比例単独Bチームによる「自称・新会派」(渡辺浩一郎・笠原多見子・川島智太郎ら16人)結成、一新会創設者の松木謙公さんが鹿野道彦農相に辞表を出すなどの騒動で、国民に予算執行への不安が弘があった2011年2月24日(木)の代議士会で、岡田克也幹事長(57歳)が党代議士会でビシッと引き締めるできごとがありましたが、27日(日)放送の討論番組で、発言がありました。
民主党最高顧問で衆院議員の渡部恒三さん(78歳)はTBS「時事放談」で、「私もその場におりましたけどね」として、「党の方で何で菅君の奥さん(菅伸子さん)を取り上げたのか」として党に苦言を呈しながら、「しかし、これね代議士会で取り上げるような話でもない」と評しました。そのうえで、岡田さんの「今しゃべった奴、立ってください」との発言に、「岡田君は頑固で潔癖で、いままでいろいろなことがあったなかで、ヒステリーをおこしたみたいなものだ」として、心の鬱積が身体的な反応に現れるヒステリーにも似たような状況だったとしました。この代議士会について、民主党にとって「あまり自慢のできることではありません」と述べました。同志社大学教授で、ドルが国際基軸通貨でなくなりつつある、との未来予想図で定評がある、浜矩子・同志社大学教授は「やる場所が違いますよね。国会の中で、野党を相手にやるべき話だ」としました。
フジテレビ「新報道2001」には、参院議員会長(民主党・新緑風会会長)の輿石東さん(74歳)が出演。フジテレビアナウンサーひとすじ40年、生涯賃金10億円(推定)の須田哲夫さんが、先週の政治でもっとも印象的なシーンだった、と水を向けると、輿石さんは「(教師出身の)私ならやりそうですが」と笑いを誘いながら、「岡田幹事長が激怒するということは見たことがありません。そのくらいの党の危機だということだと思います」と、来週から始まる(予定の)参院での予算審議に向けて、表情を引き締めました。
恒三さんは、「当選14回、(毎回およそ)10万人に渡部恒三と名前を書いてもらったから、こういう風に、浜さんのような偉い先生と一緒に出ていられる」としたうえで、「民主党」単独名簿で当選している新会派16人について、「僕は政治家だと思っていない」と突き放しました。そのうえで、番組の最後に、「(国政だけで41年間の)私の長い議員生活の中で今ほど厳しい混迷した状況はない」としたうえで、勤続30年の菅直人総理が野党経験の方が長いことに同情しながら、「さすがは菅だ、と言われるような態度を取って欲しい」と述べました。
このブログにはまだ書いていませんでしたが、1月13日の民主党定期大会で、参院議員で民主党選対委員長の石井一さん、ピンさん(76歳)が最後のガンバローコール3唱の音頭取りで言ったことばが思い出されます。
[画像]ガンバローコールの音頭をとる、石井一さん(中央)=2011年1月13日の民主党定期大会、千葉・幕張メッセ、党本部インターネット中継からキャプチャ。
「我が党は存亡の危機にある。ガンバロー、ガンバロー、ガンバロー」
(このエントリーの初投稿日時は2011年2月26日(土)11時50分)
[画像]2011年2月24日の代議士会で発言する岡田幹事長=NHK「ニュースウォッチ9」の映像をお借りしました。
久しぶりに痛快な一事がありました。
衆院会派「民主党・無所属クラブ」の代議士会が2月24日(木)の衆・本会議前に開かれました。国会開会中ですが、2月は衆・予算委員会での予算審議が突貫工事のように進んでいますので、本会議や代議士会の開催は、9日ぶりでした。
この間に、比例単独選出の小沢系議員(渡辺浩一郎・笠原多見子・川島智太郎ら)16人が「自称・新会派」を宣言し、小沢系「一新会」の事実上の創設者である、松木謙公・農水政務官が鹿野道彦農相に辞表を出すなど、党内に混乱があり、国民の間でも4月からの生活に不安が広がっています。
その中での代議士会で、岡田幹事長は、当面の国会運営に「予算案採決を(来週に)控えて、非常に重要な局面なので、緊張感を持ち対応してもらいたい」と気を引き締めるよう呼びかけました。
この後、小沢一郎政治塾出身の1期生議員が、党本部作成のビラについて、「これでは誰も配る人がいない」などと批判しました。岡田さんはこの後の定例記者会見で「ああやってマイクを持ってしゃべるのはいい」とこの言動は評価しています。
そして、党本部で広報委員長代理を務める、3期生議員が釈明。ただ、代議士会をやっている本会議場の議長とは後ろの出入り口付近にある第4控室は、身内なのに、ヤジがとびかいました。議員のストレスに加えて、与野党が出席する本会議との勘違いもあったかもしれません。たまらず岡田幹事長が執行部席から立ち上がり、マイクを握って発言しました。
岡田幹事長は、マイクをつかむと、「
ちょっと、そこで・・・ちょっと立ってください。
今しゃべった奴、立ってください。
今しゃべった人立って。
もう少し、言い方を気を付けたらどうかね。
仲間の議員が説明しているときにその言い方があるのかね。
」と発言しました。私はこれを見て爆笑してしまいました。久しぶりに気分爽快。原理主義ときどきブラフの岡田さんらしいシーンでした。
ちなみに岡田さん、「気を付けたらどうかね」「その言い方があるのかね」とおじいちゃん口調になっていますが、実際には岡田さんが1953年にこの世に生を受けたときには、両方のおじいさんは天寿を全うされており、一緒に過ごした経験はありません。また、実父は、ワーカホリックで、四日市時代は自宅にいる時間が短く、あまり話したことはないようです。15歳~18歳のころ、大阪で2人ぐらししていた3年間にはけっこう話したようです。おばあちゃんの高田ちゑさんの口調なのか。あるいは通産省のキャリアはみんなそうですが、財界の大物、例えば瀬島龍三さんらの口調が57歳の与党幹事長という重い責任を負う立場になって、出てきたのかも知れません。いずれにしろ、「三つ子の魂、百まで」という感じがしました。
代議士会で、立たされた2人の議員のうち1人は、一新会所属の当選3回生で、衆・議運委理事の要職にあり、国会の円滑運営が国家国民から与えられた使命でありながら、ホントウに情けないと思います。また、もう一人は、発言した議員と同じ大阪府連所属の1期生で、これまた小沢一郎政治塾出身者。そして、実は、広報委員長代理も、一新会会員です。さらにこの場をしきる山岡賢次・党副代表(兼)代議士会長が、小沢グループであることはみなさん良くご存じでしょう。
ちなみ蛇足ですが、この中の一人は、国会議員でありながら、秘書飲み会(独身者にとっては合コン)がに出席し、もう一人は、トイレから出るときに手を洗いません。ホントウに蛇足ですいません。
ということは、この幕の登場人物、合計5人はみんな小沢グループですし、さらに自称・新会派16人も欠席という格好で代議会を混乱させています。実は岡田さんは怒ったふりをして、実はある程度計算づくで引き締めた可能性が高いと思います。「仲間の議員」の「仲間」というのも、複数の意味を持たせているのかも。もちろん岡田さんはロボットではありませんから、とっさに「今しゃべった奴」と「奴」と言っていますが、テレビカメラを意識して、「今しゃべった人」と言い直しています。だいたいが、岡田さんは世襲議員ではないので、とっさに「奴」と感情が先に出て、後から理性が追いつく性格でなければ、そもそも選挙に出て、日本の政治を変えようなどと思うわけがありません。そういうところも垣間見えた名シーンでした。
「人間マックス・ウェーバー」の岡田さんは、民主党権力が崩壊しかけているという危機感の前提に立って、小沢グループの内部統治が崩れかかっているという現状認識を持っている可能性があります。
「一丁かましてやった」というしたり顔を岡田さんはしているように、私には見て取れるのですが。岡田、怒らせたら恐いで~。
さて、ビックリ情報でしょうが、小沢グループの中核組織である「一新会」会長を務める3期生で総務副大臣の鈴木克昌さんが「一新会を退会したい」という周囲に漏らし、慰留を受けている、という情報(鈴木さんから確認はとっていませんが)があります。鈴木さんは愛知県ですが、地元の市議が民主党公認を返上し、大村秀章知事が代表を務める政治団体(地域政党)の公認を受けて統一選にのぞむ、という報道があります。私は地域の事情はまったく分かりませんが、鈴木さんが民主党を出たら、総務副大臣を辞めないと行けないし、次期衆院選も微妙になる。そこで、会長辞任どころか、退会したい意向という情報があります。この情報は、反小沢系が流しているのかも知れないけど、小沢グループが空中分解する方向性を示唆していると思います。
一新会の代表者は鈴木克昌さんで、会計責任者を他の衆院議員(その後、離党、不出馬)が務めていたころも、政治資金収支報告書の「事務担当者」には、松木議員の政策秘書の名前があり、一新会は、発足そのものの発案から、運営まで、事実上、松木さんがもっとも関与していました。このような経緯から、小沢一郎議員の秘書出身の政治家は、一新会の活動にはあまり熱心でない傾向が政権交代の前も、後も見て取れます。
すっきり爽快だ、と書き始めながら、最後の方には、さわやかな土曜の朝にふさわしくない情報を書いてしまいましたが、内憂外患、敵は外か、身内か分からない状況になっていますが、とにもかくにも、「予算関連法案」の行方に、不安を持っている国民が多いと思います。これは与党も野党も共有しないといけない。というわけで、私はもう政権交代の直前から、「政権交代」のその先にあるもっと大事なことは「政治を国民の手に取り戻すことだ」と書いてきました。そして、それはハッキリ目に見える形で言えば、小沢一郎さんの政治的影響力を根絶すること。これも表現に気を付けて「小沢卒業」を国会議員にも有権者にも求めてきました。ぜひ小沢被害者の仲間である公明党執行部、自民党執行部の一部(石破政調会長、小池総務会長)も協力してくれないものでしょうか。
国会の見える化が進めば、選挙のつまらない化が進みます。日常の中で、国益に資する政党、議員を選択できますから、選挙になってから熱くなる必要はありません。そういう安定した日常生活の中で、日常のささやかな喜びに生きている喜びを感じる。そういう国のかたちをつくっていく。それが予算案が衆院を28日ないし3月1日に通過した後の、後半国会の論点になってきます。変化の時こそ、国民の声の影響力は増します。チャンスです。まずは、両院協議会のネット中継とそれに関する国会法や規約の改定に向けて、ちょっと僕もいろいろ勉強しているところです。気を引き締めて、前に進みましょう。
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[写真]笑顔で衆院を去った河村たかしさん(野党・民主党)。2008年通常国会。後ろは、前原誠司外相、岡田克也前外相、高木義明文科相ら(=与党になってからの肩書き)、毎日新聞さんの記事から拝借した写真です。
民主党幹事長の岡田克也さんの2011年2月7日の記者会見では、名古屋市長選(出直し)・愛知県知事選(任期満了)・名古屋市議会解散の住民投票(リコール署名)のトリプル選挙で、河村たかしさんのチームが圧勝した「河村劇場」について、質問が集中しました。
冒頭自ら、「申し訳ない」と謝罪。敗因として、(1)有権者の議会を見る目への問題提起(2)政治への失望感・閉塞感--などを挙げました。自らが民主党代表・ネクスト総理として大惨敗し多くの仲間を討ち死にさせてしまった2005年9月11日の「郵政選挙・小泉劇場」と同じワンイシュー(シングルイッシュー)の選挙だったとみずから発言し、「私はワンイシューは良くないと思っている」と述べました。これは、今後の政治人生で、選挙の構図を設定できる立場にあったとしても、「劇場型選挙」はしない。また、政権交代可能な政治を根付かせるために、国政選は、「与党の腐り方による政権交代の必要性および野党(政権準備党)の政策・人材の備え」を問う選挙システム・政治文化をつくりあげたい考えを示したものだ、と私は受け取りました。
私が質問で、「増税」・「新税」に限らず、住民税「減税」も自治体の課税自主権であり、河村さんは国会議員時代によく勉強していたと指摘すると、岡田さんは「地方自治として、課税自主権をやる首長が出てきて欲しい」としましたが、岡田さんは「今減税をやる態勢なのか(疑問であり減税すべきではない)」と財政規律派らしい答え。それと、(河村減税は)多くの人にとっては(控除の関係で)減税になっていないということも申し上げたい」としました。ただ、私は大都市・名古屋から減税をきっかけに地方議会改革まで持っていくという大実験はもう余裕のある自治体がどんどん減っていく中で、パイロット自治体としてやってもいいと思うし、国政与党の幹事長が名古屋財政にそこまで言及すべきなのかというところで、珍しく、岡田さんと筆者の間でミゾを感じた記者会見でした。
2年前の名古屋市長選とは違い、民主党は今や国政与党です。国政与党の国会議員・秘書が東京から続々と名古屋に降り立ちし、幹事長が「名古屋がダメになる」とまで演説したのは、自民党の小沢一郎幹事長による「磯村尚徳候補擁立(対抗馬は鈴木俊一3選知事)」、鈴木都知事引退後の「7代の総理に仕えた官房副長官・石原信雄候補」、そして、青島幸男都知事引退後の「国際連合事務次長・明石康候補」と、「国政与党が下部組織の東京都に候補者(天下り候補)を送り込むという構図の選挙」で、私自身東京っ子として反感を覚えました。そして、現実に「天下り候補」は大差で落選しました。岡田さんが小沢さんに似てきているような気がして心配です。来月の出直し名古屋市議会議員選挙の結果までみないと「河村劇場」の判断はできませんが、岡田さんには反省して欲しいと考えます。
岡田さんは「名古屋の選挙は自民党にとっても深刻な事態で、共通の危機意識が必要だ」としました。2月7日の衆・予算委員会では公明党幹事長代理の高木陽介さんが、「民主党の人は優秀だけど、現場を知らないんですよ」として雪害対策を批判しました。私が注目しているある民主党議員が「地元の自治体幹部と、臨時地方交付税(臨交)をすばやく措置することで一致しました」とツイート。一方で違う媒体で、「雪かきをする公明党地方議員の写真」を私は見ました。この辺にも民主党が抱える問題点を感じます。私はむしろ、民主党は国会議員が多い逆三角形政党のままでいいようにも、漠然とですが、感じます。
河村たかしさんが一夜明けた月曜朝のNHKニュースに全国生出演しました。
[画像]再選を決めた河村たかしさん(左) 翌朝のNHKニュース「おはよう日本」の全国ネットで阿部渉アナウンサーの質問に答える(NHKさん映像からキャプチャー)
この中で、地域政党「減税日本」とは何かと問われた河村さんは「(国政では)昔から政党というのはどっちが勝つかの団体戦なんです。昔なら、新進党か自民党か。今なら民主党か自民党か。(地方議会は)違うんですよ。(海外のニュース映像などで)よく見るでしょう、夜議会とかやって。ボランティア型にしていく。早く変わっていって、いろいろな人が入って。ボランティアって言ったって、(職業議員よりも)そっちの方が(地域や職能の)専門家なんですよ。それを「減税日本」という格好でやっていこうと思うんです」と話しました。
この河村発言、まずは昔は「新進党か自民党」と新進党の名前を出してくれたのがうれしい。河村さんは市長選に出る1年前ぐらいでも、「僕は今でも新進党議員だと思っている」と話していました。小沢一郎氏による新進党解党後、河村さんらしいといえばらしいのですが、世渡りに失敗し、自由党に行ってしまいました。が、小沢氏の「保保連合構想」は二大政党制から遠のくとして、離党し、無所属を経て、民主党にちょっとだけ遅れて馳せ参じました。だから、新進党が解党していなければ、河村さんは「ハマコー的存在」として活躍してくれていただろうと残念です。
「おは日」で河村さんは「日本の(国・地方)政治は言っちゃ悪いけど、八百長みたいなもので、それを本気に戻す(きっかけが)減税なんです」と語りました。一方で、岡田さんは「減税をするような財政状態にない」と反論しているわけですが、これは、ある意味、名古屋と四日市の商家のお坊ちゃん同士のけんかに思います。岡田さんは地方自治を知らないのではないか。北九州市長に再選した北橋健治さんに少し教えてもらった方がいいかもしれません。北澤俊美さんは県議5期ですが、今でも国政同期の釘宮磐・大分市長とよく食事をしているそうで、先日は総理官邸で菅総理との3者面談も首相動静で報じられていました。
私は岡田会見で、新進党の仲間で、首長に転出していった達増拓也さん(次期知事選の推薦は常幹で決定済み)、松沢成文さん、上田清司さんに国会に帰ってきて、与党を助けて欲しいと思いませんか?と聞いたら次のような答えが返ってきました。「力を貸してもらいたいという気持ちになることもある」。
河村氏完勝、既成政党に衝撃…首長新党は追い風 : 地方選 : 選挙 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
減税と既成政党への批判を掲げた河村たかし・前名古屋市長の再選、大村秀章・前自民党衆院議員の愛知県知事の初当選は、4月の統一地方選を前に各党にショックを与えた。
首長が地域政党をつくって議会の多数派形成を狙う「首長新党」の手法も、他の地域で勢いづく可能性がある。
◆圧勝の図式
市長選の河村氏と知事選の大村氏は、「日本初の市民税、県民税の10%減税」を共通公約に掲げて「計600億円の減税で2000億円の経済効果」と主張。これで選挙戦を終始リードした。
自分と対立する市議会を解散し、自らの支持者を議員に送り込んで議会を掌握したい河村氏。描いたシナリオは、知事選で同じ減税を掲げる候補を担ぎ、自らも任期途中で辞職して出直し市長選に出馬、タッグを組んで有権者の支持を得る――というものだった。この選挙と同時に行った住民投票で市議会も解散となり、有権者の喝采を引き出す戦術が的中した。
名古屋市は赤字地方債(臨時財政対策債)を400億円発行している。このため、対立候補は「恒久減税を行う財源などない」と批判した。だが、減税の主張と一緒に展開した市議の「厚遇批判」も有権者の関心を集め、これも大きな勝因になったとみられる。
◆首長新党
もう一つの戦術が「首長新党」という手法だ。河村氏は市長選で自ら率いる政党「減税日本」公認で出馬し、大村氏も知事選直前に「日本一愛知の会」を発足させた。これで支持率が低迷する民主党など既成政党への批判を演出した。
今回の結果に勢いづくのが、橋下徹・大阪府知事が代表を務める「大阪維新の会」で、「既成政党の機能不全が証明された。次は大阪だ」(浅田均政調会長=府議)という。同会は自民・民主両党を離党した府議や大阪・堺両市議らをメンバーに橋下知事の「大阪都構想」の実現が旗印。統一地方選で行う府議選、大阪・堺両市議選で過半数獲得を目指す。
[写真]民主党幹事長の岡田克也・衆議院議員の公設秘書、金指良樹さん=岡田かつやホームページ
民主党の岡田克也幹事長は24日夕の定例記者会見で、冒頭、「ちょっと時間に遅れてきて申し訳ない」とし、「私の金指良樹秘書の永年勤続表彰があったもので、それに同席していました。20年間の長きにわたって、私を支えてくれたということで、改めて感謝したいと思います。あっという間に20年も経ったな。彼にとっては私の事務所で最愛の伴侶も得たわけですから、(人生の)悪い選択ではなかったのじゃないかなと思います」と語りました。通常国会召集日の2011年1月24日、横路孝弘議長は、18人の秘書を、議長サロンで表彰しました。岡田さんは裏方さんへの思いやりはあるのですが、照れ屋でそれを表現するのが苦手。公式の定例記者会見で、「遅れてきた理由」として秘書をたたえるのは異例のことです。
2011年1月24日の岡田克也幹事長の定例記者会見(ビデオ)
岡田事務所によると、金指良樹秘書は、1964年(昭和39年)7月、三重県四日市生まれ。東京外国語大学外国語学部アラビア語学科在学中に、外務省のプログラムで湾岸戦争直前のクウェートに2年間滞在し、「母国の政治」にめざめました。復学後、故郷で出馬準備中の「岡田かつや後援会事務所」の門をたたき、アルバイトに。1990年の第39回総選挙で、5人区で、その時点で6位なのに、NHKの当確が出るという劇的な初当選の歓喜の輪に。そのまま、岡田さんの私設秘書になり、1年後には、公設秘書に。鳴く子も黙る自民党経世会の秘書会から、新生党、新進党、国民の声、民政党、民主党と晴れた日(1993年夏、2009年夏)も、雨の日(1997年12月27日、2005年9月11日)も付き従い、20年。いわゆる「うちのオヤジ(代議士)の出世すごろく」とはまったく違う、20年。変わらぬのは「政権交代ある政治」の一つの志だけ。まさに歴史の証人。
[画像]21年前、初当選直後の岡田克也さん(フジテレビさん映像から)
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[画像]岡田克也さんが活躍できるのは、いつも金指秘書らスタッフの支えがある。
2009年政権交代で15年しぶりに与党になったときには、年少で東大法学部卒の本庄知史・政策秘書が岡田さんと外務省に行き、外務大臣秘書官に。金指さんは国会事務所の留守を守りました。一時期、より給与の高い政策秘書に昇格していましたが、岡田外相が菅直人総理から説得され、「天命だ」と幹事長を受けると、金指秘書は、公設第2秘書に戻り、本庄君が政策秘書に返りました。この辺もスムーズに淡々としており、岡田事務所のガバナンスの高さを感じます。岡田さんを「面倒見が悪い」「融通が利かない」と批判する国会議員がいますが、その国会議員は政治に何を求めているんだろうな、と疑問を感じます。
志がぶれない岡田さん。ときに厳しく感じられるでしょう。やたら出入りの激しい秘書業界で、初当選前から仕える秘書がいるところにその人徳を感じます。第45回衆院選後、かつての自民党経世会の仲間の事務所前が引っ越しの段ボールが山積みになっているのを見て、「金指さんは、良い代議士を選んで良かったですね」と言うと、「いや、それはたまたまですよ」。岡田幹事長も「そう悪い選択肢でもなかったのではないか」と照れながらも、ニコニコ生放送の中継入りの記者会見で、フルネームで言及しましたので、党本部ホームページにも記録が残ります。貴重な歴史の証人の名前を表に刻みました。三重事務所では、与党になったとたんに、秘書が担当地域を総入れ替えになり、ブーブー言っていたようですが、翌年2010年には国政報告会のノルマを必死にこなし、一時苦戦した、芝博一さんを意外と楽な成績で当選させました。その辺の人間の機微というものを、岡田克也は意外と分かっている。田中角栄さんのようにはできないけど、岡田さんを鈍感な人だとは、思わない方がいい。芝さんは今度の内閣改造で、首相補佐官(党本部幹事長総括副幹事長兼務)として岡田さんらより一足早く、官邸入りしました。報道によると、芝さんはこの前日にお父様を亡くされたそうで、晴れ姿を見せられなかったのが心残りかもしれません。
[写真]官邸入りした芝博一・首相補佐官、左は菅総理
(http://www.kantei.go.jp/jp/kan/actions/201101/18fukudaijin.html)
先日、1月9日放送のフジ「新報道2001」では、岡田さんの秘書出身で、今は三重県議会の議長になっている三谷哲央議長の岡田評が報道されました。民主党系会派が県議会の最大会派なのは、3つだけですから、元秘書が現職の県会議長というのは、岡田さんだけでしょう。小沢秘書軍団のように住み込みではなく、人数も最小限ですが、岡田秘書軍団もなかなかやります。
[画像]三谷哲央・三重県議会議長=三重県議会ネット中継から(左)、1月9日放送のフジ「新報道2001」=TV映像からキャプチャ
岡田克也さんの秘書出身で、現在は三重県会議長の三谷哲央さんのブログ
民主党の各議員事務所は、与党になって仕事量は倍増。でも、どこも秘書の数は増えていない。景気低迷、歳出下ブレ、財政再建の下で与党に「うまみ」などありません! 昨年夏の議員会館の引っ越しは、国会議員よりも、むしろ、秘書にとってオフィス環境の改善になりました。とはいえ、これからも優秀な人材をつなぎとめるのは、難しい。「秘書給与プール制」や「公設秘書5人制」といった案がよく出てきますが、面倒なことになりかねないので、あまり賛同できません。私は、まずは、衆議院解散時に、2ヶ月分の歳費を前払いするという環境改善が必要だと思います。今のように人材の出入りが激しい状態は、国益を損ねます。消費増税に向けて、国会議員が身を切るのは当然ですが、秘書の給与改善は強く望みますし、是非世論も「お手盛り」批判はしないでご理解いただきたい。
意外に思われるでしょうが、小沢さんの「チュリス」、鳩山由紀夫さんの「十全」などと違って、岡田さんは議員会館外の事務所(“ソト事務所”)は持っていません。また、三重3区でも一つしか事務所はありません。贅沢を嫌うとともに、情報の共有が大事だと考えているからでしょう。三重3区もクルマで出かけやすいよう地の利を考えて、四日市ではなく、川越町に置いているので、「四日市事務所」ではなく、「三重事務所」という呼び方をしています。
最近ではジョギングを楽しむ金指さん。「今後の夢は何ですか?」との問いに、「支えることですよ!」。まっすぐにひたむきに、菅総理(代表)を支える代議士(岡田さん)に秘書(金指さん)も似てくるんだなあと思いました。岡田さんは、金指さんだけでなく、他の秘書にも、党職員にも、SPさんにも、口にしないけど、感謝の念を持っていると思いますよ(^_^)v
新聞記者の疲労はピークを越えているでしょう。お疲れ様です、としかいいようがありません。また、政治部1・2年生で、次の人事考課シートに他部への異動の希望を書こうと、心に決めた人もいるかもしれません。こうやって、大手メディアの政治部は、ベテラン・中堅(手の抜き所を熟知)と、ねずみのように這いずり回り、そして疑問を感じ、他部へ異動していく番記者・ベタ張り記者に二極分化しています。それなのに、定例異動では、「私、○○支局から来ました○○です!」という目の輝いた政治部新人の供給は事欠かない。政治部に取材される人たちは、そういう華やかな世界(見た目は別として)にいるということを肝に銘じてほしいです。
さて、昨日、中野寛成・衆院議員(現・国家公安委員長)をお見送りした後、議員会館の吹き抜けから、鉢呂吉雄さんの議員室に記者がベタ張りしていて「あれ?」と思いました。私はてっきり、鉢呂さんの次の人事ということで、「幹事長代理就任へ」という話かなと推測していたら、どうやら岡田克也幹事長が鉢呂議員室を訪れていたらしい、ということがきょうの新聞で分かりました。鉢呂さんは第176臨時国会限りで国対委員長を卒業し、民主党副代表への昇格が内定しています。私は第176臨時国会を振り返った限りでは、菅直人代表・岡田克也幹事長の判断は当然だと考えます。
このほかの人事も続いており、15日も首相公邸で、菅直人、枝野幸男、岡田克也、安住淳の「4人組」による協議がありました。安住防衛副大臣の後任に、小川勝也・総理補佐官が周り、おなじ参院枠の総理補佐官には、三重選挙区の芝博一・民主党参院総括副幹事長(元参院国対委員長代理)が回るようです。枝野さんの後の、幹事長代理には藤村修さんが厚労副大臣が入り、大塚耕平・広報委員長が厚労副大臣に回るようです。広報委員長補佐の1年生議員は残念でしょうね。また石井一・選対委員長、渡部恒三・倫理委員長が五大老のように岡田さんを守ってくれるようです。また岡崎トミ子さん、鉢呂吉雄さんも副代表となり、「新生党&90年初当選」が最大派閥となりそうな気配で、小選挙区時代、「岡田が派閥を作らないホントウの理由」がだんだん可視化されてきました。藤村修・幹事長代理は花斉会会長経験者で、凌雲会会長・オーナーの仙谷由人さんが代表代行としてにらみをきかせ、小沢グループからは山岡賢次副代表が入りますが、基本的には「新生党&90年初当選組」が最大派閥になりました。なんとか、この国会はこの体制でやらせていただきたいと、民主党非主流派、連立与党の国民新党、友好政党の社民党、ほか各党、とくに参院のみなさんにお願いしたい。まかり間違っても、菅さんがダメなら、その後継者は、岡田さん以外の人になります。間違いありません。ですから、我慢して一緒に日本を前に進めましょう。
【岡田克也さんが、メルマガで鉢呂さんに異例の謝罪】
さて、1月15日午後8時過ぎに、岡田克也さんはメールマガジン「かつやNEWS」を出し、「信頼する同期の友、交代は大変残念」として、鉢呂吉雄さんの国対委員長“更迭”を惜しみました。「謝罪」という言葉はありませんが、事実上、岡田さんが鉢呂さんに謝罪した内容。岡田克也さんが、人事で優秀で仲の良い議員を抜擢し、「日のあたっている人」、例えば福山哲郎さんとか、枝野さんとか、藤井裕久さんとかを公の場で評価することはありますが、「日陰の人」に対して、謝罪を含めたフォローをすることは極めて異例のことです。
岡田さんは、「1つ残念だったのは、私の長年の友人であり、ともに民主党でやってきた鉢呂吉雄国対(国会対策)委員長が交代になったことです」としたうえで、「いろいろなことが言われますが、私は、鉢呂委員長は本当によくやってくれたと思っています」と語りました。そして、「一昔前と違って、国対の難しさというものは、一段と高まっています」とかばいながらも、「民主党の中での意見集約の難しさもないわけではありません。衆参の連携も課題です」「かつてのように、党内が必ずしも一方に固まっているわけではなくて、例えば、予算委員会の運営に関しても、予算委員会の責任者や国対委員長、あるいは幹事長の間でも、意見が違うことがしょっちゅう起こりました」と幹事長としては異例の国会運営の現場をオープンにすることで、岡田さんらしく、仲間はかばいながら、敵を攻撃する“分かる人には分かる表現”で、党内野党にレーザービームを送りました。この「予算委員会の責任者」とは、13日放送のクローズアップ現代で、名指しを避けながら党大会での振るまいを取り上げ批判した議員と同一人物だと思われます。
鉢呂さんは、民主党全議員の中で、イチバン選挙上手だとも言われています。政権交代選挙の直前でも鉢呂・北海道連代表(当時)は、私の友人の石川知裕さんの選挙区内の地元の農協を一緒に回ってくれています。その北海道連代表で選挙上手の鉢呂さんは、2009年5月の民主党代表選で岡田陣営に加わりました。「政権交代して鳩山由紀夫さんを北海道初の総理に!」と盛り上がる北海道内外の鳩山さんの支援者は道連代表の「寝返り」に驚きました。
政権交代後、鉢呂さんは当選7回生なのに、枝野幸男さんとともに、まったくの無役となり干されてしまいました。岡田外相の下の政務三役は全員が鉢呂さんより当選回数が少ない人で占められました。
岡田さんは「鉢呂委員長と私はお互い非常に信頼関係があり、ともに平成2年初当選で──もちろん、スタートは私が自民党、鉢呂委員長が社会党でしたが──長年一緒にやってきました。私が党代表だったときも、鉢呂委員長は幹事長代理として、藤井裕久幹事長のもとで私を支えていただいたりと、長年の友人です。これからも、民主党のためにしっかりと頑張ってもらいたいと思います」としました。
「地位は人を育てる」と言います。北澤俊美防衛大臣を見ていて、「男(人間)っていうものは、70歳を越えてから成長することもあるもんだなあ」と思います。岡田さんも還暦まで2年半。原理主義ときどきレーザービームの岡田さんも少しずつ成長しています。
ちょっと補正予算が審議入り11月上旬には、ストレスに耐えられなくなっているようにもお見受けしました。最近、「野党は天国、与党は地獄」だとつくづく感じます。でも与党国対委員長は誰かがやらなければいけない仕事です。岡田幹事長は、先日のニコニコ動画番組で「クリーンな政治とは何か?」と問われ、「オープンであることだ」と答えました。法案ののりしろのない、オカネのやりとりのない、オープンな国対を私は支持します。多少時間がかかってもやむを得ませんでした。鉢呂さんは僕のヒーローです。
FUNKY MONKEY BABYS「ヒーロー」 羽鳥アナウンサー出演!!
(http://www.youtube.com/watch?v=PD_uQZrHanAから共有)
鉢呂さん、とにかく健康に気を付けてください。ぜひ長く生き、かならず長く当選し続けてください。必ず、報われるときが来ます。
(岡田克也さんのメルマガから引用はじめ)
◇◆かつやNEWS◆◇2011年1月15日号 編集・発行/衆議院議員岡田克也事務所
○鉢呂国対委員長の交代-信頼する同期の友、交代は大変残念
いま、新しい閣僚が決まり、これから、党務関係も含めたそれ以外の人事を行っていかなければならない段階です。私は、今回の人事は非常に良い人事だと思いますが、1つ残念だったのは、私の長年の友人であり、ともに民主党でやってきた鉢呂吉雄国対(国会対策)委員長が交代になったことです。いろいろなことが言われますが、私は、鉢呂委員長は本当によくやってくれたと思っています。
一昔前と違って、国対の難しさというものは、一段と高まっています。そもそも、民主党で2期続けて国対委員長をやる人は稀(まれ)で、民主党において最も難しいポストが国対委員長だと言われてきました。それに加えて、民主党が与党になり自民党が野党になって、より国対委員長の仕事が難しくなってきています。民主党の中での意見集約の難しさもないわけではありません。衆参の連携も課題です。しかし、それ以上に、やはり、野党になった自民党や公明党との交渉が非常に難しくなってきています。かつてのように、党内が必ずしも一方に固まっているわけではなくて、例えば、予算委員会の運営に関しても、予算委員会の責任者や国対委員長、あるいは幹事長の間でも、意見が違うことがしょっちゅう起こりました。そして、衆参の自民党でも必ずしもそれが1つではないなかで、鉢呂委員長は大変ご苦労されて、頑張ってこられたと思います。今回、国対委員長が代わることは、大変残念だと思っています。
いずれにしても、鉢呂委員長と私はお互い非常に信頼関係があり、ともに平成2年初当選で──もちろん、スタートは私が自民党、鉢呂委員長が社会党でしたが──長年一緒にやってきました。私が党代表だったときも、鉢呂委員長は幹事長代理として、藤井裕久幹事長のもとで私を支えていただいたりと、長年の友人です。これからも、民主党のためにしっかりと頑張ってもらいたいと思います。
(岡田克也さんのメルマガから引用おわり)
民主党幹事長の岡田克也さんは5日夜の「ニコニコ動画」番組で、第177通常国会召集前に、閉会中審査で行う「衆議院政治倫理審査会」に関して、「政倫審もオープンにしたらいい、フルオープンで」と述べました。
「原則非公開」となっている政倫審規程通りではなく、「公開」として議事録作成、マスコミ傍聴を認めるべきだとの考え方を初めて示しました。岡田さんは「TV・ラジオ生中継」も念頭において発言したものだと思われます。2002年の田中眞紀子さんの政倫審はTV・ラジオが生中継しました。
「ニコ生特番!民主党 岡田克也幹事長 2011年を語る!! - ニコニコ生放送」は10時まで放送。
http://live.nicovideo.jp/watch/lv35959490
この後、9時54分からのテレビ朝日系列「報道ステーション」には、民主党代表で総理大臣の菅直人さんが出演し、2011年の政治の流れを作ります。
また渦中の小沢一郎氏は10時から、BSデジタルのBS11の「InsideOut」に出演します。
【追記 2011年1月6日午後2時】
岡田発言の1日前になりますが、公明党の漆原良夫・国対委員長が4日、新潟駅前で「政治倫理審査会を開く際は、テレビカメラが入った公開の審議にしなければならない」と演説していたことが分かりました。漆原・衆院議員は比例北陸信越ブロック単独で当選しています。5日付の公明新聞や同党ホームページが伝えています。
NHKホールでは、そろそろ第61回紅白歌合戦の最終リハーサルが始まった頃でしょうか。善光寺や浅草寺では除夜の鐘、信州や讃岐では、そば屋が大忙し。クリスマス休暇で日本を旅行している欧米の人は音を立てずにパクパクとそばをちぎって食べているでしょう。我が家も年越し、何もなければ、これがことし最後のエントリーになるかと思います。
じつはきょう、気付いたんですが、学生・記者・支持者として、支持政党が1月1日~12月31日、与党だったというのは2010年が私にとって初めての経験だったんですね。(1992年4月から自民党学生部、1993年6~7月に新生党学生部で総選挙中は野党、1994年6月羽田内閣退陣で下野→2009年8月まで野党。記者としても1997年4月入社で官邸・総理番も1998年3月から野党・民主党担当に)。
第22回参院選。2010年7月9日夕方の埼玉県川口市。岡田克也外相が、中東調査会でおなじみの候補者、大野元裕さんの応援に駆けつけました。あいにくの天候で、その2日後の第22回参院選民主党惨敗を予見したかのようでした。
私は遊説会場にかなり早く行きました。会場の警備は埼玉県警察本部の警察官。一見して着慣れていないとわかるスーツ姿でした。報道スペースが仕切られていて、その担当の若い丸顔の警官。私は、一人ぽつんと、会場の設営や聴衆の集まり具合をぼーっと眺めていました。若い丸顔の警官は、まだ時間がだいぶあるのに、聴衆に向かって「ここは報道スペースですので、入らないでください」と声をかけていました。私は、この夕刻の時間帯の演説会には、テレビカメラは来ないだろうし、ペン記者が来るとしても、こんなに広いスペースは要らないだろうと思ったのですが、まあ、おとなしくしていました。若い丸顔の警官は、私に「報道の方ですか?」と声をかけてきましたので、名刺を出してあいさつしました。
やがて、演説会場は大雨となり、候補者と応援弁士が登場したときには土砂降りとなりました。
岡田外相がマイクを持ったときには、ますます雨は激しくなりましたが、岡田外相と大野候補は一切傘を持たず、ずぶぬれになりながら、訴えました。「もう一度チャンスをください」と叫ぶ岡田外相には、鬼気迫るものがありました。岡田さんや大野さんは、国会のなかでも頭がいいタイプの人でしょう。しかし、これは統一地方選を戦う人にもぜひ分かっていただきたいのですが、メッセージは頭ではなく、態度で伝えるものです。
メッセージとは、相手に伝わって、初めて意味があります。
これが功を奏したのか、大野さんは改選3議席の埼玉で、最下位とはいえ、激戦を勝ち抜き、参院議員になりました。
岡田外相と大野候補は、ずぶ濡れのまま、1階のバス乗り場から階段を昇り、2階コンコース、駅出入り口近くまで行き、また階段をくだって、1階のデパート前の遊歩道で、聴衆、有権者とくまなく握手して回りました。そして、岡田外相はワンボックスカーに乗り込み、去っていきました。外相の周辺にいる警護官は警視庁ですが、大臣車の交通整理をしたり、大臣車と併走したりする警官は通例、地元の県警です。 日ごろ要人警護の経験が少ない警官たちは、傘ぐらい差しばいいのに、自前の着慣れないスーツをびしょびしょに濡らしながら、大臣車と併走して警護しました。事前のミーティング通りの動きなのでしょう。あの背広はクリーニングに出しても、もう元通りでは着られないでしょう。
埼玉県警は親孝行者が多いこととされます。東北・上越新幹線などJR東日本の新幹線が大宮を拠点にしており、岩手県、福島県、新潟県、長野県、群馬県などから、人口急増県である600万・埼玉の警察学校に入る人が多いからです。都市部で稼ぎ、盆・暮れには、新幹線で実家に帰る。ですから、今、このエントリーを書いても、実家でこたつを囲んでいて、メッセージは届かないかもしれません。
岡田さんがこの後、埼玉県警に電話を入れて、土砂降り警護の労をねぎらったということは間違いなく、ないでしょう。そんなことが出来るのなら、とっくに総理になっています。
その代わりというのも変ですが、埼玉県警のみなさんに私が感謝のメッセージを送りたいと思います。警察官は、岡田さんや大野さんと違って、「無事これ名馬」で仕事をしている限り、スポットライトを浴びることはありません。でも、こうして日本人が年を越せるのは、名も知らぬ警官のみなさんのおかげで、いわば“無冠の警視”だと思います。
2010年、年男の私は3月収録・4月放送でジャニーズとフジテレビで共演、5月に母が同級会の社会科見学で大臣のイスに座り、7月に父が国立劇場(小劇場)の舞台を踏み、9月に兄が入社22年目にしてついに丸の内に転勤、10月に父が法人会から表彰され、12月に私の写真が日経とウォール・ストリート・ジャーナルに載るという慶事が続きました。派手と流行を戒め、地味に堅実に生き、そして志をまっすぐに持ち続け、ハッキリと意思表示をする生き方をしてきたからだと思いますが、周りの多くの方々に感謝します。
ことしも年を越すことができます。
この1年間、当ブログに付き合ってくださり、ありがとうございました。
【追記 2011-1-17】
現住所・埼玉県警、本籍地・東北新幹線の方のイメージ映像
YouTubeで見つけたので張っちゃいました。【追記おわり】
小沢一郎氏が28日午後2時から10分間、記者会見をしました。この報道に関しては、ご承知かと思います。
これに対して、岡田克也幹事長は小沢一郎氏に文書で回答しました。
この中で、小沢一郎氏が確約した「政倫審出席」に関して、「出席されることを表明されました。そのご決断に敬意を表します」とし、政倫審出席の言質を国民全員の立ち会いの下、確認しました。
そのうえで、27日の党役員会で党議決定した「第177通常国会召集(1月21日ごろか?)前の閉会中審査による政倫審への小沢一郎氏招致」に関して、「したがって、小沢元代表には、役員会の決定のとおり、来年通常国会開会までに政倫審にご出席いただき、国民に対してご説明いただきたいと考えます」と進言しました。
これにより、1月上旬・中旬にも予想される内閣改造での参院&野党による問責決議案を受けた2閣僚に関する人事に関しては、菅直人総理がフリーハンドを握ったまま、衆議院政治倫理審査会(土肥隆一会長)を開催することになります。
既に民主党は2010年の仕事納めを済ませていることから、政党助成法の基準日である2011年1月1日以降でなければ、小沢一郎氏は離党届を出せません。このため、強制起訴前の小沢一郎氏の政倫審招致が確実となり、いよいよ「小沢切り」に向けて、小沢氏の選択肢はなくなってきました。外堀も内堀も埋めることができたといえるでしょう。
27日の役員会では「通常国会が始まるまでに議決して、そして政倫審で説明をいただくというのが決定内容であります。もちろん政倫審に出る、出ないの判断は最終的にはご本人ですが、党としては出てきていただくことについて議決する。もちろん、それまでに自ら出てきていただければそういう必要はなくなりますが、通常国会開会までに議決することを確認したところであります」(岡田幹事長の記者会見)としています。民主党では、国会対応は役員会の決定が、党議拘束になります。自民党では総務会の決定が党議拘束になりますが、民主党では役員会が議決したことで、既に党議拘束がかかっています。
もう一度おさらいします。
(1)小沢一郎氏は政倫審に出席することを自ら確約した。
(2)衆・政倫審は民主党役員会での党議拘束にしたがって通常国会前に開催する。
何事もメリハリをつける岡田さん。民主党のために、国民のために、鬼になりました。岡田はそういう男です。だから党内で悪く言う議員がいるんですね。
さあいよいよ、歴史の決算の時がやってきます。みなさまも、1月2日以降、菅・岡田コンビの背中を押してください。まあ、年末は紅白歌合戦やさんま、紳助、爆笑問題を見て、ゆっくりしましょうね。
「小沢卒業」で、政治を私たち国民の手に取り戻しましょう。日本的ムラ社会の伝統に基づき、見て見ぬふりをしますか?それとも闘いますか?
日本人は、みんなで協力すれば、どんな困難も乗り越えられますよ(^_^)v
【追記 2010-12-29 午後2時】
この問題に関しては、岡田幹事長と同期当選で新進党で同じ釜の飯を食った、公明党代表の山口那津男さんから助太刀がありました。
山口さんは上述の岡田文書の前に、国会内で記者団のぶら下がりに応じました。
山口代表は、「小沢さんが自ら進んで出席するなら、政倫審もそれなりの意味が出てくる」とし、「本人が申し出るならば、(衆院政倫審で)議決する必要はないのではないか」として、28日の小沢年の瀬会見は「本人申し立て」だとの認識を示しました。
その上で、小沢氏が閉会中審査を拒否するなどの条件をつけたことについて、山口さんは「そういう条件を付けることがどういう意図なのか分かりかねます」と山口さんが浪人中に新進党を解党してしまった小沢一郎氏に改めて不信を表明し、「小沢さんが出たいといえば、いつでもできる」として、菅・岡田コンビの閉会中審査に助け船を出しました。さらに、記者からの「仙谷、馬淵両大臣の問責決議との兼ね合いは?」との質問に対して、「まずは小沢さんにどのような説明責任を果たさせるか(が大事)だ」「国会審議と絡めるのがおかしな話だ」として、小沢政倫審が政治スケジュールとして優先すると示唆しました。もちろん、山口さんは「我々は以前から証人喚問を求めている」と述べることも忘れませんでした。
ところで、民主党国対幹部によると、年明け1月6日(木)に衆・政倫審幹事会(理事会)が開かれる日程が浮上しています。
【追記おわり】
小沢氏への岡田幹事長の文書全文 - MSN産経ニュース
本日、小沢元代表が政倫審に自ら出席されることを表明されました。そのご決断に敬意を表します。
ただ、党役員会の決定は、「来年通常国会開会までに、小沢元代表が自らのご判断で政倫審に出席されることが望ましい。それが実現しない場合、党として、政倫審で申立ての議決を行い、小沢元代表にご出席いただく」というものです。
小沢元代表は本日の記者会見や配布資料の中で、「私が政倫審に出席しなければ国会審議が開始されないという場合」、あるいは「予算案の審議をはじめ、国会の審議が円滑に進められるということであればな」といった条件を付けておられますが、役員会の決定にはそういった条件はありません。
したがって、小沢元代表には、役員会の決定のとおり、来年通常国会開会までに政倫審にご出席いただき、国民に対してご説明いただきたいと考えます。
民主党幹事長 岡田克也
[写真]岡田克也さん、2010年12月24日の定例民主党幹事長会見、同党ホームページ内動画からキャプチャ・トリミング
民主党幹事長の岡田克也さん(57歳)は、24日の記者会見で、「実はきょうはこのあと予定があるので、わが家では(祝日だった)きのうの夕方にクリスマスイブをしました」と明かしました。祝日とはいえ、BS朝日できょう午前10時から放送される田原総一朗さんの番組の収録の前で、「娘からは靴下をもらいましたので、タイヘン満足しています」「娘からプレゼントをもらったらそれに勝るものはありませんので」としました。岡田克也・多津子さんファミリーは30歳代に、アメリカ東海岸で1年間過ごしたことがあります。
岡田さんの記者会見は記者クラブ外にもオープン。12月20日(月)の記者会見について、翌朝のTBS「みのもんたの朝ズバ」で紹介され、記者会見場で質問した記者(リポーター?)の男性が「(小沢問題で)何が進展したのか?という質問に満足行く答えを岡田幹事長からもらえなかった」と不満を漏らしながらも、「とはいえ、1時間5分にわたり記者会見をして説明した」とすると、みのさんが「それは評価できるね。僕も岡田さんの記者会見行こうかな」と語りました。12月21日午前7時32分のことです。
また、この記者会見には、フジテレビ「ニュースジャパン」キャスターの同局女子アナの秋元優里アナウンサーも最前列で岡田さんに2回質問しました。そのうち、「小沢元代表は政倫審の議決があっても出席しないと。つまり国会の方針に従わないとしている議員がいる民主党のガバナンスはどうなっているのか?」とする質問の声が、その夜の「NHKニュース7」で流れました。フジテレビアナウンサーの声が、NHK、しかもニュース7で流れることは極めて異例でしょう。
[写真]TBS「朝ズバ」の司会を務めるみのもんた氏(警視庁のポスターを宮崎信行撮影)、ニュースJAPANのキャスターを務めるフジテレビの秋元優里アナウンサー(フジテレビジョン内ホームページ)
このように岡田さんの記者会見では、いろいろと面白い化学反応が起こっています。秋元アナウンサーも、非記者クラブ員でしょう。大手メディア記者クラブ、非記者クラブにくわえて、私のような純粋フリーランスも含めて、しっかりとした紳士協定によるガバナンスで、政治を身近なものにしていきたいものです。みのさんが岡田幹事長の記者会見に来たら、面白いです。
ディスクロージャー、オープンな社会ではホンモノはより早く評価され、しかるべきポジションに行きます。私は、ボーナスカット&残業、正社員だから逆に同情されない状態で働いている仲間を救うためには、岡田会見のように、時間のコスト・ベネフィット(B by C)を高めていかないと、日本は生き残れないと信じています。
[岡田克也メールマガジンから引用はじめ]
◆テレビ・メディア出演のお知らせ
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岡田かつやが以下のテレビ番組、インターネットビデオに出演します。
BS朝日「激論!クロスファイア」
放送日時:12月25日(土)午前10時から10時55分
CS朝日ニュースターにて、12月26日(日)午後11時より再放送
ジャーナリストの田原総一朗さんを相手に、民主党政権のこれまでを振り返りつつ、今後の対応や小沢元代表の国会招致などについてお話しています。是非、ご覧ください。
詳細はこちら。
→ http://www.katsuya.net/tv_101225.html
○ビデオニュース・ドットコム「マル激トーク・オン・ディマンド」放送日時:12月25日(土)20時以降(3カ月間)
ジャーナリストの神保哲生さん、社会学者の宮台真司さんとともに、民主党政権の15カ月の評価や政権交代の意義、今後の課題などについてお話をしています。是非、ご覧ください。
なお、詳しい視聴方法などについては、ビデオニュース・ホームページ(下記URL)をご覧ください。
→ http://www.videonews.com/
[岡田克也メールマガジンから引用おわり]
[写真]福山哲郎さんと岡田克也さん。
ことしの12月31日は金曜日ですので、それまでに小沢に新党を作られたら、来年の4月20日の政党助成金支給日前に小沢の金庫が空っぽのうちに解散しないといけなくなるかもしれないので、政倫審は年明けかつ通常国会前というタイミングになるでしょう。年明けと同時に、公明党さん、社民党、国民新党、自民党、日本共産党が総攻撃に出てくださることを期待しています。
さて。
COP16がメキシコのカンクンで開かれました。
カンクンというのは、すてきなリゾートだそうで、1990年代後半には、日本人の新婚旅行ブームになったところです。
私は1996年の冬、今は読売記者をしている大学の同級生と2人で、ワシントンD.C.でホワイトハウス、ニューヨークで証券取引所を見物したその脚で、格安周遊券(4都市で10万円)を使って、メキシコ合衆国に行きました。首都・メキシコシティーの、スペイン語の街の旅行代理店で、フォルクスワーゲン製のタクシーで、メキシコ国立博物館に行ったことがあります。そこで、日本人夫婦と出くわして、「カンクンに新婚旅行に行った帰りで、乗り継ぎでメキシコシティーに来たんですよ」とのことでした。奥さんは、ソバージュがかかった日やけした、歌手の小野リサさんに似た感じの方で、同じ日本人でもいろいろな人生があるな、と感じました。その後、日本語の看板を掲げた旅行代理店に立ち寄り、応接スペースにあった産経新聞の1面トップの横見出し「さようなら司馬遼太郎さん」に絶句。その一方、毎日新聞1面トップの「羽生善治さん史上初の7冠王」という記事にも、日本の明るい未来を感じました。ともに1996年2月上旬のニュースです。
カンクンで開かれた国連気候変動枠組み条約、あるいは地球温暖化防止条約という読みかえも可能なようですが、COP16で、「カンクン合意」が採択されました。さあいよいよ、画期的なことに、
アメリカ、中国らも、二酸化炭素などの温室効果ガスの削減目標のチームに参加することとなりました。
すなわち、私たちは米中の巻き込みに成功しました。
京都議定書が単純延長となると、日本がこのゲームで、“自爆”することになりかねず、公明党の斉藤鉄夫元環境大臣も懸念していました。
日本代表の松本龍・環境大臣が「日本は京都議定書の単純延長は認められない」と初日からハードルを上げ、EUからは「やりにくい」とたしなめられたようですが、結果としては松本さんの強気が、米中およびインドを巻き込んだ、「カンクン合意」というペーパーを採択できました。
松本龍さんの地元は福岡1区、博多です。歴史の授業ではなぜかやりませんが、博多の港というのは、二度目の蒙古襲来で、火を付けられ、焼け落ちました。わが国で、中国の王朝・政府(あるいは中原=ちゅうげんというのでしょうか)に火力で攻撃され破壊された街は福岡・博多だけです。なんで教室で教えないのでしょうかね、ひょっとして中国が共産・社会主義で、共産・社会主義者がが歴史教師として教壇に立ったり、大学教授として教科書を執筆しているのではあるまいか。
話がそれましたが、その強気の松龍も、「昨年の衆院選のマニフェストを読んだときには野心的すぎるかな」と大臣就任会見で語った、「2020年までに90年比25%削減」の福山哲郎さんと岡田克也さんの2008年通常国会に提出した「地球温暖化対策基本法案」の方向性が現時点では、おおむね正しい方向性だったということが明らかになったといえるでしょう。福山さんはスリランカ、岡田さんはアメリカ東海岸(ハーバード)で修行した経験があります。
よく、岡田の考えは分からないと言われますけどねえ~~(^_^)v
福山・岡田法案改め、内閣提出「地球温暖化対策基本法案」を2011年、第177通常国会で成立させましょう。
世界はまだまだ日本に期待しています。科学・技術とイノベーション。日本はしっかりと人と施設と機器と法律と予算を備えなければなりません。私をはじめ数学が苦手な人間も応援したいし、環境技術や、あるいはバイオ産業、あるいはスポーツ科学なんかも強いですが、その周辺では、例えば清掃員、警備員、事務員の仕事だって、成長分野です。興味をもってこういった分野の情報に触れてほしいと思います。アニメ、マンガ、ゲームなどコンテンツ産業は天井にぶつかっているように、私には感じられますが、環境・バイオ・スポーツ科学はたっぷり稼げますよ。日本はまだまだ大丈夫だよ~~ん(^_^)v
[福山哲郎さんのメールマガジンより引用はじめ]
テツロー日記 2010年12月11日 第403号
「COP16合意文書採択されました」
メキシコ(カンクン)で開かれていたCOP16は、現地時間の未明(日本時間18時頃)に文書が採択されました。
今回の合意は、日本の原則的な立場を守りながらも、米中を含め包括的な国際枠組みに向けた重要なものとなりました。
各国の代表団が本当に厳しい交渉をされた結果だと思います。来年、再来年につながる会議となり、とても喜び、ホッとしています。
昨年のCOP15では、コペンハーゲンで、寝ずの交渉に携わりましたが、今年は東京からとなりました。
現地の代表団・スタッフの皆様の尽力に敬意を表します。
[福山哲郎さんのメールマガジンより引用おわり]
asahi.com(朝日新聞社):ポスト京都へ新体制 米中に対策迫る決議 COP16 - 国際
【カンクン(メキシコ)=須藤大輔】2013年以降の地球温暖化対策を議論する国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP16)は11日未明(日本時間同日夜)、新たな対策の骨格を「カンクン合意」として採択し、閉幕した。京都議定書を離脱した米国や、温室効果ガスの削減義務を負っていない中国、インドなどの新興国にも、一定の削減を初めて求める。主要排出国が参加する新しい国際体制が動き出す。
議長国のメキシコが最終日の10日夕に示した決議案を、各国が受け入れた。先進国は削減目標を掲げ、率先して対策に取り組む。途上国には経済発展で排出量が増える余地を認めながら、抑制に向けた計画づくりを促す。削減の取り組みを国際的に検証する制度の設置や、途上国支援の基金創設なども盛り込んだ。
対立が目立った昨年末のCOP15から一転、各国は妥協を重ねて合意にこぎつけた。
COP15で主要国首脳がまとめた「コペンハーゲン合意」は、一部途上国が「文案作成の過程が不透明だ」と反発、採択できずに終わっている。今回、議長国メキシコは神経をとがらせ、徹底的な正攻法で会議をとり仕切った。「秘密文書もなければ秘密会議もない」。エスピノサ外相はこう繰り返し、合意文書の作成を進めた。
各国の思惑も妥協に結びついた。
新国際体制づくりで最大のネックは、2大排出国の米国と中国の対立だった。削減の検証制度創設を主張する米国に、中国は「主権を侵す」と反発。仲介に奔走したのがインドだった。この問題で主導権を握ろうと独自の検証制度を提案し、中国を説得。会議終盤、中国は制度の受け入れを表明した。関係者は「中国は前回のコペンハーゲンで、かたくなな態度をとって批判を受けた。今回は批判を避けたかったのだろう」とみる。
各国の大臣も「妥協なしに成功はない。妥協なしに、我々の生存はない」(ノルウェーのソルハイム環境・国際開発相)と調整を重ね、合意への機運を高めた。採択の後、メキシコのカルデロン大統領は「私たちは希望を取り戻した」と宣言した。
一方、新たな枠組みを新議定書など法的拘束力がある形にするかは、今回の合意に明示されず、議論は来年末に南アフリカ共和国で開かれるCOP17に持ち越された。日本が強く反対した京都議定書の延長も、結論を来年へ先送りした。
洪水など異常気象が相次ぐバングラデシュの代表はクギを刺した。「これで終わりではない。私たちの生き残りをかけた交渉はこれからも続く」
[写真]高田昌也さん、『岡田卓也 私の履歴書』(日経新聞出版社)の口絵から
きょう(2010年12月15日)は、岡田克也さんの実の弟である、高田昌也・東京新聞政治部長の講演に行ってきました。
初めて見る、昌也さんは、紺の三つ揃えスーツに、太い縁のメガネ、濃い赤の水玉のネクタイ。謹厳実直そのもの。
講演会は、東京都選挙管理委員会と荒川区選挙管理委員会の共催で開かれた入場無料・先着順の年1回の選挙への関心を啓発する趣旨のイベントのようです。私は当該自治体には住んでいませんが、朝の散歩中に掲示板で見かけて、この講演のことを知り、楽しみにしておりました。時系列で説明する緻密な講演を聴かせてもらって、頭がスッキリし、僕の政局感に関する迷いは吹っ飛びました。
昌也さんは講演の時間をみっちりとられたので、質疑応答の時間が短かったのですが、私は「高田先生は岡田幹事長の実の弟さんですが、お兄さんのことをどう思いますか?」と聞きました。苗字が違うことと、ご存じない方からは、驚きの声が上がりました。講演中に「岡田幹事長」という言葉は何度も出ていましたが、ここまで兄弟であることへの言及はありませんでした。昌也さんは、うーんと体をひねりながら、答えを熟考し、「最近ネットとかで書かれているんですよね・・・」と嫌そうな表情を見せました。そのうえで、「(世間で)言われるとおりの堅物です」とのことでした。東京新聞政治部記者の友達の一人にメールしたら、「ははは・・・その質問は私たちもできないね!」ということでした。
ただ、岡田ファミリーの一種、物の言いにくさというのはどうなんでしょうかね。私のような一般聴衆もみなさんは、小沢問題や、東京新聞の社論、政治に希望が持てない、防衛力の増強すべきだ、などバンバン発言していました。そういう時代です。岡田さんに公認権と支部交付金分配権を握られている民主党議員ももっとバンバン意見してほしいですよね。
高田昌也(たかだ・まさや)さんは、岡田卓也・イオン創業者の3男で、1957年(昭和32年)三重県生まれ。明治大学政経学部卒業後、中日新聞社入社。名古屋本社整理部を振り出しに、1986年、東京新聞・社会部で警視庁を担当。1989年、東京新聞政治部に配属。その後、名古屋経済部に転勤後、1992年に東京政治部復帰。首相官邸担当、自民党キャップ、野党キャップを歴任し、1999年東京政治部次長。ことし(2010年)から政治部長。
岡田克也さんは高田昌也さんからみて、4歳上の兄。昌也さんは末っ子ということになります。私、思ったんですけど、昌也さんの講演そのものが、政局を話しながらも、政策も入っていて、昌也さんも十分堅物のように思えました。お互い堅物で意見があわないのでしょうか(笑)。ですから、兄弟であり、よきライバルということでしょうね。
お母さんの実家、三重郡菰野町(こものちょう)の高田家に跡取り息子がいないために、昌也さんが養子縁組して長男となっており、「高田」姓になっています。
もうすぐスタートする2011年は辛亥革命100周年です。清王朝末期の西太后を田中裕子さんが演じている『蒼穹の昴』がNHKで放送されていますが、その清王朝を倒したのが孫文らの辛亥革命です。中国にとっても、台湾にとっても大事な年です。高田家には辛亥革命をなし遂げた孫文が泊まったことがあります。孫文は自見庄三郎・金融担当大臣の親族の家に泊まったこともあります。孫文を支えた日本人としては、宮崎寅蔵(宮崎滔天)が有名です。日本に政権交代ある二大政党デモクラシーを根付かせようとしている「岡田克也の宮崎滔天」になれたらいいなと、僕は思っています。
[写真]小沢一郎氏と民主党の岡田克也幹事長
来年の通常国会に向けて、衆院での3分の2(社民党、民主党、国民新党、与党系無所属)固めを急ぐ岡田克也幹事長は、政党助成法上の基準となる12月末までの「小沢新党」(5人以上)を封じ込めるために、政治倫理審査会の委員申し立てに舵を切りました。
きょう12月8日(水)は、衆院農林水産委員会で「閉会中審査」がありますが、政倫審も年内に「閉会中審査」で、1年の垢を洗い落として新年を迎えたい構図を描いています。
政倫審は、民主党、自民党、公明党から幹事(理事)が出ており、委員は民主党、自民党のみ。3分の1以上の議決で招致でき、質問にはオブザーバーとして社民党なども質問できます。田中眞紀子衆院議員のときは、テレビ生中継がありました。
政倫審会長は、政治団体「国のかたち研究会」(通称・菅グループ)会長の土肥隆一衆院議員。土肥さんは第39回衆院選初当選の、いわゆる岡田世代で、昨年5月の代表選後の打ち上げで、岡田さんを支える会「95の会」の結成を呼びかけましたが、小選挙区制における政党政治の先行きを見すえた岡田さんは、同級生にやさしく「ノー」と伝えています。
岡田幹事長は、緊急役員会で、参院民主党の輿石東会長らが反対しても、衆院側の幹部だけで、土肥会長ら、衆院政倫審のメンバーに委員申し立て促す腹案を持っているもよう。
小沢系政治団体の「一新会」「北辰会」の出席者が少なく、初会合で50人以上が出席した「北辰会」も実際のメンバーは15人前後との見通しが有力。しかし、衆参5人以上で新党を立ち上げられることから、選挙区を持たない比例単独議員「いちもく会」から5人程度の参加は可能なため、封じ込めを急ぎたい意向です。岡田さんはいちもく会員の中で、第46回選挙区出馬をめざして活動している数人を近く総支部長として内定したい考えがあり、その前提として、社民党・国民新党・(あるいは公明党?)の党本部・地域組織のリサーチに取り組む方針。また高年齢者については、立候補意思があるかどうか、いちもく会員から起用している幹事長補佐に情報の集約を依頼した、とされています。
菅直人代表(首相)が衆院での3分の2の確保を優先する方向に舵を取ったことで、参院を抑える輿石氏は、臨時党役員会で抵抗した場合、参院民主党内の求心力が低下するのは必至。また、政倫審出席を拒んだ場合の小沢一郎氏の求心力低下も必至で、新党立ち上げが厳しくなる情勢。
11月末に公開された政治資金収支報告書で、陸山会の2009年から2010年への繰越金がわずか3229万円にまで減少したことも、岡田幹事長は把握しているんだと思います。
民主党秘書会では、平成5年(1993年)の政党助成法成立以来、毎年12月というと、師走というよりも、党分裂の恐怖月間というトラウマがあります。1997年の新進党解党を頂点とし、私も何度も一緒にため息をつきました。一緒のため息が、何人もの閣僚級ベテラン公設秘書との連帯感につながっているのですが、やはり日本国民にとっては不幸でした。12月ですから、職業政治家である小沢一郎さんを国民が監視しきれなかった面は否めず、日本の凋落につながりました。
国会での厳然たる数字による政治が、デモクラシーです。議席数は、マニフェストよりも、予算よりも、政策よりも、人柄よりも、優先します。その冷たさが担保されて初めて、政治を国民に取り戻す、優しい政治が可能になります。
衆議院では1議席も失いたくありません。衆院で3分の2があれば、すべての議案を衆院で再可決できるようになります。
国民による政治のコントロールと、衆院3分の2確保による2011年政治の安定のために、これはもう民主党支持者だけじゃない、自民党さんにも協力してほしい、日本の安定のために、国民全員で岡田克也の背中を押して、何が何でも、小沢新党を封じ込めましょう。
茨城県議選「大惨敗、地方が火を噴く」…小沢氏 : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
民主党の小沢一郎元代表は7日夜、都内の中国料理店で、同党の松原仁、牧義夫両衆院議員ら小沢グループの中堅議員7人と会食した。
出席者によると、小沢氏は12日投開票の茨城県議選に関し、「民主党政権にとって勝負所だが、大惨敗すると思う。そうなれば地方が火を噴く」と述べ、菅政権は早晩立ちゆかなくなるとの見方を披露した。自身が強制起訴されることを踏まえ、「今は自分は動けないから、中堅の君たちが考えて動いてほしい。いよいよ非常時になったら、自分は日本のために何でもする」とも語ったという。
これに対し、出席者の一人は席上、小沢氏に「今は政権を支える立場にある。『反菅』のような動きはできない」と述べ、同調はできないとの考えを示した。
(2010年12月7日22時52分 読売新聞)
[画像]民主党の小沢一郎さんと岡田克也さん
民主党幹事長の岡田克也さんは、2日の定例記者会見(月、木)で、陸山会の91人への500万円の資金提供(寄付金)について、「91人のみなさんが500万円を政治資金として受け取っていたということは法に基づいたものであって何か問題があるとは考えておりません」と話しました。
前日に開かれた班別の1期生と岡田幹事長の意見交換会では、「各人の収支報告書に(受け入れを)書いてあるだろうから、そのことはキチンと有権者のみなさんに説明したらいいよ」とアドバイスしたことを明らかにしました。
その上で、3億7000万円の原資が、改革フォーラム21(自民党羽田派)→新生党の資金だとされることについて、「原資に関しては、私もまったく無関係ではございません。改革フォーラム21とか、新生党というのは私自身もかつて所属した団体(派閥)、党であります」と認めました。そう言う意味では、500万円は政権交代ある政治の志を貫いた“小沢・岡田マネー”ともいえるでしょう。
ただ、この“小沢・岡田マネー”ですが、「解党後の資金が改革フォーラム21という政治団体にあったということも私は承知しておりませんでした」としました。この件は、昨年の東京地検特捜部の強制捜査(“暗黒のひな祭り”)の後に、初当選以来の党派閥と党籍が完全に一致している石井一副代表と岡田副代表が意見交換し、見解は一致しながらも、確証は得られなかった、とされています。
【当ブログ内関連エントリー】
山尾志桜里さんら9人のシンドバッドが責任ある船出
政権交代のその先に 一人一人の“小沢卒業”
総務省選挙部政治資金課収支公開室のホームーページ
↓
政治資金収支報告書及び政党交付金使途等報告書公開
平成20年分の政治資金収支報告書 http://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/seijishikin/reports/SF20101130.html
政治家の50音順の政治団体名一覧 http://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/seijishikin/reports/SG20101130.html←今年から追加されました。一歩前進です。
代議士や議員の国会での投票行動は、私たちの1票によって決まってほしい物ですが、資金集めに偏りがあると、行動も偏ってきますから、しっかりチェックが必要です。ただし、これを見ると、要人や著名人の現住所などが分かりますが、その辺はしっかりとお行儀よく、国民としての権利と義務を守るんだ、という気構えでのぞき見る、という感じにしてほしいと思います。くれぐれも、要人や著名人の住所をブログや2ちゃんねるなどでさらすことがないようにしてください、私たちの権利を失う可能性がありますからね。
衆院議員や参院議員、あるいはその候補者となろうとしている人は必ず一つ政治資金管理団体をもっており、多くの議員は総務省に届け出ています。地元の県選挙管理委員会に届けてでいている場合は、「県報」「県広報」などでグーグル検索すると、要旨が出ています。
総務省のものは、PDFファイルで、手書きのものを見ることができます。
このほか、民主党の凌雲会、花斉会、民社協会、一新会などのグループ、自民党の清和会(清和政策研究会)などの派閥も総務省のホームページからみることができます。
(以下、固有名詞と規正法を再確認したいので、現段階では未定稿ということでお読み下さい)
今年から、なお、国会議員は複数の政治団体と、政党総支部(例:民主党三重県第3区総支部)の2つ以上の団体を持っており、企業・団体献金は政党総支部だけで受け取ることができることになっています。
総務省のホームページは毎年改良されていて、ことしは、政治家の名前から、その人が届け出た政治団体の名前が分かるようになりました。
とはいえ、例えば、小沢一郎さんなら、陸山会だけでなく、誠山会、改革フォーラム21なども事実上の関連団体ですし、政党支部はほとんどが県選管に届け出ているので、情報を集約して、全体をみるのはテクニックが必要ですが、まずは見てみましょうよ。なお、まだ法律上の要請はありませんが、岡田克也さんは、「岡田かつや後援会」(総務省)、民主党三重県第3区総支部(三重県選管)の2つだけしかありません。これは数年前に「岡田かつや後援会」に合併させており、これはマジメと言うよりも、逆に「クリーンさを売りにする」という岡田さんなりのしたたかな戦術だと思われます。
また、単式簿記です。ですから、ベテランは前年からの繰越金が2009年の収入総額にカウントされてしまいます。ただ、複式簿記など企業会計の世界では、繰越金は内部留保であって、2009年の収入額を“売上高”と考えるべきだと思います。
また、政治資金管理団体の総額ですが、前のページには、パーティ券収入、寄付金収入がありますが、パーティー券に関してはそこからホテル代・食事代・発送代などを引いた“水揚げ分”として見たいところですが、これは、支出をみても単独のパーティーの収支は分かりませんから、パーティー収入は8掛けぐらいで見ておいたらいいと思います。収支報告書をみるコツは、しらみつぶしでなく、興味本位の方がいいでしょう。
それと寄付金の個人献金ですが、100万円ボーンときているよりも、12万円とか60万円とか12の倍数の場合は、毎月銀行引き落としにしている場合があるので、その人はその政治家を育てよう、何があっても、という意識が強い、と考えられる可能性があります。
総務省のホームページでは、日付が分かります。大臣就任の前と後で、資金提供の総額や相手先に何か変化がないかは私たち有権者がしっかりチェックしないといけません。
以下、関心が高かったり、収支報告書をみる上でスタンダードだったり、意外性がある政治資金管理団体を取り急ぎリンク先を張ります。いきなりpdfになります。
【政治家(このほかに党選挙区総支部や、他の政治団体を所有している】
草志会(菅直人衆院議員の指定政治資金管理団体)
http://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/seijishikin/contents/101130/27270071.pdf
岡田かつや後援会(岡田克也衆院議員の指定政治資金管理団体、岡田さんの政治団体はこれ一つ)
http://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/seijishikin/contents/101130/27710072.pdf
陸山会(小沢一郎衆院議員の指定政治資金管理団体)
http://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/seijishikin/contents/101130/31400097.pdf
誠山会(小沢一郎氏の関連政治団体の中の一つ)
http://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/seijishikin/contents/101130/31810059.pdf
秀政会(中川秀直衆院議員の指定政治資金管理団体)
http://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/seijishikin/contents/101130/26460101.pdf
千代田経済懇話会(福田赳夫→福田康夫両元首相に引き継がれた“カバン”)
http://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/seijishikin/contents/101130/30340032.pdf
渡辺美智雄政治経済研究所(ミッチーは健在だった!?)
http://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/seijishikin/contents/101130/23700025.pdf
【民主党グループと自民党派閥の違いは一目瞭然】
凌雲会(民主党前原グループ)
http://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/seijishikin/contents/101130/22160007.pdf
一新会(民主党小沢グループの中核組織)
http://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/seijishikin/contents/101130/08480012.pdf
花斉会(民主党野田グループ)
http://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/seijishikin/contents/101130/11410008.pdf
民社協会(民主党川端グループ、旧民社グループという表記する新聞もある)
http://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/seijishikin/contents/101130/01980027.pdf
清和政策研究会(自民党町村派)
http://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/seijishikin/contents/101130/16190035.pdf
番町政策研究所(自民党高村派)
http://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/seijishikin/contents/101130/19620022.pdf
【二大政党本部】
民主党本部
http://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/seijishikin/reports/SF20101130-8.html
国民改革協議会(民主党の献金の受け皿)
http://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/seijishikin/reports/SF20101130-10.html
自民党本部
http://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/seijishikin/reports/SF20101130-4.html
財団法人国民政治協会(自民党の献金の受け皿)
http://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/seijishikin/reports/SF20101130-13.html
【圧力団体】
日本医師連盟(日本医師会の政治団体)
http://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/seijishikin/contents/101130/19450083.pdf
全国不動産政治連盟
http://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/seijishikin/contents/101130/16250059.pdf
民主党幹事長の岡田克也さんは25日の記者会見で、「企業団体献金の全面禁止に向けて」と題した署名活動をした衆参議員が幹事長室を訪れて申し入れたことについて、「民主党は開かれた党なので、幹事長に意見があるのなら、どんどん言ってきていただければいい」として、「この党には昔からこういうところがあるんですね」として、党内のガバナンスにおいては、署名運動でなく、直接幹事長に文句を言ってくれ、との苦言を呈しました。 実はこの件に関しては、地元で叱られた1年生で、とくだん、「幹事長補佐」の肩書きを持っていない人が、岡田幹事長に直談判し、話し合い、お互いが納得しています。
きょう国会内幹事長室を訪れた署名メンバーは、「企業団体献金の全面禁止に向けて」と題した呼びかけ文に応じた人です。衆院議員15人、参院議員4人が呼びかけ人となっており、この中にはなぜか岡田さんと同期(第39回衆院選初当選)の参院議員、増子輝彦さんから1年生議員まで幅広く名を連ねています。呼びかけ文では、民主党は長年、企業・団体献金の廃止を選挙公約やマニフェストに盛り込んできたとしながらも、「我々は民主党所属の国会議員である前に、一政治家として企業団体献金のあり方に対しては断固方針を崩さない」という、イマイチ要領を得ない内容となっています。一部では、代表選も解散もおそらく2年以上ないという凪の状態で、臨時国会と来年度予算編成でまとまらなければいけない時期なのに、党内政局を仕掛けているのではないか、という疑心暗鬼が生まれ、党内ガバナンスの不安定要素につながりかねない、との指摘が一部に出ていました。
そこで、岡田さんは国会内幹事長室に申し入れに来た才能あふれる仲間たちに次のペーパーを見せて、懇切ていねいに説明したうえで要望を聞いた、とのことです。

[画像]岡田克也幹事長が説明のために用意した「企業団体献金に関する民主党のこれまでの対応について」
↓下の民主党ホームページから取り出すことが出来ます(PDFファイルです)。
http://www.dpj.or.jp/news/files/kigyodantaikenkintaiou1125.pdf
この件に関しては、新聞の社説でも明らかに誤解があり、岡田さんの弟が政治部長を務める東京新聞(中日新聞)の1面コラム「筆洗」でも誤解に基づき論を進めており残念でした。そして民主党議員内にも誤解を生じることになってしまいました。なぜ、岡田さんが強く抗議しなかったのか、私としても釈然としないところがあります。
岡田幹事長になってから、「現金のやりとりを止めた」「特定の個人への組織対策費を止めた」とクリーンでオープンな民主党を目に見える形で推進している岡田さんですから、おそらくこの件は「なんじゃろな?」と思っている方が多いでしょう。
「真意が間違って伝わっていないことが不本意だ」と繰り返す岡田さん。私は「1月は小沢一郎幹事長が陸山会の強制捜査を受けたので、政治とカネへの批判を交わすために、党本部(国民改革協議会)の献金をやめた(保留した)のではないか?」との問いましたが、小沢さんを政治の父と仰ぐ岡田さんは「仮定の質問にはお答えできません」と答えました。岡田さんのような人間になりたいと僕は感じました。まあ、なれないけどね(^^;) 少しでも近づければ。
時事ドットコム:企業献金再開に反対=142人署名、岡田氏に要請-民主
民主党の中野譲、城井崇両衆院議員ら若手約20人は25日、国会内で岡田克也幹事長と会い、自粛していた企業・団体献金の受け入れ再開に反対し、全面禁止に向けて早期の取り組みを求めるとした要請書を提出した。
要請書には衆参議員142人が署名。岡田氏が主導して決めた企業・団体献金の一部再開について「大変遺憾であり、マニフェスト(政権公約)で全面禁止を掲げたわが党に対する国民の期待とは相反するものだ」と批判している。
これに対し、岡田氏は企業・団体献金への対応の経緯をまとめた文書を渡し、受け入れ再開に理解を求めた。この後の記者会見では、署名による要請について「あまりいいやり方ではない。開かれた党なので、幹事長に意見があるならどんどん言ってきてもらえばいい」と不快感を示した。