遠藤こどもクリニックは小平市の小児科アレルギー科のクリニックです。こども達の近くにいる診療を心がけています。

腰痛とメタボからの脱却とアンチエイジングを決意した65歳体育会系小児科医の日記

院長

2024年06月23日 | 読書感想文
開業するまでは勿論
新人、中堅、上司として
勤務していた。
あんまり出世はせずに
開業した。院長になった。

院長といっても、
上の組織があれば
その意向も大きく判断を
左右するだろうけれど、
小さいクリニックの院長の
裁量権は大きい。

いろいろな院長の
下で、上司の下で、
新人として、新人の上司で
働いてきた。
もし自分が上にたったなら
しないようにしようと 
思ったことも少なくない。 

「店長って、いつから
バカになるのかって
思ってさ。不思議。
バカだから店長に
なるのか、
店長になるから
バカになるのか。
とうしてこうどいつも
こいつもってさ。
まあ、向こうから
してみたら、
こっちの方がバカに
見えているのかも
しれないけれど。

店長もそうなのだから、
院長だっていつの間にか
バカになっている
可能性は低くない。

王様の格好や、言動に
批判を言うことは難しい。
それは王様も、店長も
クリニックの院長も同じ。

自分の思いは、
他者にとっては
迷惑でしかない場合が
少なくないことを忘れず、
かといって距離を
取り過ぎることなく、
接していこうと思った。

「店長がバカすぎて」
      早見和真
     ハルキ文庫











コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

習慣

2024年06月18日 | 読書感想文
少しずつだけれど
また本を読んでいる。
一気に読むとその時は
充実感を得られるが
目はシバシバするし
肩は痛くなる。
何事も程々は大事だ。

まったく本を読まずに
高校生になった。
読む習慣が出来た途端
時間があれば本を読んだ。
ためになるとか
何か身につくとか
考えすにがむしゃらに。
砂漠に水。
 
嫌いな国語が好きになり
その分得意な理科系が
弱点になった。
いってこいなのは
致し方ない。
中途半端に文系の学部も
受験したら、数学の問題が
解けなかった。

眼が辛いとか、
肩が凝るとか
マイナスはあるにしろ
しみじみしたり、
ホロッとしたり、
勇気が出たりする。
栄養になる。

感想を書いたことも
あったけれど、
今思うと恥ずかしいこと
この上ない。
それでもまたきっと書く。
カミングスーン。








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1年

2021年03月07日 | 読書感想文
開業される先生のお祝いで
会食してからもう1年が経つ。
もしかすると大変な事に
なる知れないと感じ始めた頃。

動かないでいたら腰痛は
悪化し、もちろん運動も
ままならなくなり、
毎日歩くことに決めた。
それから10ヶ月、
まだ続いている。

週に必ず7万歩以上歩く。
気持ちいい春、茹だる夏、
快い秋、凍る冬を経て、
また春が来た。
もう2ヶ月は続けたい。

時間があるからまた本を
読む様になった。
初めは心温まる本、
元気が出る本、
そんな本を
探していたけれど、
沈んでいても、
力んでいても、
焦っていても
見つからない。

新しいテレビにはNetflixが
あってついついそっちに
行きがちだ。でも
寝る前に、お風呂で、
ふと空いた時間に
少しずつ本を読むのが
また習慣になった。

予想しなかった生活がもう1年、
これからも以前とは違う生活が
続いていくのだろうけれど
そうは言っても春が来て
卒業し入学する季節になった。
クリニックの脇をピカピカの
1年生が通るのももうすぐだ。

断片的な記憶が繋がった
記憶になった頃、
僕は決してこもっている
ばかりでないけれど
下を向いていることも
多かった。

1歳3ヶ月でポリオに罹患して
また歩ける様になったのは3歳で、
走るのが遅くて、
スキップが出来なかった。
運動会が嫌で逃げ回った。

6歳のこどもの1年は人生の1/6。
人と違うことは特徴の1つだと
思えるはずもなく、
ほかの人と違うことや
同じ様に出来ないこと
悔やんでいた。

同じ1年生でも、
大きい子も
小さい子もいる。
4月うまれと3月うまれの
差はとても無く大きいし
みんな性質も違っている。
その事を受け止めるのには
とても長い時間が必要だった。

まわり道もあったけれど
夢にえがいた職業に就けた
幸せな毎日を過ごすことが
日常になった。
久しく思い出す事もなかった
自分にとって大きな影響を
与えた事が本の中の
言葉でよみがえった。


「このクラスには、
早く生まれた者と
遅く生まれた者の間には
1年もの違いがある。
また太った子もいるし
足の悪い子もいるだろう。
小学校の間はこの違いは
大きい。
だから1位になっても
得意になるな、
ビリでもべそを
かくような子は
最初から走るな。
君たちを待っている
世の中はなんでも競争
するようになっているのだ。
いいか今1等になっても
得意にならず
ビリになってもくじけな、
プライドを持つ日のために
走るのだ」 

「満座の中を照れかくしの
笑いを浮かべ
ながらビリを走る」
あの、何とも言えぬ屈辱の
経験が得難いものである
ことを知らないのだ。 

「絵のある自伝」 安野光雅 
    文春文庫 30ページ

父や母と同年代の方の自伝。
今にはそぐわない点も
あるかとも思うけれど、
昭和中期に生まれた僕には
多くのことが思い浮かぶ。

小学校の高学年になって
初めて走った徒競走で、
半ばでもう諦めて、一所懸命
には走っていない僕に
かけられた応援の声を
思い出す。











コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

男子

2020年02月27日 | 読書感想文

お風呂にゆっくり入れる様に

なったのはこれまで人生の2/3

くらいを過ぎてからだと思う。


サボらないで毎日ちゃんと入る。

けれど受験とか資格試験とか

限られた時間があると無駄に

感じてしまうのが常だった。


本を読む場所と決めたら

ちょっと長風呂になった。

短編集が良い。

読書は人生を豊かにする。


肩が凝るとか、目が辛いとか

理由はあるがちっとも本を

読まない時期が続いていた。

気持ちが干からびた様にさえ

感じていた。


積んである本が増えた。

本屋さんでの滞在時間すら減っていた。

でも最近は少しずつまた本好きに

戻りつつある。

肩凝りは悪化する。


読み直して新しい意味を見つける

読書にはまだ進めない。

攻める読書が信条だと思いたい。

けど哲学だと辛いの本音。


そういえば高校は男女比3:1

歪んだ世界だった。

2年生の男子だけのクラスは人生を

だいぶん変えてくれた様に思う。


そんなこんなんで最近だけれど

最近読んだ本は男子だらけのあまりにも

シャイな少年だった自分や

大学卓球部での楽しくて理不尽な小世界は

社会人の世界に十分通じていた

自分の礎であり愛すべき時間だったことを

思い出させてくれた。


キケン

新潮社

有川浩


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ささみ

2019年09月19日 | 読書感想文


豚肉が一番好きだ。
実家はお肉屋さんで
豚肉の卸もしていたから
食卓に上がることは頻繁だった。

忙しくて買い物に行けない場合
頻回になるからご馳走でなく
売る程あるのが出てきた感じだ。
魚がでるとお母さん頑張ったと
こどもながらに感じた。

牛肉は好きではなかった。
何となくミルクの匂いする。
もちろんお肉屋さんだがら牛肉も
売っていたが、他の卸業者さんから
買ってくる高級品だった。
あくまで売る物であまり食べなかった。

なのですき焼きは豚肉、
しかも砂糖を沢山入れた甘い味付け。
世の中の多くはすき焼きと言えば牛肉で、
しかも甘い味付けだけでない事を
知ったのは1人暮らしを始めてからだった。
今も家のすき焼きは両方入れて貰っている。

鶏肉はふつうにすきだ。もも肉とか好きだ。
チキンソテーばかり食べていた時期もある。
チキンソテー、なければハンバーグ、
それもないならステーキの順番だった。

年齢を経て嗜好は変わる。
もう沢山食べようとは全然思わないが
美味しいステーキは美味しい。
豚肉も時々だけれど匂いが気になったり
する事もある。

パーソナルトレーニングを始めて15ヶ月、
今年のお正月に増えた体重はまだ
戻せていないが、トータルの体力低下は
踏み止まっている気がしする。

恥ずかしいから重さはナイショだが
ベンチプレスさえする昨今、
ムキムキにはなれないが細マッチョなら
なれるかも知れないと思いだした。
毎日、いや効率的には1日おきに自主的な
トレーニングをすればきっとなれる。
しかし、真面目にやるのは行った日だけ、
他は軽く10〜15分くらい動いているんだが
呻いているだけなんんだかわからない
ストレッチとトレーニングをするだけだ。

15回運動するならきつくなった13回目から
が本当のpトレーニングと言われても、
12回でやめてしまう自分だからプロテインは
申し訳ないし要らないだろうから飲んでいない。

でも最近はささみをよく食べる。
なにかの大会が近い訳ではなくて
サラダに割いて載せる用の燻製が
自宅おつまみコーナーに移動していたからだ。
ご飯は抜いてささみなら素晴らしい意気込みだが
普通になりご飯食べて、その後飲み足りない時の
おつまみで2本食べてはいけないと思う。

おつまみセレクションの中のサラミとチーズを
食べてもうひとつのサラミは残そうとしたのに
つい食べてしまった罪悪感からすれば軽い。
なんか味は淡白だから、お醤油とかマヨネーズを
つけたくなるが我慢している。
歯の間に挟まってしまうのはマイナスポイント。


いまさら元気な肉食の人にはなれないと思うが
この先ささみについて追求いくかもしれない。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

義理と人情

2019年09月11日 | 読書感想文


家の近くのTSUTAYAに雑誌を買いに 
行ったら平積みになっていた。
先ず任侠書房を読んで面白くて
次の日に任侠学園、任侠病院も
買いに行った。
先に任侠病院を読んで、最後に
映画になる任侠学園を読んだ。

病院慣れしているせいか、
病院より書房、書房より学園が
面白く読めた。
学園の最後は読み返した。

礼儀、慣習、義理、面子。
コミカルだけど、示唆的でもあり
すらすら読めるけどちょっと
目頭も熱くなる。
諦めて忘れようとしていた情熱を
再び燃やす先生達と今時の高校生たちは
結果ヤクザを泣かせた。

いくつか読んだことがある作家さん
だけれど、他の以前の作品も読もう
かと思います。
自分が楽しく読んだからといって
スタッフにも押し付けたのはちと
迷惑だったかもと反省しました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

教える

2019年08月24日 | 読書感想文
長男が小学校3年生になった時
野球部に入ると言い出した。
自分も小学校ではソフトボールに
熱中した。
時間があれば凍ったヤクルトを
くわえてブロック塀に向かって
ショートバウンドの練習を
繰り返した。
遠くにボールを飛ばすことは
出来ないし、守備範囲も広くは
なかったけれど、その分前に出て
早くボールを投げた。

仕事に就いても自分の生きる道は
医局対抗野球大会しかないと
判断して、初めて貰った
お金(交通費)でグローブを買った。
セカンドを守りゲッツーをして
先輩達に誉められた。
野球はけっこう得意科目だ。

サッカーは全然なので野球部を
選んでくれてのは嬉しかった。
キャッチボールは出来るが
リフティングは出来ないから
一緒に楽しめない。

野球部の練習に初めて参加する
日曜日一緒に付いていった。
念のため自分のグローブも
持っていった。

〝お父さん一緒にキャッチボール
しましょう〝
と言われいつの間にかコーチに
就任した事になっていた。

仕事はもとても忙しかったけれど
日曜日、祭日はずっと野球だった。
蕎麦屋さんや中華屋さんでの
昼のコーチ会議には必ず参加した。
お店のビールを飲み切ってしまい
店員さんがビールを買いに行った
りする様なことは決してなかった
と思う。

翌年次男は1年生から野球部に入った。
お父さんは一度は監督をするのが
慣例、都合2回監督になった。
春と秋のリーグ戦、
やはり勝ちに行く。
才能、努力、温度はそれぞれ違う
から選手起用はとても難しかった。

普通より息子達に厳しくした。
9番目だったら10番にしてしまった。
誉めて育てることは出来なかった。
同級生の中での息子達を見れたのは
本当に良かったと思う。
次男が卒業してもお礼でもう一年
コーチ続けた。
計8年楽しかったし勉強になった。

僕は身体の事もあったけれど、
熱すぎる雰囲気に恐れをなして
中学校で野球部には入らなかった。

一緒にソフトボールをしていた
幼馴染は野球部に入りキャプテン
を務め、その後教師の道に進み
今は校長先生になっている。
性格は全然違うけど親友だ。
姉も教師だったが僕は教師に
なろうとけっして思わなかった。
大変な職業だと思う。

しばらくぶりでこの作者の本を
読んだ。
解っていて気をつけていたが
最後のページでウルっとなった。
最近とみに涙腺が緩い。
映画になっているけれど
まだ観ていない。

"教えるたり育てたりすることと、
選ぶこことは
違うんだよ"

野球の監督をしている先生と
ドロップアウトした生徒を描いた
短編 219ページ

“泣くな赤鬼”

「せんせい」
重松 清
新潮文庫
195-247ページ



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生きている 2

2019年08月23日 | 読書感想文



先に父を送り、母を送った。
気にかけているようで、
兄や姉達に甘えて多くを
任せていたと思う。
それなのに一丁前に喪失感は
感じたし、申し訳ないけれど
大きな荷物が無くなった気もした。

大学の小児科同期入局8名のうち
特に性格の良かった2人がもういない。
卒業してから暫くして、それぞれの
出身地に帰ってからはなかなか会う
機会も減っていた。
でも亡くなったと聞いて、きっと色々な
事があっての最後だったのだろうが
何も知らなかったから、驚きはしても
喪失感はなくて、ふとまだ会える機会が
ある様な気もした。

国家試験の勉強は同級生7人でした。
今も毎年集まっているが、1人を欠いた。
もう長くない事を知らされて亡くなる前に
会い行ったが、話せる事は多くなかった。
以降の事もすべて決めて済ませていた。
もう残された時間は少なくて
また、
という言葉は似つかわしくなかった。


4人兄弟姉妹で1番のしっかり者だった
長姉ももういない。
病気が見つかってから1ヶ月
病勢はとても急で多くの事を
話する事も出来なかった。
今も何か困った事があると
姉ならどうしただろう?
一言言ってくれたらと
思う事がある。

人生の3/4は過ぎている。
色々な所に問題はあるが、
急を要することはないし
付き合っていくしかない。
仕事をいつまで続けられるか?
長く続ける事は自分にとってだけ
でなく患者さんにも良いことなのか?

記憶のある5歳の頃の1年はほとんど
永遠に近い様に長く感じけれど
もう1年は1/60だからあっという間に
過ぎていっている。
何となく20年と言っているが、
それは10年後かも知れないし、
とても急な事かも知れない。

楽しい事は先送りしないし、
嫌なことはなるべく
見ない、聞かない、近づかない
様にしているけれど、
考えなければいけない事もある。

本を読んでいろんな事を思い出した。
それはけっしてそう遠い先でない事として
考えていかねばならない。


以下は筆者のnote からの引用

病気になってからこの本のために、
ずっと頑張っていた。
そもそも頑張り方がよくわからないから、
たくさん失敗もしたし、
そのたびにいろんな人に助けてもらった。
時間がとてもかかってしまったけど、
ようやくできた。

一人ではできなくても、応援してくれる人が
いるからできることもある。
この本をたくさんの人に読んでもらうために、
ぼくは有名にならなければいけないとおもった。

街中でも、病院の待合室でも声を
かけられるようになった。
たくさんの書店がこの本に期待して、
展開のために協力をしてくれる。
満を持してというのはこういうこと
なのかもしれない。

5月28日、ポプラ社から発売。

「ぼくたちが選べなったことを、
選びなおすために。」

幡野広志

1983年、東京生まれ。
2004年、日本写真芸術専門学校中退。
2010年から広告写真家・高崎勉氏に師事、
「海上遺跡」で「Nikon Juna21」受賞。
2011年、独立し結婚する。
2012年、エプソンフォトグランプリ入賞。
2016年に長男が誕生。
2017年多発性骨髄腫を発病し、現在に至る。
他著書
『ぼくが子どものころ、
ほしかった親になる。』(PHP研究所)等
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生きている

2019年08月22日 | 読書感想文


テレビゲームは嫌いだ。
ちょうど浪人していた時には
インベーダームが流行っていた。
ハマったら2浪になりそうなので
近寄らないことにした。

国家試験は膨大な量の知識を2日間は
持っていなければいけない。
やっと資格を取ったら更に忙しくて
スーパーマリオが流行し始めたが
手を出す暇もなかった。

でも今は時々だけれど延々
YouTubeやTwitterやInstagramを
見ていることも少なくない。
時間を決めて楽しめば良いのに
ついついオーバーしてしまう。
依存という程ではない。
いつの間にか寝てしまう。

息子達はまさにゲーム世代だ。
野球友達も、ゲーム友達も
きっと等価だったのだろう。
今ならわかるけど、
ゲームを低く見ていた。

しばらく前、息子が任天堂スイッチで
ゼルダの伝説をやっていた。
余りに画像が綺麗なので
「やらせて」
と言ったら
「お父さんには無理かなぁ」
と言われてすぐ諦めた。
それ程したかった訳ではなかった。

ゲーム開発者として、経営者として
以前から知ってはいた。
55歳の若さで亡くなられた方の本を
一気に読んだ。

居なくて寂しいと思ってもいるし
今もいる様に思う編集者の気持ちが
伝わって来た。
亡くなっしまった人の言葉は生きていて
寂しく感じられなかった。

開発者として
人を楽しませる事が楽しくて働き
経営者となっても同じ気持ちを持ち続け
そのためには時間をを惜しまなかった。
家庭人としてもお子さんから
良い父親と言われている。

偶然にも同学年
バブル期後半に社会人になった。
浮かれているどころでなく
仕事ばかりだったのだけは
一緒かも知れない。
僕もけっして手を抜いたと思わない。
でも比べようもない。

最初に志した気持ちが薄れている。
なりたいものになれたこと
それでこれまでやって来れたことは
幸せなんだと改めて思う。

それはそれとして少しは変わりたい。
だからと言って明日だけ優しくても
意味は少ない。
少しずつを続けていきたい。

岩田さん
岩田聡はこんなことを話していた。

(走る その2 として掲載しましたが
間違って消してしまい改題加筆再掲載です)




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

輝く夜

2018年12月24日 | 読書感想文


遠くが見にくくなったので
普段使いの眼鏡を新調した。
金色から銀色にしてちょっと
今更だが若作りをしてみた。

夜景を観に行ったが良く見えた。
近くも見える様にしたけれど
欲張り過ぎて本は読み難くなった。
老眼鏡は難しい。

今年の反省点は本を読む量が
極端に減ってしまった事だ。
積ん読ばかりでクリニックの
一冊どうぞ文庫は風前の灯火。

iPad依存ではいけないので
先日ブックオフに行った。
行儀悪いけれどもお風呂や
寝る前に読む本を買い込んだ。

またやってしまった。
2回目の購入なのには直ぐに
気づいたけれど読んでみた。
救いのある本がやはり好きだ。

「永遠0」も
「ボックス!」も
「風の中のマリア」も
読んだ覚えはあっった。

その勢いで読んだ筈なのに
うっかり買ったが読んで思った。
優しい人が損してはいけない。
中では「ケーキ」が好きだ。

高校の同級生は芥川賞を取り
全米図書賞を最近受賞した。
電車の中刷りで人気の本にあって
誇らしい気持ちなった。

読みかけの本もまだまだあるのは
申し訳ないと本棚を見て反省した。
それはそれとして受賞作を
襟を正して先に読も思う。

メリークリスマス



「輝く夜」
講談社文庫
百田尚樹

「献灯使」
講談社文庫
多和田葉子





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

読書が進まない

2018年11月12日 | 読書感想文


まったく本を読まなかった
中学生の時の視力は1.5。
読書が習慣になって
むさぼり読み始めたら
眼鏡使用になった。

最近は老眼も加わって
遠近を普段用、
中近を仕事用、
単焦点を運動用、
と使い分けている。

最初の頃は遠近の眼鏡を付けて
運動すると上手くいかなかった。
慣れとは怖い。
気がついたら
何の違和感なく運動していたり。
ボールの行き先がもうはっきりは
しないから、見切りが早いので
支障が少ないのかもしれない。

そんなこんなで今年の読書量は激減、
テレビや雑誌、iPadばかり見ている
昨今。
クリニックの一冊どうぞ文庫は
風前の灯。
目の前にあるTSUTAYAは遠く、
BOOKOFFは永遠。

読書感想文は今年3つしか
書いていないし、最後の1つは
厳密に言わなくても映画感想文。
これではいけないと思う今日この頃。
今は忙しいからと言い訳は出来ない。
道を渡りTSUTAYAで本を買った
ガソリン入れて貯まったポイントで。

まずは話題作から読む事にした。
今更感はあるが今年の流行りものは
やはり今年中におさえておきたい。
漫画やエッセイからなのは
許されたい。
今年始めに以下の文章を書いた。
出来なかったことを強く反省したい。
リハビリだ。

怒涛の勢い




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

呼吸

2018年09月17日 | 読書感想文

健康な生活から頸部以下の麻痺に
なったことが人を悲観的にしない
訳がない。
正直、見る前はやはり重く暗い
物語だろうと思った。
自分が罹患した疾患の物語なので
劇場で観ようとは思っていた。

もちろん映画は時間を切り取って
繋いだ物語ではあるだろうから
もっと表現されていない辛いことは
沢山あるだろうと思いながら
ずっと前向きさと希望を感じながら
静かに最後まで見ることが出来た。

自分が小児科医になった30年前の
日本では在宅酸素がようやく一般的
になりはじめた。
現在では困難を伴うけれど
小児でも現実的になった在宅呼吸
管理療法だが、50年以上前には
まず不可能な選択をし、さらに周囲を
巻き込み、その人達さえも前向きに
する人生送った実話の映画化。

同じ様に皆んなが前向きには
なれないにしろ、
もっと何かが出来るかもしれない、
もっと人生を楽しめるはず、
と思わせてくれる物語だと思う。
アフリカの景色と旅先での暖かい
親切が心に残った。
そんな自然な親切に思いの外
違和感がなかったのが不思議だ。
製作者の1人でもある息子さんの
両親への尊敬と愛情を感じた。

僕自身が1960年に罹患した1人
だけれど幸いにも下肢の麻痺を
残しただけで済んだ。
歩き周り始めた1歳3ヵ月に罹患し、
一所懸命歩こうとしたらしいけれど
また歩ける様になったのは3歳を
過ぎていた。

1/1000は不幸かも知れない。
だだ形に現れているぶん、
人に優しくしてもらえるgiftだと
思えるようになるまでには
時間が必要だった。

「ブレス しあわせの呼吸」




注 ポリオ(急性灰白髄炎)

ポリオウイルスの中枢神経感染に
より急性弛緩性麻痺を起こす疾患。
かつて小児に多発したことから
小児麻痺とも呼ばれた。
日本では1960年に大流行し、
6500人の患者が報告された。
翌年カナダと旧ソ連から生ワクチン
が緊急輸入され1300万人の小児に
接種された。
国産生ワクチン、不活化ワクチンの
定期接種が続けられ、1980年を
最後に野生株による発症は報告
されていない。

感染してもその90〜95%は症状の
ない不顕性感染で、4〜8%は上気道
や胃腸症状で終わる。
0.5~1%が非麻痺型(麻痺を
伴わない無菌性髄膜炎)で、
感染者の約0.1%が典型的な麻痺型と
なる。
麻痺型患者の約50%が筋拘縮や
運動障害などの永続的後遺症を残す。
定型的麻痺では球麻痺を合併して
嚥下障害、発語障害、呼吸障害を
生じる。
死亡例のほとんどは、急性呼吸不全
による。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2018年09月16日 | 読書感想文
仲の良い先生がおじいちゃん
になった。30歳で父になり、
その子が30歳で母になった。

娘さんの産まれた病院に30年間勤め、娘さんもその病院で母になった。
凄いことだ。

長男は同じ30歳、次男だって27歳。
おじいちゃんになりたいが予定は
未定なのが少しさみしい。

父になることは難しくはないかも
知れないけれど、いざなると
そこから逃げられない。
子どもと一緒に成長していく。

すべてを教えられるはずもないし
時代は変わり、自分の常識は
常識であるはずもないだろう。

子育てが終わったと感じることが
増えたから読んでみた本。
自分は何を教えられたのだろう。



ぼくが
子どものころ、
欲しかった
親になる。

幡野 広志

余命宣告を受けた35歳の父が
2歳の息子に伝えたい大切なこと


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日記

2018年06月18日 | 読書感想文
中学生までまったく本を
読まなかった。
国語は不得意分野だった。
高校デビューしたがいきなり最高速。
寝転んで1日で文庫本4冊を読んだら
視力が落ちて眼鏡使用になった。

大学でも本は読んでいた。
日記も時々だが書いていた。
小遣い帳はすぐに挫折した。

大学病院では当直日誌に命を
かけていた時期があった。
教授も読む物だから自重すべき、
だが医局の秘書さんの受けを
最重要視していた。

ゴルフを始めた頃は練習毎に
やったこと、成果、課題を
図解入りで記録した。
まだその手帳は1冊だけ残している。

土曜日に買った文庫本を今日
読み終わった。
申し訳ないことだが
トイレとお風呂に限定した。
どれだけ篭っていたのか?

疝痛に悶絶しながら読み始め、
最後は用もなく座っていた。
これからこのブログに破天荒な事が
書かれていても許して欲しい。
決して乱心したのではなく
真似をしてみたと理解されたい。



日記。
それは自意識との戦いであり、
記録に対する人間の執念であり、
己の欲望の表明である。

新潮文庫
「ビロウな話で恐縮です日記」
三浦しをん
(カバー解説より)

格闘する者に◯
秘密の花園
私が語り始めた彼は
悶絶スパイラル
船を編む
風が強く吹いている
きみはポラリス
仏果を得ず
神去なあなあ日記
天国旅行
小暮荘物語

など文庫本カバーの著者紹介の
本のかなりを読んでいたが
こんな破天荒な人だとは
全然思っていなかった。 
楽しく読めたが心配にもなった。
大丈夫なのかその毎日で。  
追いかけらているのに楽しい事も
ちゃっかりしてる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お尻

2017年08月21日 | 読書感想文
ずいぶん前、
多分35年くらい前、
初めて半ズボンをはいた。

それまではお尻の大きさが違うのが
恥ずかしいから半ズボンもジーンズも
はいたことがなかった。

真夏に冷房のない体育館で窓を閉めければ
ならないスポーツをしていた。
その頃の秋田だって暑かった。

お尻のポケットの無い卓球用の短パンの
内側にポケットを着けて、ハンドタオルを
入れていた。それもびっしょりになった。


一度はいたらその安楽さは捨てがたい。
この時期草むしりと水やりは暑いしから
虫除けスプレーして半ズボン。

何かもう一つ才能をくれるとしたら、
1番目は音楽の才能、2番目は美術の才能、
3番目はぷりぷりのお尻と早く走れる足が欲しい。

だからお尻フェチだというわけでは無いが
おしりに関しての本を続けて読んだ。
1冊買ったら患者さんに好評なので大人買いした。

絵本はあと1冊で揃う。読み物も5冊揃えようか。
おしりたんてい 作 トロル ポプラ社
http://www.oshiri-tantei.com/


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする