皆さんご存知の通り、浦和はJ1とJ2が自動入れ替えになった元年の1999年にJ2に降格しています。降格の瞬間を駒場スタジアムで生で見てしまった衝撃は大きく、翌年シーチケを更新しないことを本気で考えたのは後にも先にもこのときだけです。
しかし、私にとって初めて見た降格はその前年、J1参入決定戦という変則的なトーナメントで敗れたコンサドーレ札幌です。あの当時はJ1残留の最後の枠を争ってアビスパ福岡とホームアンドアウェイで対戦していました。
第一戦は1-0で福岡の勝利でした。しかし、当時はアウェイゴール2倍ルールはなかったので、札幌は1点差でもいいから勝てば、トータルスコアが同点になった場合はJリーグの順位が上の札幌が残留でした。引き分けでも降格というのは厳しい条件ではありましたが、雪の降る室蘭の寒さと満員の札幌サポを考えると札幌有利に思えました。
あの当時の札幌には、小柄ながらスピードを武器にする吉原、JFL時代の東芝で得点王の常連だったバルデス、有名なアルゼンチンの英雄マラドーナの弟のウーゴ・マラドーナらが在籍していました。Jリーグ後半戦の成績も10位と中位で、とても降格する戦力ではないというのが私の印象でした。
しかし、ホームとはいえ引き分けでも降格というのは当時の札幌に相当のプレッシャーが掛かっていたようです。先制点が福岡に入ってからは、ただ闇雲にバルデス目がけてロングボールを蹴りこむサッカーをしてしまいました。バルデスというFWはクロスやCKで相手のタイミングを外すのがうまいFWで、パワープレー向きではありません。
蹴っても蹴っても跳ね返された末、福岡にカウンターで攻められて最終スコアは0-3と札幌の完敗でした。しかし、当時は横浜Fの消滅でサッカー界はチームの存続について全チームが危機感を持っていた頃です。札幌のサポーターは「まだなくなるわけではない。来年があるじゃないか。」といって逆に選手を励ましました。
この映像が私に与えた衝撃も大きかったです。静まり返るスタンド、涙する選手、こういう光景がいつ自分のところ(浦和)にも来る可能性があるのだという現実を知り、怖いとさえ思いました。まさかたった1年で現実になってしまうとは思いませんでしたが、今は降格は常に3チームあるのだから、自分のところが落ちないようにするだけで精一杯と思うようになりました。
しかし、私にとって初めて見た降格はその前年、J1参入決定戦という変則的なトーナメントで敗れたコンサドーレ札幌です。あの当時はJ1残留の最後の枠を争ってアビスパ福岡とホームアンドアウェイで対戦していました。
第一戦は1-0で福岡の勝利でした。しかし、当時はアウェイゴール2倍ルールはなかったので、札幌は1点差でもいいから勝てば、トータルスコアが同点になった場合はJリーグの順位が上の札幌が残留でした。引き分けでも降格というのは厳しい条件ではありましたが、雪の降る室蘭の寒さと満員の札幌サポを考えると札幌有利に思えました。
あの当時の札幌には、小柄ながらスピードを武器にする吉原、JFL時代の東芝で得点王の常連だったバルデス、有名なアルゼンチンの英雄マラドーナの弟のウーゴ・マラドーナらが在籍していました。Jリーグ後半戦の成績も10位と中位で、とても降格する戦力ではないというのが私の印象でした。
しかし、ホームとはいえ引き分けでも降格というのは当時の札幌に相当のプレッシャーが掛かっていたようです。先制点が福岡に入ってからは、ただ闇雲にバルデス目がけてロングボールを蹴りこむサッカーをしてしまいました。バルデスというFWはクロスやCKで相手のタイミングを外すのがうまいFWで、パワープレー向きではありません。
蹴っても蹴っても跳ね返された末、福岡にカウンターで攻められて最終スコアは0-3と札幌の完敗でした。しかし、当時は横浜Fの消滅でサッカー界はチームの存続について全チームが危機感を持っていた頃です。札幌のサポーターは「まだなくなるわけではない。来年があるじゃないか。」といって逆に選手を励ましました。
この映像が私に与えた衝撃も大きかったです。静まり返るスタンド、涙する選手、こういう光景がいつ自分のところ(浦和)にも来る可能性があるのだという現実を知り、怖いとさえ思いました。まさかたった1年で現実になってしまうとは思いませんでしたが、今は降格は常に3チームあるのだから、自分のところが落ちないようにするだけで精一杯と思うようになりました。






