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野茂英雄の思い出

2017-11-13 22:55:49 | 他スポーツ
今日はネタが思いつかないので、穴埋めネタの昔話で、元メジャーリーガーの野茂英雄さんの思い出です。野茂は大阪府の成城工業を卒業して、社会人野球の新日鉄堺を経て、近鉄にドラフト1位で入団してプロになりました。当時、野茂を1位指名した球団は8球団で、くじ引きの末に近鉄に入ることになります。本人は「12球団OK」だったので入団に支障はありませんでした。

今でも思い出す、上体を大きくひねった「トルネード投法」はアマチュア時代からあの投げ方です。高校卒業時にもプロの誘いはあったと聞きますが、成城工業の監督が「このままプロに入ったらあの投げ方は直される」と判断して、あえて社会人野球を経由させたというエピソードを聞きます。

野茂の投球は、近鉄時代の1992年に東京ドームで一度だけ生で見たことがあります。当時の鈴木監督が「野茂の体力なら中4日で投げられる」と判断して登板数が多かったので、当時の野茂のストレートの切れはさほどではありませんでした。しかし、彼の持ち球であるフォークボールの切れは、東京ドームの外野席からでもよく理解できました。

野茂のフォークは、ストレートと同じ軌道で進み、投手と捕手のちょうど中間くらいで突然角度を変えて落ちていました。一見、なぜあんなボール球を振る?と思われがちなフォークですが、中間でフォークだとわかったときは打者は手遅れということが、この事実から推測できます。

野茂といえば、メジャーリーグに本格的に挑戦した走りです。当時、FA選手でなかった野茂のメジャー入りは、近鉄ともトラブルになり、世論に負ける形でメジャー入りを許可して実現したものです。この挑戦があったからこそ、現在後に続く日本人が多く出るきっかけを作ったと思います。

メジャーでも100勝を達成しましたが、メジャーの長い歴史の中では野茂は平凡な先発投手でしょう。それでも、ナ・リーグ、ア・リーグ両方でのノーヒットノーラン達成など、歴史に名を残す活躍はしています。しゃべりがうまいタイプではないので、解説などは不向きですが、彼のことは今でも時折思い出します。
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