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横綱日馬富士、現役引退

2017-11-29 23:02:42 | 他スポーツ
浦和の川崎戦は、仕事の関係で後半からしかテレビの前に座れなかったので、感想は試合全部を映像で見てからにします。そのため、今日は相撲界のビッグニュースである、横綱日馬富士の引退を取り上げます。引退の理由は皆さんご存知の通り、残念な事件で引退は不可避と本人が覚悟したからと思いますが、引退するときは回想記事を書くのが通例なので、日馬富士の思い出を書きます。

日馬富士は、関脇まで「安馬(あま)」という四股名で取っていました。当時は体重110kgほどの軽量力士で、正直言えば横綱になれるほどの力士とは思えませんでした。それでも、関脇安馬だった当時から、夢は大きく持っており「俺は優勝したい」とつぶやいていたと聞きます。

ガーリックライスを10人前食べるなど、体重を増やす涙ぐましい努力をして、大関昇進のときに現在の四股名の日馬富士に改名します。相撲は頭から突っ込んでいく当たりの強さで勝負するタイプで、おそらく頸椎には相当の負担がかかっていたと思います。正直に「痛いところはいろいろある」とNHKのインタビューで答えています。

日馬富士で思い出すのは、横綱昇進を決めたときの白鵬との結びの一番です。この相撲は熱戦になり、土俵中央で白鵬を投げた日馬富士が全勝優勝を飾り、精も根も尽き果てた日馬富士が土俵にへたりこんで、連続優勝で横綱昇進を勝ち取るという困難だったノルマを果たしています。

日馬富士は、この白鵬が40回も優勝する「白鵬時代」において、実に9回の優勝を誇っています。横綱としては合格点の成績で、毎場所優勝を争うのは厳しくても、チャンスが来たときに高確率でものにしている勝負強さは感じる力士でした。最後は、肘なども痛め、先場所に休場者が多く出たときに11勝4敗とはいえ優勝して、横綱の責任を果たす結果も残しています。

日馬富士は、日本国籍を持っておらず、引退後は相撲協会には残れないことは決まっています。おそらく、帰国を選ぶのではと予想していますが、モンゴルでは英雄で通っており、モンゴルで相撲の指導者になるなど、何かの形で相撲界に間接的に貢献する可能性もあります。今は、引退後も誇りを持って頑張って欲しい、それしかありません。
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