遠藤こどもクリニックは小平市の小児科アレルギー科のクリニックです。こども達の近くにいる診療を心がけています。

腰痛とメタボからの脱却とアンチエイジングを決意した64歳体育会系小児科医の日記

時間

2018年09月29日 | 日記


60年近く前に生まれた。
最初の鮮明な記憶はトラックの
荷台に立って風を切っている記憶だ。
今は許されない。

50年前は毎日壁に向かって
ショートバウンドの練習をして
凍ったヤクルトをくわえて
ソフトボールに向かった。
豚の散歩もしていた。

40年前やっとのこと大学に入った。
失恋から立ち直るのに思いのほか
時間がかかった。
予備校でべそかくくらい勉強した。
反動ではしゃいだのは許して欲しい。

30年前、一緒懸命に働いていた。
仕事もまだ半人前、父親のすべき
事は何も出来なかった。
寝る時間も少なくても頑張れた。
貧乏暇なしだったが充実していた。

20年前開業したばかりで無我夢中
当直はないけれど日々を終わるだけ
でやっとストレス発散するため
毎日チョコを食べたらすぐに
6kg太って人生最大の体重になった。
今その体重に近づいている。
パーソナルトレーニングに加えて
YouTubeでヨガもして踏ん張っている。

10年前は仕事と趣味に励んだ。
開業医としてようやく一人前に
なり、なんちゃってアスリートと
しても頂点だった様に思う。
朝5時に起きてウォーキングしていた。
目にクマを作るまで頑張れた。

これからどのくらい頑張れるのか、
無理は続かないから地道にやろう。
迷惑をかけないのはもちろんのこと
役にたつ医師であるために摂生する。
楽しいことだって沢山したい。

こんなことを考えたのはずっと
使っていたクリニックの時計を
新しくしたからだ。
20年前に兄弟姉妹から開業お祝いに
貰ったディズニーのからくり時計は
もうとっくに修理も出来なくなり
からくりはとっくにからくりでは
なくなっていた。

時間すら曖昧になりおかしな時間に
鳴っていた。
たかが時計だけれども20年一緒に
過ごしたからすてがたい時計だ。
ご苦労様、そしてありがとう。



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速度 2

2018年09月24日 | 日記


ひさしぶりに急いだと思う。
日曜日には外で運動して
月曜日火曜日は仕事。
しかも火曜日は夜も当番で
夜遅くまで仕事が続いた。

水曜日は早起きして
片道二時間近くかけて
息子達の小学校の時の
野球部コーチのコンペに
10年ぶりに参加した。
早く終わり楽しかったので家に
戻り車を置いてから頑張って
大田区まで宴会しにいった。
へとへとになった。

木曜日はパーソナルトレーニング
金曜日にやっとマッサージで
一息ついた。
土曜日は存続の危機を感じない
くらいひさしぶりに忙しく仕事、
午後から1000km移動して
観光している。



無理かなぁと思いつつ立てた計画は
やはり少し無理だった。
喉が痛くて大人しくしながらの旅。
ハンモックでゴロゴロしてる今が
楽しい。



残り時間は多くないからと言って
詰め込みすぎたら体力が不足する。
わかってはいてもじっとしている
よりは動いている方がいいと思う
貧乏性は変わらない。

落ち着いて仕事しているのも
けっして嫌いとは思わないが、
なにか面白いことをしたり
飛び回っているのは楽しい。
とは言えもう速度を落として
落ちついて生きたい。
と言いつつ最後の観光。



パスポートは使わないまま更新を
する可能性が出てきた。
先日アマゾンで日本地図を買って
行ったことがあるところに○を
付けたら北日本ばかりで、
日本国内ですらあまり旅行して
いないことに気づいたので
元気をだして旅行しようと思う。

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呼吸

2018年09月17日 | 読書感想文

健康な生活から頸部以下の麻痺に
なったことが人を悲観的にしない
訳がない。
正直、見る前はやはり重く暗い
物語だろうと思った。
自分が罹患した疾患の物語なので
劇場で観ようとは思っていた。

もちろん映画は時間を切り取って
繋いだ物語ではあるだろうから
もっと表現されていない辛いことは
沢山あるだろうと思いながら
ずっと前向きさと希望を感じながら
静かに最後まで見ることが出来た。

自分が小児科医になった30年前の
日本では在宅酸素がようやく一般的
になりはじめた。
現在では困難を伴うけれど
小児でも現実的になった在宅呼吸
管理療法だが、50年以上前には
まず不可能な選択をし、さらに周囲を
巻き込み、その人達さえも前向きに
する人生送った実話の映画化。

同じ様に皆んなが前向きには
なれないにしろ、
もっと何かが出来るかもしれない、
もっと人生を楽しめるはず、
と思わせてくれる物語だと思う。
アフリカの景色と旅先での暖かい
親切が心に残った。
そんな自然な親切に思いの外
違和感がなかったのが不思議だ。
製作者の1人でもある息子さんの
両親への尊敬と愛情を感じた。

僕自身が1960年に罹患した1人
だけれど幸いにも下肢の麻痺を
残しただけで済んだ。
歩き周り始めた1歳3ヵ月に罹患し、
一所懸命歩こうとしたらしいけれど
また歩ける様になったのは3歳を
過ぎていた。

1/1000は不幸かも知れない。
だだ形に現れているぶん、
人に優しくしてもらえるgiftだと
思えるようになるまでには
時間が必要だった。

「ブレス しあわせの呼吸」




注 ポリオ(急性灰白髄炎)

ポリオウイルスの中枢神経感染に
より急性弛緩性麻痺を起こす疾患。
かつて小児に多発したことから
小児麻痺とも呼ばれた。
日本では1960年に大流行し、
6500人の患者が報告された。
翌年カナダと旧ソ連から生ワクチン
が緊急輸入され1300万人の小児に
接種された。
国産生ワクチン、不活化ワクチンの
定期接種が続けられ、1980年を
最後に野生株による発症は報告
されていない。

感染してもその90〜95%は症状の
ない不顕性感染で、4〜8%は上気道
や胃腸症状で終わる。
0.5~1%が非麻痺型(麻痺を
伴わない無菌性髄膜炎)で、
感染者の約0.1%が典型的な麻痺型と
なる。
麻痺型患者の約50%が筋拘縮や
運動障害などの永続的後遺症を残す。
定型的麻痺では球麻痺を合併して
嚥下障害、発語障害、呼吸障害を
生じる。
死亡例のほとんどは、急性呼吸不全
による。



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2018年09月16日 | 読書感想文
仲の良い先生がおじいちゃん
になった。30歳で父になり、
その子が30歳で母になった。

娘さんの産まれた病院に30年間勤め、娘さんもその病院で母になった。
凄いことだ。

長男は同じ30歳、次男だって27歳。
おじいちゃんになりたいが予定は
未定なのが少しさみしい。

父になることは難しくはないかも
知れないけれど、いざなると
そこから逃げられない。
子どもと一緒に成長していく。

すべてを教えられるはずもないし
時代は変わり、自分の常識は
常識であるはずもないだろう。

子育てが終わったと感じることが
増えたから読んでみた本。
自分は何を教えられたのだろう。



ぼくが
子どものころ、
欲しかった
親になる。

幡野 広志

余命宣告を受けた35歳の父が
2歳の息子に伝えたい大切なこと


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優しい人

2018年09月15日 | 日記


秋田で1年だけ働いたけれど
小児科への思いはたち難く
不義理をして帰ってきた。
でも嫌な思い出は1つもない。

先輩達は中途半端な僕を優しく
普通に平等に指導してくれたし
楽しいことも沢山してくれた。
スキーに温泉、野球大会で
ダブルプレーをしたら
思い切り褒めてくれた。

そんな先輩達の中でも
とりわけ優しかった先輩2人が
最近旅立った。
思い出は良い部分が多く残るとは
思うけれど本当に優しい先輩だった。

背水の陣で東京に帰ってきた。
今思っても激務なのに貧乏だった。
でも嫌な思い出は1つもない。
同期に救われた。
小児科同期入局8人の中で
1番朗らかで優しかった友人が
旅立った。

良い人ばかりが先だっていく。
僕も少なくとも人生の75%は終えた。
あと役に立てる時間も限られていて
世話をかけてしまうことも
きっとあるだろう。

先立った先輩にも友人にも
これからやりたい事、やり残した事は
きっと沢山あっただろう。
だからと言ってこれからの自分の
毎日を全速力で走れるわけでは
ないから、平凡な毎日をきちんと
仕事して、じっくりと楽しんで
過ごそうと思う。

スタッフに
「優しい先輩や同級生に限って
 先立ってしまう。
僕も長生きはきっと出来ない
 気がする」
と言ったら
「先生は大丈夫、長生きする。」
と言われた。
褒められていないのは確かだ。

(秋田からの空路の夕焼け)

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備えあれば憂いなし

2018年09月15日 | 日記
それで全てが賄える訳でないし
その場に居合わせた場合に僅かなもの
しか産み出せないのは解っていても
きっとあったら便利。
必要性もあるにはある。
買おうかずっと悩んではいた。

オイルも燃料タンクも必要だし、
延長コードも必須。
置いて置く時のカバーやら
さらには置き場所としての
物置も必要になる。

納品まで1〜2ヶ月、それまでは
キャンセルも出来るし、やっぱり
要らないと思ったらやめれば
いいからと敢えて即納でなく
使いなれた通販サイトからにした。

そしたら3日目に配達しますメールが
来て後には引けない状況になった。
慌てて欲しい物リストに入れて
おいた関連備品をオーダーした。
そしてついに昨日それが到着して
しまった。

高校1年生でバイクの免許を取った
のでオイルやスパークプラグの点検や
マフラー(排気管)を交換まで
実は出来るので説明書はすぐに
理解出来た。
チョーク(注)が着いたエンジンを
久しぶりに見た。

もちろん、これを使う状況など無い
方が良いに決まっている。
今後定期的に動かす必要はあるし
オイルを替えたり
劣化するガソリン対策も必要になる。
滅多に乗らないバイクで日々心を
痛め苦労しているのにまたエンジン
が増えた。

備えあれば憂いなしと言うが、
普段の憂いは絶対に増えた気がする。
けれどほんのすこしだけエンジンを
早くかけたい気もしているが、
肝心の燃料タンクが到着していない。

これまで乗ったバイクはすべて
ホンダなのに敢えてメーカーを
変えてみた。
深い理由はない。


ヤマハ 携帯発電機 EF1600iS




注: 始動性をあげるため混合する空気の量を減らすデバイス
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往復

2018年09月02日 | 日記


朝早く起きて映画を観た。
当然早く終わり早めのお昼。
食べ終わってもまだ12時前。
そこで評判の食パンを買いに行った。
でも昼間の焼きあがる分の整理券は
とっくに終わっていた。
わかってはいたがちょっと悔しい。
結果けっこうなドライブになった。

午後はゴロゴロしようとも思った
けれどやはり動こうとレッスンに行った。
アスリートには地道な鍛錬は必須だ。
思いのほか涼しかったし、スランプから
脱するヒントも貰えた。
努力は裏切らないと信じたい。

力が残っていたので電話してみた。
並べば買えるかもしれない由。
30分前に着いたけれどもう30人近く
の人が並んでいた。
販売時間には行列はゆうに2倍以上に
なっていた。
どうして休みなのに仕事場の近くの
パン屋さんへ2往復してしまったのか。
僕はどちらかと言うとパンよりご飯なのに。
悔しさはバネだと思う。



普通のもぶどうパンも柔らかい。
ぶどうパンの干しぶどうが干してる
のにみずみずしい。
耳のところをコロッケパンにして
食べてしまいました。ごめんなさい。
美味しいです。


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