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アンドレア・ピルロ、現役引退

2017-11-07 22:40:12 | ワールドサッカー
今日はネタがないので穴埋めネタで、元イタリア代表MFアンドレア・ピルロの現役引退があります。彼がスターダムにのし上がった頃を覚えているので、とうとうそういう時期が来たかと寂しくなります。ピルロといえば、インテル、ミラン、ユベントスの3強すべてに在籍した経験を持つボランチです。

ピルロはインテルで頭角を現し始めましたが、当時のインテルのトップ下はRバッジオで、下位チームのレッジーナへレンタル移籍します。ここで不動のトップ下として活躍し、ミランへ完全移籍することになります。このミラン時代が、ピルロの最も輝いた時期でした。当時、ミランのトップ下には、ブラジル代表のカカ、ポルトガル代表のルイコスタがいて、世界一厳しいポジション争いと言われていました。

そのため、ピルロは出場機会を得ようと、当時のアンチェロッティ監督にボランチへのコンバートを直訴します。このコンバートが、ピルロが38歳の今までプレーができた原点です。ボランチから長いパスを出して、攻撃を後ろから操る、新しいタイプのボランチ像を見せてくれた名選手でした。

ピルロのプレーは、2007年のクラブW杯の横浜国際競技場で、一度だけ生で見たことがあります。彼のパスは、正確に味方の動きを見て、計算された軌道で送られています。ピルロのキックが浮き球になり、「これはミスキックだろう」と高を括っていると、そのボールに実は右SBが追いついているというプレーも見られました。

彼のプレーは、ミラン時代に何度か映像でも見ています。守備力を売り物にするタイプではなかったので、フォロー役にアンブロジーニという守備に強いタイプを援軍に当てる必要はありましたが、試合が膠着するとピルロに注目すると何かしら面白いプレーを見せてくれました。チップキックで敵の頭上を抜くパスを出したり、軸足の後ろを通すフェイントなどもありました。

ユベントス時代も輝いていました。当時のユベントスは、コンテ監督が堅守速攻の形を確立していましたが、その速攻の起点がピルロでした。その後、アメリカMLSに移籍していたので、最近のプレーは見ていませんが、よく38歳まで頑張ったとの思いです。また、どこかで采配を振るう姿を見られるといいなと思います。
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