 | 岡田克也、旅の途中

 アメリカ議会は予算シーズンに入りました。これから6月30日までに、下院が歳出法案を作成→審議し、可決します。その後、上院に送付することになりますが、上院は下院と並行して審議しているのが実態のようです。10月1日の新会計年度入りまでに、各委員会ごとに分かれた合計12本の歳出法案が上下両院で可決・成立しなかった場合は、暫定予算成立のための継続決議というのをやることになるそうです。

 というわけで、きょう辺り審議入りした予算案の執行がおわった1ヶ月後に、米大統領本選挙があるわけで、オバマ大統領は実績作りをしていますし、共和党では、ナント!ギングリッチ元下院議長が大統領予備選に出馬するというビッグニュースが出てきました。

 また6月末で、前政権(共和党ブッシュ息子政権)から引き続き国防長官を務めてきたゲーツさんが、6月末で辞めることになっています。後任がだれであれ、国防長官交代というのは、煮詰まった事項があれば良い機会になります。

 「何事も初めが肝腎」、本格的な予算審議が始まったこの時期に、さまざまな立ち会いの張り手の応酬が米政界で起きています。とにかく、オバマ大統領が出生届のハワイ州の原本を公開したり、アフガニスタンでついにオサマの息の根を止めるなど、大統領自ら再選に向けて、張り手、猫だまし連発です。

 だからチャンスなのです。

 ビッグニュースです。

 米上院軍事委員会のレビン委員長(民主党)、マケイン筆頭理事(共和党)、ウェッブ「日本など」小委員長(民主党)の3人が国防総省に「米海兵隊普天間基地の米空軍嘉手納飛行場への統合の検討」を求める共同アピールを発表しました。東日本大震災による日本の財政難などから、普天間基地の辺野古崎沖埋め立て地への移転が、お金がなくて、完成が不透明なので、安くても、工期が早い、嘉手納統合案や、グアムなどへのさらなる機能移転に急シフトした格好です。

 嘉手納統合案については、何度も再浮上しており、「もううんざり」という人が多いようですが、まあ、岡田克也さんのねばり強さ、アメリカ人脈(ハーバード大学研究員時代の岡田克也・多津子夫妻のホームパーティー)で、ひょっとすると、嘉手納統合で、辺野古崎沖の埋め立てはなくなるかもしれません。

 
[写真]米上院軍事委員会の左からレビン委員長(多数派・民主党)、ウェッブ小委員長(同)、マケイン・野党側筆頭理事(共和党)

 レビンさん、ウェッブさん、マケインさん。前回大統領候補だったマケインさんが日本でも有名ですが、僕はアメリカのパワーエリート(権力者)には詳しくありませんが、マケインは軍人出身で超党派的な人気があり、前々から、民主党に手を突っ込んだ超党派が上手い人だと思います。その辺で気心のしれたリーバーマンも軍事委員会所属のようです。最近は米議会知日派(注意=親日派とは限らない)では、なんと言っても最長老議員のダニエル・イノウエ(民主党)がいますが、東アジア全体で、ウェッブさんも若手で一気に頭角を現しています。ぜひ「レビン・マケイン・ウェッブ」トリオにこの利権争いのイニシアチブをとって、早ければ、次の会計年度の予算委も調査費を計上して欲しいものです。

 この3人の今回のイニシアティブは、東日本大震災による、日本側の辺野古崎沖埋め立て工事の財政見通しが厳しくなったことが背景にあるようです。それよりも、いずれにしろ、成田空港を上回る日本最大の空港である嘉手納に、海軍と仲が悪くても、海兵隊を持っていく工事の方が、総額は安くなっちゃうんでしょうが、「現実的な利権だ、実利だ」という読みがあるのでしょう。いわば、「実利」はむしろ、3月11日以降、嘉手納統合と、グアムへの機能移転促進というパッケージに相対的に軍配が上がりつつあるのではないか、と私も思います。日本および米国が辺野古崎沖を埋め立てるお金がなくなりつつあるということでしょう。

 ダニエル・イノウエ、ゲーツ国防長官、そして新国防長官がどっちの利権を選ぶかということになります。「ああ、東日本大震災がなければ・・・」などと考えてもしょうがありません。そんなのは「人類が月に行っていなければよかった」と思うようなものです。人間である以上、前に進むしかありません。

 沖縄は疲れています。「再浮上」なのか「再々再々再々再々浮上」なのか分かりませんが、とにかく今度こそ、しっかりと成案を得ましょう。やはり、辺野古は埋め立てちゃダメです。人は誰でも死にます。でも国は生き続けます。100年先の日本人のために、辺野古は埋め立てちゃダメです。「嘉手納統合案」しかない!と私は考えています。

 こういう不安定な時代こそ、力のある者はより力のあるポジションに上がっていく。それが政治です。そうでない人間は、地元で戸別訪問するしかありません。

 まっすぐでひたむきな岡田さん。とはいえ、これは日本にとっても沖縄にとってもラストチャンスです。10月1日から施行されるアメリカ新年度予算にしっかりと日本の国益を盛り込みましょう。

 なお、民主党の岡田幹事長は2011年5月12日(木)午後4時からの定例記者会見で「5月14日(土)と15日に青森県知事の山内崇予定候補を応援に行った際に、米空軍三沢基地に震災ボランティア支援のお礼のために、うかがい、基地の関係者とも会う」と発表しました。

 たとえ狭い道でも前に進む、身も心も頑丈な「バズ・ライトイヤー」岡田さんの背中を押しましょう。 

(当ブログ内カテゴリー北澤俊美「りんごと二大政党」エントリーから引用はじめ)

「政治家としての勇気の差かな」 

2009年11月26日 15時54分09秒 | 北澤俊美「りんごと二大政党」
【衆院安全保障委員会 2009-11-26】
 朝の8時40分という極めて早い時間から、岡田克也外相・北澤俊美防衛相に対する一般質疑がありました。
 不正常国会での安保委の運営について、安住淳委員長が反省を述べてからスタートしました。
 公明党の佐藤茂樹さんの質問。米海兵隊普天間飛行場の米空軍嘉手納基地への統合案について。
 北澤防衛相は岡田外相が検証を続ける「統合案」について、就任直後の沖縄訪問では、「厳しい道のりだ」と感じたとの心情を吐露しました。その上で、
 「岡田大臣が(嘉手納統合案に)挑戦しているのは、政治家としての勇気の差かなあ、と思っておりまして。私は少し難しい話かと思っていましたが。岡田外務大臣は難しいから探求してみたいと。同僚が言うのも何ですが、その勇気は称賛に値する」と述べました。
 そのうえで、「新しい政権を担った責任者として、(外相が)探求すべき問題だ」として、岡田さんの検証作業を見守りたいと明言しました。

【当ブログ内からの引用おわり】
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「子供を一目見たい遺族の切なる思い。国民を代表してお願い申し上げます」【追記あり】

2011年05月08日 22時21分54秒 | 岡田克也、旅の途中

[画像]民主党の岡田克也幹事長、2011年5月8日、東京電力・福島第一原子力発電所から10キロ圏内「NHKニュース」から。

 岡田幹事長は2011年5月8日(日)、東京電力・福島第一原子力発電所から半径10キロ圏内の浪江町に入り、行方不明者の捜索にあたる自衛隊・警察・消防を激励しました。

 防護服姿の岡田幹事長はハンドマイクを持ち、「子供を一目見たいという遺族の皆さんの切なる思い。国民を代表してお願い申し上げます」と閣外から、自衛官らに要望しました。

  
[画像]民主党の岡田克也幹事長、2011年5月8日、福島県の浪江町・南相馬市周辺、左2枚は「TBSニュースi」から。

 また、南相馬市の養豚場では残された家畜について、化学工場では操業の再開について、それぞれ経営者から要望を聞きました。

【追記 2011年6月8日 午後5時半】

民主党ホームページ内に、震災ボランティア室製作の視察のようすをまとめた動画がアップロードされました。同行した高邑勉さん、玉木雄一郎さんの両1期生民主党衆院議員のインタビューも出ています。ぜひご覧下さい。

 【追記おわり】 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岡田外相が米圧力をはねのける 「密約」ディスクロージャー ウィキリークス外交公電で明らかに

2011年05月07日 13時02分15秒 | 岡田克也、旅の途中

[写真]岡田克也さん、宮崎信行撮影

 岡田克也外相が、自民党政権が結んでいたアメリカとの「密約」の調査とディスクロージャーを命令し、実現するプロセスにおいて、アメリカが「あいまいにしておけ」「調査に懸念している」と圧力をかけていた可能性があることが分かりました。そして、あろうことか、日本外務省の局長までもが「これは普天間よりやっかいな問題だ」とアメリカに同調していたとする米外交公電が存在する可能性があることが、2011年5月7日(土)付朝日新聞1面の報道で明らかになりました。朝日はことしの大型連休の目玉企画として、ウィキリークスからの資料提供と、ニューヨーク・タイムズの取材協力を受けた記事を連日載せています。


[写真]2011年5月7日(土)付朝日新聞1面

 岡田外相は2009年9月16日に皇居で認証式を終え、官邸で記者会見した後、外務省に初登庁。時刻は9月17日になっていましたが、国家行政組織法第12条などに基づく大臣命令で「密約調査」を命じました。省内での調査を終え、有識者による読み込みを終えて、2010年3月9日、密約に関する調査報告書を国民にディスクロージャーしました。

 朝日によると、在東京のアメリカ大使館は2009年11月27日付でワシントンD.C.の国務省に公電を打ちました。公電はこの日、大使館で、ズムワルト首席公使は、外務省の梅本和義・北米局長と会い、密約問題について協議。ズムワルト公使は、「艦艇の核搭載をあいまいにしておくことは抑止戦略の重要な要素だ。ルース大使は調査の行方を懸念している。これは単なる国内問題ではなく、より広い地球規模の文脈でアメリカ戦略に影響が出る可能性がある」と述べ、岡田外相に露骨な圧力をかけました。これを聞いた、梅本局長は「やっかいな問題であり、たぶん普天間より難しい。現政権は密約調査がもたらす結果を理解していない」「核兵器についてさらに明解な説明を求める(国民の)声にどう答えるのか、日米で非公式に協議を続けることが必要だ」と述べ、あろうことか、外務省局長でありながら大臣を批判し、北米局長としてアメリカの意見を擁護するという小役人ぶりを発揮しました。小村寿太郎が泣いてるぞ。そもそも「密約調査」は行組法第12条などに基づく命令なので、これに背いた役人は懲戒処分の対象になります。私は藪中三十二・外務事務次官らは、岡田外相によく協力したと考えます。

 朝日によると、カート・キャンベル国務次官補が発表1ヶ月前の2010年2月4日にも、梅本局長と協議した際に密約の話題になったとしています。岡田さんはハーバード大学研究員時代から独自のアメリカ人脈を持っており、岡田さんとカート・キャンベルさんは互いに野党時代からの知己ですので、キャンベルさんは「核をめぐる歴史」は日米で対処すべき問題だ、としてディスクロージャーのその先にある日米同盟の深化について言及。「米国の航空機と艦船が核兵器の搭載を肯定も否定もせずに立ち寄ることができること」を求めました。現実問題として、ブッシュ父政権以降、軍用の船舶・航空機に核兵器が搭載されていることは運用面からして、ないとみられます。が、キャンベルさんは、100年先を見て、今後のイノベーションや、運用の変更などを見すえて、「あいまい」の必要性をアメリカの国益を代表する立場として言ったのだと考えます。

 政権交代のその先に、もっと大事な「政治を国民の手に取り戻す」。自民党による50年政権でのボタンの掛け違いを解こうとした岡田さんのディスクロージャーを、他策なかりしを信ぜむと考えた国士たちが岡田さんの背中を押して、アメリカの圧力をはねのけたと言えそうです。

 岡田さんは2011年5月5日、沖縄県の那覇空港で記者会見した際、ウィキリークスについて、「違法な手段によって明らかになったことなので、いちいちコメントする気持ちはない」と述べています。


核密約公開、民主政権に再三「憂慮」 米外交公電で判明(朝日新聞) - goo ニュース

 民主党政権が昨年3月に公開に踏み切った1960年安保改定時の日米の「核密約」を巡って、公開は米国の世界戦略に影響を与えかねないとして、米側から強い懸念が繰り返し伝えられていたことが分かった。内部告発サイト「ウィキリークス」が入手した日本関係の外交公電を朝日新聞が分析し、判明した。

 核を積んだ米艦船の日本寄港を認めた密約は、冷戦終結後の91年に米軍が水上艦の核搭載をやめたことによって意味を失ったとされていたが、公電からは、将来の政策変更があり得ることを視野に、「暗黙の合意」の継続にこだわる米側の思惑が明確にうかがえる。持ち込みを禁じた日本の非核三原則との関係が問われることも必至だ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「わが党は存亡の危機にある」長老76歳のピンさんが“切腹”を申し出て、岡田幹事長が慰留 

2011年04月25日 18時27分12秒 | 岡田克也、旅の途中

 ピンさんこと、民主党の石井一(いしい・はじめ)選対委員長は、2011年4月25日(月)の役員会で、第17回統一地方選の党勢拡大失敗の責任を取り、辞表を提出しましたが、岡田克也幹事長が慰留しました。

 ピンさんは、ことし1月の民主党大会で「わが党は存亡の危機にある」として、ガンバロー3唱の音頭を取りました。

 
[画像]2011年民主党大会で、「わが党は存亡の危機にある」としてガンバロー3唱の音頭を取る石井一さん(中央)、羽田孜最高顧問(左)、菅直人総理・代表(右)。

 石井一、76歳。華の昭和44年初当選組。経世会(自民党竹下派)→改革フォーラム21(自民党羽田派)→新生党→新進党→国民の声→民政党→民主党。岡田さんと党籍が完全に一致する唯一の先輩です。そのピンさんは、若い40歳代の当選6回生から奪うように、自ら選対委員長になりました。選対委員長を追われた40歳代の当選6回生は国民運動委員長に横滑りしました。岡田牛若丸に、石井弁慶。民主党の未来のために「切腹」を申し出た長老76歳。こういう長老が、1月に「わが党は存亡の危機にある」として団結を呼びかけたのに、小沢グループは輪を乱し、まっすぐに立ち右向け右で整列することすらできない民主党の候補者たち。小沢グループは人間として、恥ずかしくないのでしょうか。今、日本の置かれた立場が分からないのでしょうか。

 私はピンさんが選対委員長になったときから、きょうの行動を察していました。国土庁長官、自治大臣、国家公安委員長。福田赳夫内閣の運輸政務次官として日本政府を代表してダッカ事件の人質となりました。1993年6月18日には、政治改革を訴えて、イカダに乗って船を出た白髪交じりのシンドバッド。甲南大学からスタンフォードへ。日本の国会でイチバンカリフォルニアが似合う男。

 
[写真]田中角栄とピンさん。

 
[写真]ピンさんとレーガン大統領。

 「オレが閣僚のころ、菅は小政党の若手だったからよく質問してきたけど、こいつは鋭いなあ、伸びるだろうなあと思っていたよ」と言って、1998年、自ら菅直人執行部で、志願して国対委員長を引き受けたピンさん。けっして頂点に立つ政治家ではありませんが、政権交代ある二大政党制を日本に導入した立て役者の一人です。岡田さんの前をずっと歩きつづけてきてくれたたった一人のピンさん。

 それにひきかえ、小沢グループはいったいなんなんでしょうか。政党政治というのは、こういう風にやるもんなんですよ。勉強不足にもほどがあります。そろそろ、小沢グループを根絶やしにしなければいけない時期を迎えつつあります。

【追記 2011年4月28日 午後3時50分】

 岡田さんは4月11日(月)の定例会見で「選対委員長の責任感はよくわかりますが、ご本人にも直接申し上げましたように、辞めて済む話ではなくて、やはりしっかりとそのことを責任として受け止めて、そし
て物事を改善していく、次回を期すことが本当の意味での責任のとり方ではないか、 と申し上げたところであります」と述べました。【追記おわり】


関連エントリー)2007年10月16日 僕は石井ピンは必要な政治家だと思う。誰が何と言おうとも。

 【統一選】民主・石井選対委員長が辞職願 慰留され取り下げ - MSN産経ニュース

 民主党の石井一選挙対策委員長は25日午後の党役員会で、統一地方選の大敗と衆院愛知6区補選の不戦敗の責任を取るとして、岡田克也幹事長に辞職願を提出した。しかし、統一選に関する党内での総括が終わっていないとの理由で慰留され、石井氏は辞職願を取り下げた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岡田さんに岩手・大槌町から希望の短歌 郵政が粋な計らい

2011年04月16日 07時00分00秒 | 岡田克也、旅の途中

 「八重椿 薄紅添えて 咲き初む(そむ)を 苦難にあいし 人々よ見よ」

 岡田克也さんは2011年4月14日(木)の定例記者会見で、岩手県大槌町の女性(69)から、1枚のハガキが届いたことを明かしました。同日、岡田さんが党本部に出勤したら、届いていたとのこと。

 椿は春の季語で、春に花が咲くから、「木」へんに「春」で「椿」と書くそうです。椿の花は、咲きはじめてから満開になるまでの期間がひじょうに長く、20日以上におよびことがよくあるそうです。(『季語辞典』)ことしの東北は、いつもよりずっと満開になるまでの時間がかかりそうです。そのような思いを座右の銘「大器晩成」の岡田さんにぶつけてきたようで、岡田さんは小沢グループによる倒閣運動でこの日はあまり元気がなかったのですが、一筋の希望を、被災者の方からもらうことができたようです。

 ハガキには、このほか、「山鳩の うめくごとくに 鳴く声は 仲間を呼ぶや 生きているとぞ」との短歌も添えられていました。壮絶な情景であり、これは修羅場をくぐった人にしか詠めない短歌です。絶句します。

 ハガキには、「お見舞いと視察について、篤く御礼申し上げます」と書き添えてありました。

 差出人の住所は「大槌町 城山体育館」。宛先は「東京都民主党岡田幹事長殿」。日本郵政・郵便局の粋な計らいが被災地の声をすばやく国会につなげてくれたようです。

 なお、季語辞典によると、椿の花が満開になるのが長いことについて、「したがって長い間、花を楽しむことが出来る」ともしています。

 ◇

 衆議院は、2011年4月12日(火)の本会議で、郵政改革に関連する諸法案を審査するため、委員45人よりなる「郵政改革に関する特別委員会」を設置することを決めました。

民主党:岡田幹事長、岩手県宮古市、山田町、大槌町、釜石市を視察(民主党ニュース、2011年4月8日)

 岡田克也幹事長は8日、震災で被害を受けた岩手県内の宮古市、山田町、大槌町、釜石市を視察。被害の甚大さを改めて実感したと述べるとともに、復興に向けて「新しい東北をつくる」と表明し、被災者支援、被災地の復旧・復興に向けて全力で取り組んでいく考えを示した。

 津波で海岸沿いの集落が大打撃を受けた宮古市では、山本正徳市長、大井誠治県漁連会長らと懇談。1933年(昭和8年)の三陸地震大津波の教訓から強固な防潮堤を張り巡らし、毎年避難訓練を欠かさず、「防災のまち」として全国から注目されていた宮古地域。山本市長は、先人が営々と築いてきた成果が一瞬にして崩れてしまったと嘆く一方、漁港が復活すれば人々も元気になれるとの期待も込め、仮設住宅の建設と並行して地元の雇用創出などを求めた。

 町民約580人が町内の高校で避難生活を送っている山田町、加藤宏暉町長ら多くの職員が亡くなるなど壊滅的被害を受けた大槌町では、沼崎喜一・山田町長や東梅政昭・大槌副町長からそれぞれ状況報告を受けた岡田幹事長。「被災者の皆さんが希望をもって立ち上がれるよう支援するのが政治家の使命」だと述べ、まずは、約4兆円規模の平成23年度第1次補正予算を早期成立させることで、仮説住宅の建設やインフラを復興させていく考えを表明。「復旧・復興ではなく、新しい東北をつくる意気込みで地元の皆さんに先導していただきながら一緒に取り組んでいきたい」と決意を述べた。

 避難所となっている山田高校、大槌町中央公民館を慰問した岡田幹事長は、「ご不自由をおかけし申し訳ないが日本中が皆さんを応援している。一緒にがんばっていきましょう」と被災者を激励。寄り添って手を握りながら一人ひとりの話に耳を傾け、仮設住宅の早期建設をはじめ、被災者のニーズに沿った支援をしていくと約束した。

 釜石市では、野田武則釜石市長の案内のもとに釜石港を視察した後、災害対策本部のある市内の施設で市長らから状況報告を受けた。市側は、企業の多い釜石では、企業の再開こそが町再生のスタートであるとし、産業基盤再建に向けた政府の後押しを要望。岩手では特に水産加工業が盛んであり、生産・加工・流通と6次産業化させていきたいと市長。岡田幹事長は、被災者の皆さんが安心して暮らしていけるためにも、住宅の提供のみならず雇用創出が欠かせないとして取り組みを約束。これから漁業の市場は日本国内のみならずアジアにも広がるとも指摘し、世界に向けて競争力のある水産加工業を目指してほしいとエールを送った。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岡田「もう一度チャンスを与える」俊美「幼い子には、温かく教育してやることも大事だ」

2011年03月02日 06時26分46秒 | 岡田克也、旅の途中

【衆院本会議 2011-3-1】

 総予算の年度内成立が確定してほっと一息ですが、「自称・新会派」(比例単独チームB)の16人が欠席したことから、岡田克也幹事長の3月1日の臨時役員会と常任幹事会で、「自称・代表」の渡部浩一郎・民主党衆院議員(比例東京ブロック、当選2回=1993年第40回衆院選、2009年第45回衆院選)を党員資格停止・6ヶ月にすることにしました。倫理委員会(渡部恒三委員長)の5人の議員プラス五百蔵洋一弁護士の中立・公正な話し合いのあとに、正式決定します。

 3月1日午前3時過ぎの採決では、党員資格停止中の元代表・小沢一郎さんも、出席して、賛成票を投じました。衆院議員としても、民主党員としてもきわめてまっとうな行動です。

  
[画像]菅内閣提出の平成23年度総予算3案に「賛成」する左から、岡田克也、川内博史、小沢一郎各民主党衆議院議員。議長席は横路孝弘さん=衆議院インターネット審議中継から。


 渡部“代表”の欠席について、ひな壇を降りて6時間後に開かれた閣議後会見で、防衛大臣の北澤俊美さんは、「ものがわかっていない人をやたら強い姿勢で処分することは必ずしも得策ではない。い子には、温かく教育してやることも大事だ」として、一部に出ていた「除籍論」について、落ち着いた心構えをするように説きました。

 
[画像]防衛大臣の北澤俊美さん(TBS)、民主党幹事長の岡田克也さん(日テレ映像)

 党員資格停止が決まった後、幹事長の岡田克也さんは、「彼らにもう一度チャンスを与えたい。処分するのは簡単だが、ここでもう一回考え直してもらいたい」として、政治家として再起する道を残しました。

 渡部浩一郎氏は1993年夏、第40回政治改革総選挙で初当選。日本新党1期生として、テレビ取材で国会見学に来た有権者を案内し、衆院本会議場を説明し、ひな壇を指さしながら、「私もあの真ん中(総理)まで行かなくても、大臣席ぐらいまでは行きたいです」と話していたシーンを記憶しています。彼(ら彼女ら)にはそのチャンスが残されたということになります。


[画像]新会派代表を自称する、渡部浩一郎民主党衆院議員(NHKニュース)

 1993年初当選組は多士済々。細川・羽田内閣といきなり与党デビューでしたが、政権を失い、辛い思いをしました。そしてこの悔しさが、石にかじりついても政権(権力)の重荷を担うという責任感。そして、そのすべての判断は、有権者が選挙で決定するのだから、その準備ができるまでは、絶対に政権を投げ出してはいけないという心構えにつながっているのです。ただ、多くの人は重荷を担えず、消えていきました。岡田さん、俊美さん、恒三さん、ピンさんら強い人だけが残っています。

 新生党1年生議員で、最年少だった松沢成文さんは『僕は代議士一年生』という手記を出版しました。松沢さんは「僕たち新生党のエース、羽田孜総理が、わずか2ヶ月で退陣するのは無念に尽きる。だが、どういうわけか僕には敗北感がなかった」と書いています。しかし、現実は、この後15年間野党暮らしが続くわけで、この認識は国家国民のためには甘かったとしか言いようがありません。松沢さんは「国民の皆様にとっては、今回の政変は理解し難い茶番劇だったかも知れない。でも僕たち代議士1年生にとっては、時代の大転換期の嵐のようなものだった。その中で、僕は新しい政治をつくるためにもがき続けている」と心境をつづっています。そして、「翌30日の議員総会で、羽田党首(もう総理ではない)は、『街頭に出て、我々の理念と政策を国民に訴えよう』と相変わらずの調子で僕たちに語った。僕は7月1日、羽田党首とともに街頭演説に立つ。そして、政治家である限り立ち続ける」と書いている。それから17年間、ホントウにこの人は走り続けている。僕は松沢さんを尊敬しています。

 松沢さんが「代議士1年生」の1994年ごろは、「国会議員といっても全然贅沢なくらしではない」として、その一例として「僕は選挙区が川崎だから、毎朝駅頭をして、そのまま地下鉄で国会に向かいます。クルマじゃないんですよ。ただし、この無料パス。ホントウは使いたくないんだけど、国会議員はホントウに時間が少ないんで、切符を買う時間を節約するために、使わせてもらってます。すいません」、「今着ているスーツだって、仕立てじゃないんですよ。新宿の伊勢丹に行って、窓口から慶應の同級生を呼び出してもらって、社員割引で吊るし(既製品)を買っているんですよ」という趣旨の話をして、多くの聴衆がうなづき、自民党一党独裁政権から政権交代可能な政治で、大きく日本が変わったという感覚を持ったようです。そして国民の選択ではない「自社さ闇討ち政権」に先祖返りしていまい、1995年の第17回参院選で総得票数で自民党を上回った新進党も解党してしまいました。17年が経ち、わが国の経済状況をみると、昔日の感があります。


[画像]羽田孜さんと松沢成文さん

 新生党は「自立と共生」と掲げました。一部では、「自立は自由主義で自民党、共生は社民主義で社会党」と揶揄されたこともあるけど、そのベストミックスが政治の進む道であることは間違いありません。語順はあくまでも、自立、そして共生であって、世間というのは自立すれば、案外、共生できるものだ。「自立と共生」は、力のある人ならば、「先進と協働」へ進化させることができるでしょう。誰もがそうできるわけではないけど、走り続ける強さがある岡田さんや、松沢さんを尊敬するし、その背中を強く押せるように、僕も強い人間になりたいと考えます。政権交代は実現しました。「羽田総理」でもなく「羽田党首」でもなく「羽田先生」でもなく、「羽田さん」が、あまり演説は得意でないけど、その背中でしっかりと示していた、自立と共生、政治を国民の手に取り戻す動きの端緒はようやく見え出しました。

 「もう遅い」と嘆きたくもなりますが、もう1回あきらめずに、子孫に美田と林檎の木を残すためのチャンス。日本と日本人には十分に残されていると考えています。

【追記 2011-3-2(水) 11:10】

 衆院財務金融委員会が開かれ、渡部浩一郎・民主党衆院議員と同じ第40回・第45回当選2回生の「自称・新会派」の豊田潤多郎・民主党衆院議員が理事を辞任しました。後任には民主党1期生で小選挙区勝ち上がりの岸本周平委員が就任しました。

【追記おわり】


【関連エントリー】
http://blog.goo.ne.jp/kokkai-blog/s/%BE%BE%C2%F4%C0%AE%CA%B8

asahi.com(朝日新聞社):欠席の16議員に政権内から批判 民主、処分協議へ - 政治

 新年度予算案を採決した衆院本会議に民主党議員16人が欠席するという事態に、政権内からは批判が相次いだ。民主党は1日午後、処分を行うかどうか協議するが、厳しい処分に踏み切れば党内対立が一層激化しかねず、党執行部は難しい判断を迫られる。

 枝野幸男官房長官は1日午前の記者会見で「16人が意図的に本会議を欠席されたことは、国民から与党の一員として責任ある対応とは到底受け止められないだろう」と語り、厳しく批判した。与謝野馨経済財政相も会見で「国会議員は予算や法案の採決に参加することで機能を果たすべきだ。出欠で政治的意思を表明するのは正しいことなのか疑問だ」と指摘。海江田万里経済産業相も、二・二六事件を引き合いに「『今からでも遅くはない。すぐに民主党に戻れ』と(16人に)言いたい」と語った。

 民主党は1日午後の臨時役員会、常任幹事会で16人の処分を協議する。岡田克也幹事長は1日未明、国会内で記者団に「国会議員として最低限の責任を果たして頂けないのは残念だ。有権者に申し訳ない気持ちだ」と語るにとどめた。党内には「政党としては一定のけじめが必要になるのではないか」(玄葉光一郎政調会長)として、党員資格停止や離党勧告などの厳しい処分を求める意見がある。

 ただ、北沢俊美防衛相が1日、党内の結束を保つべきだとの立場から「ものがわかっていない人をやたら強い姿勢で処分することは必ずしも得策ではない。幼い子には、温かく教育してやることも大事だ」と語るなど、政権内には処分への慎重論もある。

時事ドットコム:甘い処分、批判相次ぐ=岡田氏「もう一度チャンスを」-民主

甘い処分、批判相次ぐ=岡田氏「もう一度チャンスを」-民主
 民主党執行部は2011年度予算案の採決を欠席した衆院議員16人について、渡辺浩一郎氏のみ党員資格停止とし、他の15人は厳重注意にとどめた。16人は小沢一郎元代表の処分に反発して同党会派の離脱に動き、予算採決でも造反。それでも、岡田克也幹事長が厳しい処分を下さなかったのは、党内の亀裂拡大を懸念したからだが、「甘過ぎる」と批判が相次いだ。
 1日午後の役員会。岡田幹事長が16人のグループ代表の渡辺氏だけを6カ月間の党員資格停止とする処分案を示すと、安住淳国対委員長は机をたたきながら「これでは示しがつかない」と反発。多くの出席者も「処分は甘い」と口々に訴えた。
 続いて開かれた常任幹事会でも「もう一段重い処分をすべきだ」「一律に全員同じ処分だ」との意見が噴出したが、結局は岡田氏の提案を了解した。「民主党は心優しい人が多いなあ」とベテラン議員は厳しい処分に踏み切れない執行部の対応を皮肉を込めてこう批判した。
 与党議員として最も重要な予算採決を欠席した渡辺氏らの行動は本来、厳罰が避けられない。枝野幸男官房長官は1日午前の記者会見で16人の処分に関し「党で厳しく処置すると確信している」と表明。前原誠司外相も「政権交代を期待した国民への反逆行為だ」と批判した。
 岡田氏は記者団に「彼らにもう一度チャンスを与えたい。処分するのは簡単だが、ここでもう一回考え直してもらいたい」と処分を軽くした理由を説明した。しかし、小沢氏系の16人が予算関連法案の採決で再び造反する可能性は高い。「今後こうしたことが起きれば、さらに厳しく対応する」と強調した岡田氏だが、党内対立拡大は避けられない情勢で、党運営には苦慮しそうだ。(2011/03/01-21:17)

「首都圏連合を強化」松沢知事が都知事選立候補を表明(朝日新聞) - goo ニュース

 神奈川県の松沢成文知事(52)は1日、東京都内のホテルで記者会見し、4月の都知事選に無所属で立候補すると正式に表明した。

 環境や医療態勢など都県を越えた広域的な課題を解決するため、東京、神奈川、埼玉、千葉の「首都圏連合」の強化を政策の柱に掲げた。羽田・成田両空港の連携強化にも意欲を見せた。また、公共的な施設を対象にした受動喫煙防止条例など、神奈川県で実施した施策に東京でも取り組む考えを示した。

[冒頭の画像]アフガニスタンを訪れた外相時代の岡田克也さん。朝日新聞・五十嵐誠記者撮影の写真。

tags 渡部恒三 ピンさん・石井一

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする