高知市中ファンクラブ

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高知市さえんばの横堀公園 ②武市半平太の道場跡の碑・めおと石

2010-09-29 | 下知地域の情報
9月26日の日曜日、 高知市さえんばの横堀公園で、第2回「武市半平太まつり」 があり、行って来ました。

余り長くは居れなかったのですが、雰囲気だけでも感じたいと訪問しました。

横堀公園内の北側にある、武市半平太の道場跡の碑もきれいに手入れされ、また"めおと石"が新しく設置されていました。







武市半平太の道場跡の碑



高知市HP:武市瑞山道場跡

武市瑞山は安政2年(1855)に道場を新築し、妻の叔父である島村寿之助と共同経営で道場を開いた。午前は寿之助が槍術、午後は瑞山が剣術を教え、門人も120人を数えるに至ったという。若き日の中岡慎太郎や"人斬り以蔵"と恐れられた岡田以蔵なども武市道場の門人である。

その後、人柄と実力を買われた瑞山は、安政2年(1855)の秋以降、藩命を受けて安芸郡奉行所(現田野町)、香美郡奉行所(現香南市赤岡町)に出張し、剣術の指導にあたっている。

この碑は、当初現在地より約30mほど東北の駐車場に建てられていたが、近年に横堀公園内に移された。





"めおと石"が新しく設置されていました。



みやちゃんブログ:武市半平太「めおと石」

今日の高知新聞の朝刊に高知市桜井町にある横堀公園に武市半平太道場跡

「めおと石」などの清掃を町内の世話役の方々が・・

という記事が掲載されていたので、早速出向き撮影してきました。

この26日の日曜日には、半平太祭りを賑やかにするそうですので、楽しみです。



武市半平太夫婦 めおと石もできたぜよ: 新堀川知行合一塾

武市半平太夫婦 めおと石もできたぜよ. 半平太は愛称は「あぎ」、あごのことである。 向かった右側の石はあごの出た顔に見えんかよ. 2010.09.16 in 元気が出るまちづくり |



HN:史跡探訪者


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HN:史跡探訪者 さんの記事

高知市さえんばの横堀公園で、「半平太まつり」がありました①

2010-09-29 | 下知地域の情報
9月26日の日曜日、 高知市さえんばの横堀公園で、第2回「武市半平太まつり」 があり、行って来ました。

余り長くは居れなかったのですが、雰囲気だけでも感じたいと訪問しました。















おすすめブログ記事: 「半平太の邸宅・道場跡を初めて知る」 

おんちゃんは武市半平太邸・剣道道場跡を最近の新聞報道などで初めて知った

 その場所は高知市菜園場町にある横堀公園だ。

 今、NHKの大河ドラマ「龍馬伝」でほんのこの前、大森南朋の扮する武市半平太が切腹し悲しい最期を遂げたことで、記憶に新しいところ。

 そして、半平太の道場で剣道の稽古をしているシーンも何度も見たが、一体その道場がどこになるのか気にも留めず、ましてや菜園場とはまったく知らなかった。

 おんちゃんが病院勤務していたときにしょっちゅうその公園の前を通っていたり、またそこのトイレを使用したことは数多いが、恥ずかしいことながら、半平太の碑のことにはまったく気付かなかった。

 その横堀公園へ行ってみたら、確かにあるある、その碑が






HN:史跡探訪者


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山内容堂の銅像

2010-09-16 | 高知市中地域の見所・観光案内
「土佐の銅像」第4回目は、山内容堂です。

銅像台座には「大政奉還を慶ぶ」とあり、「鯨海酔候」らしく盃を手にしています。



*山内容堂(1827~1872)

*銅像所在地:高知県高知市鷹匠 山内神社

*銅像製作:梶原幸山 平成14年4月10日建立



山内家分家の子として高知市に生まれる。

*22歳:山内豊信、第15代山内家土佐藩主となり、藩政改革を行なう。

*32歳:将軍後継者問題で隠居し、号を忍堂とする。後、容堂とかえる。

*36歳:土佐勤王党弾圧に踏み切る。

*40歳:内国事務総裁となる(1年後に辞職)。

享年43歳。



居合もよくでき、漢詩も詠んだ、「幕末四賢候」に数えられるお殿様です。




分家、側室、藩主、家臣、領民、謹慎、処罰、...。

身分制度は、山内容堂の心にも大きな陰を残した、と思われてなりません。

もちろん、「世間一般の人には、酔う人の気持ちは解らない」のですが...。



土佐の銅像 写真集と 津江美和さんの写真に関するページ

山内容堂 に関するページ

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2010-09-15 | 高知市中地域の見所・観光案内
山内容堂 に関するページ

山内要堂の銅像


銅像台座には「大政奉還を慶ぶ」とあり、「鯨海酔候」らしく盃を手にしています。



*山内容堂(1827~1872)

*銅像所在地:高知県高知市鷹匠 山内神社

*銅像製作:梶原幸山 平成14年4月10日建立



山内家分家の子として高知市に生まれる。

*22歳:山内豊信、第15代山内家土佐藩主となり、藩政改革を行なう。

*32歳:将軍後継者問題で隠居し、号を忍堂とする。後、容堂とかえる。

*36歳:土佐勤王党弾圧に踏み切る。

*40歳:内国事務総裁となる(1年後に辞職)。

享年43歳。



居合もよくでき、漢詩も詠んだ、「幕末四賢候」に数えられるお殿様です。




分家、側室、藩主、家臣、領民、謹慎、処罰、...。

身分制度は、山内容堂の心にも大きな陰を残した、と思われてなりません。

もちろん、「世間一般の人には、酔う人の気持ちは解らない」のですが...。



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龍馬の生まれた町にて

2010-09-09 | 上街地域の情報



昨日、根木さんが観光ボランティアのYさんを紹介してくださいました。

銅像製作者の濱田浩造氏の同級生でもあるYさん。その行動力に感嘆しました。



待ち合わせは、夕暮れの「龍馬の生まれた町記念館」でした。



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