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Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

ウディネーゼ対インテル

2020-02-12 21:44:39 | ワールドサッカー
昨日書いたバイエルン対ライプチヒはそのままスコアレスドローに終わってしまったので、今日は病気で会社を休んでいたので気を取り直してセリエAのウディネーゼ対インテルのビデオを見ていました。ウディネーゼは5-3-2で引いて守るチームなので、インテルがよく見せる「堅守速攻」の形は出しにくい相手です。しかも、この試合はFWのラウタロ・マルティネスが不在でした。

インテルはベルギー代表のルカクと、17歳のエスポジートで2トップを組ませてきました。普段はスピードを生かして前に走るルカクが、この日に限っては下がってきてポストプレーをするなど、エスポジートのサポートもある程度しないといけない試合展開でした。ルカクが下がってくるのはウディネーゼ側としては歓迎で、この強力なFWと直接対峙しないで済みます。

それでも、ウディネーゼも攻撃での決め手には欠きました。MFのところまではボールが持てますが、最後のシュートの精度が足りず、前半は0-0で折り返すことになります。セリエAの得点ランキング3位のルカクといえど、前に走る展開以外では苦しいのかなと思い始めた頃、インテルベンチの打った交代策で流れが変わります。

エスポジートoutサンチェスinの交代です。今季はあまり出番に恵まれていなかったサンチェスですが、チリ代表ではエースストライカーの実績があります。また、バルセロナ、アーセナルとビッグクラブを渡り歩き、その間運動量の多さでエースストライカーを陰で支えてきた「名脇役」です。このサンチェスがルカクの周りを動いたことで流れが変わります。

決勝点となったPKは、サンチェスが突破して相手GKに倒されたものです。これをルカクが蹴り落ち着いてゴールを決めると、カウンターの流れからルカクが空いて2点目を決めて、試合は2-0でアウェイのインテルの勝利に終わります。ラウタロの不在時は、やはりサンチェスのような実績のあるFWに任せた方が良さそうだという、ある意味予想通りの結果です。

それでも、クロアチア国境近くの街、ウディネにあるウディネーゼ本拠地の圧力は映像でも伝わってきました。どうしても主力を引き抜かれるチームなので、安定して強いというわけにはいかないですが、過去にはレジェンド、ディ・ナターレが在籍し強かった時期もあります。やはり、実況でもディ・ナターレの名前は言及されていましたね。
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野村克也さん、逝く

2020-02-12 19:58:48 | 他スポーツ
昨日、元ヤクルト監督で「ID野球」を旗印に黄金時代を作った名将、野村克也さんの訃報がありました。当時、野村監督のノウハウを知りたくて本を買って読んでいたことを思い出します。当時、ヤクルトの選手には「お前たちは頭を使わなければ最下位の戦力しかないんだ」と厳しいことを言いながら、データ重視の細かい野球でセリーグ優勝の常連になりました。

その本の記憶では、「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」という言葉が印象に残っています。勝つことは偶然勝つこともありますが、負けるときは常に何かしら負ける理由はあるので、それを突き詰めて考えることが必要という意味です。また、組織は「真面目な劣等生」と「不真面目な優等生」をどうやって組み合わせるかで作れるともありました。

監督としても選手としても一流だった野村氏ですが、選手時代の記憶は西武に在籍していた最後の2年間だけ覚えています。当時44歳だった野村氏は、所沢に移転しチームの半数近くが新人と移籍加入選手という急造チームだった西武ライオンズの投手陣に対するリードを期待されての加入でした。かつて三冠王を獲得したほどの打力は落ちており、当時は8番打者でしたが、これほどまでに野球をよく知っている捕手から得た経験は、当時のローテーション投手だった森繁和や松沼兄弟などには大きかったことと思います。

もっとも、野村氏が選手として南海で活躍した時代は、長島茂雄氏や王貞治氏らが巨人で注目されていた時代なのは不運でした。当時のパリーグは人気がなく、彼の600本を超える本塁打はガラガラのスタンドに向かって打ったものが多かったことでしょう。その境遇を「長島、王はひまわり、私は日本海の浜に咲く月見草」と悔しがっていました。

その、長島氏や王氏との注目度の差をコンプレックスとして感じていたことが、のちの監督としての成功につながりました。川上監督、広岡監督、森監督と続いてきた管理野球で成功した最後の監督というイメージです。もっとも、野村再生工場とも言われた、他球団を戦力外になった選手を復活させる手腕もありました。印象的なのはヤクルト時代に開幕戦で3本塁打を打った小早川毅彦氏です。

楽天でも田中マー君をローテーション投手に育てるなど手腕を最後まで発揮していましたが、やはり沙知代夫人を失ってから急激に老け込んでしまった印象はあります。記録にも記憶にも残る、忘れられない名選手かつ名将だったと振り返ります。
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