ついにセリエAまで延期と、ささやかな楽しみが消えていく日々ですが、気を取り直して浦和レッズネタから、今季右SBでプレーする橋岡大樹選手のネタです。橋岡はさいたま市桜区出身の地元選手で、上大久保中学から志木高校と地元の学校を出ています。サッカーは浦和レッズのユース育ちで、ユース時代はCBという異色のキャリアを持つサイドプレーヤーです。
橋岡のデビュー戦になったルヴァン杯C大阪戦はよく覚えています。当時、ユース所属ながらベンチ入りしていた橋岡は、マウリシオの負傷で急遽投入されることになりました。背番号も44と大きな番号をつけていた橋岡ですが、正直敗因にさえならなければいいと、あまり期待はしていませんでした。
しかし、ここでのプレーは将来トップチームでプレーしたいという意欲にあふれていました。3バックの右ストッパーで出場した橋岡は、相手FWにパスを出されても抜かれない、タイミングが合えば攻撃参加も見せるなど、敗因どころか戦力としてアピールする内容でした。オフのトップチーム昇格は当然とも言えた結果でした。
橋岡にとって幸運だったのは、当時暫定監督だった大槻監督が多くの選手に出番を与える方針だったことです。ユースから上がって1年目ながら、右アウトサイドで森脇を抑えて一番手の評価を勝ち取るようになり、後任のオリベイラにも評価されて右アウトサイドに定着します。CBだった選手のアウトサイドは異色ですが、GK西川のロングフィードを頭で落とせるという強みも見せるようになりました。
橋岡は高卒1年目でトップチームで出番を得たこともあって、韓国で開催されたU-20W杯は楽しみにしていたことでしょう。しかし、不運なことに大会直前の負傷で、出れば主力間違いなしだったこのU-20W杯を棒に振る悔しい結果になりました。その悔しさは、地元開催の東京五輪代表で晴らして欲しいと願うばかりです。
橋岡のいとこ、橋岡優輝さんは日大で走り幅跳びの日本代表という、アスリートの家系でもあります。今季は初めて、4バックの右SBという新たなポジションに挑むことになります。バランスの取り方が3バックのときとは違うので、早く慣れて、日本代表の右サイドは彼と言われるくらいまで成長して欲しいと願っています。
橋岡のデビュー戦になったルヴァン杯C大阪戦はよく覚えています。当時、ユース所属ながらベンチ入りしていた橋岡は、マウリシオの負傷で急遽投入されることになりました。背番号も44と大きな番号をつけていた橋岡ですが、正直敗因にさえならなければいいと、あまり期待はしていませんでした。
しかし、ここでのプレーは将来トップチームでプレーしたいという意欲にあふれていました。3バックの右ストッパーで出場した橋岡は、相手FWにパスを出されても抜かれない、タイミングが合えば攻撃参加も見せるなど、敗因どころか戦力としてアピールする内容でした。オフのトップチーム昇格は当然とも言えた結果でした。
橋岡にとって幸運だったのは、当時暫定監督だった大槻監督が多くの選手に出番を与える方針だったことです。ユースから上がって1年目ながら、右アウトサイドで森脇を抑えて一番手の評価を勝ち取るようになり、後任のオリベイラにも評価されて右アウトサイドに定着します。CBだった選手のアウトサイドは異色ですが、GK西川のロングフィードを頭で落とせるという強みも見せるようになりました。
橋岡は高卒1年目でトップチームで出番を得たこともあって、韓国で開催されたU-20W杯は楽しみにしていたことでしょう。しかし、不運なことに大会直前の負傷で、出れば主力間違いなしだったこのU-20W杯を棒に振る悔しい結果になりました。その悔しさは、地元開催の東京五輪代表で晴らして欲しいと願うばかりです。
橋岡のいとこ、橋岡優輝さんは日大で走り幅跳びの日本代表という、アスリートの家系でもあります。今季は初めて、4バックの右SBという新たなポジションに挑むことになります。バランスの取り方が3バックのときとは違うので、早く慣れて、日本代表の右サイドは彼と言われるくらいまで成長して欲しいと願っています。