五代さんが失われるらしい。
すでにロス症候群が存在する。
ディーン・フジオカ格好いい。
ずっと続くと勝手に思っていた
グループの話題をついつい追う
吟味もせずに情報ばかりが増えて
振りまわされてしまう。
熱い時は冷静に、冷たい時は熱く。
周りの温度と自分の温度を判断
するのはとても難しいと思う。
あさが来た→あさイチのコメントは
楽しくみている。
テレビ東京の時もあるけど。
有働さんも井ノ原さんも楽しい。
明るくて真摯。
なので有働さんの本を買った。
ウドウロクは反対から読むと
クロウドウ。
そんなに凄い毒は吐いてない
気がする。
当たり前だけど読んでみたら
テレビと違う一面があった。
不特定多数を相手への日々のアナウンスを
聞いていながら、自分なりのイメージを
それぞれがもち、いろんなことを言う。
性別や年齢などの違いもあるにしろ
そうなんだと思うことや大変なんだと思う
ことも少なくなかった。
その中に引用されていた詩。
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのは
どちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもがひよわな志しに
すぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
茨木のり子
『自分の感受性くらい』
今年のセンター試験の国語に
内キャラと外キャラという言葉が
書いてあった。もちろん変容はするが
若い頃からもうすでにそのふたつを
それぞれが持っていて、相手により
使い分けている。それも肯定すべきだと言う。
共通する正義に向けて幼く危ういものを
経験を積みながら曲がったり戻ったりし
自らのアイデンティティー作り上げなければ
ならいとずっと思ってきた。
現代ではアイデンティティーでなくキャラであり
それはすでにそれぞれに備わっているもの。
そんな風に思ったことはなかった。
自分はと言えば
身体のみならず心の柔軟性も
減ってきた。
アイデンティティーとか言うより
人の話を聞いて変わろうとする柔軟性
が乏しい気がしてならない。
ストレッチで柔軟性を取り戻しつつ
トレーニングで筋力を増強する
ベテランの野球選手のような厳しい
生活が必要かも知れない。
身体的な健康は精神的な健康に通じる。
けれど今日は無理だ。
スタッフは7時前から雪掻きして
くれていたが自分は30分でへばる。
今日雪だから十分運動もした。
練習に行かない理由はある。
『ウドウロク』
有働由美子 新潮社