goo blog サービス終了のお知らせ 

Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

フォークの出し入れ(豊田清)

2008-06-19 20:47:27 | 他スポーツ
西武の一時代を、リーグ屈指の抑え投手として支えた、豊田清投手(現巨人)の思い出です。豊田は、愛知県の無名の大学、同朋大の出身で、他の大学と練習試合をするときは、唯一の一流投手の豊田の登板を条件にされました。そのため、大学時代はダブルヘッダーを連投するような苦労をしています。

そんな豊田は、西武からドラフト3位で指名されます。もちろん同朋大からは初めてのプロ選手ですが、当時もスカウト網は発達していて、意外な指名ではなかったようです。豊田は、もともとは先発投手になるために西武に入ってきました。

売り物はストライクゾーンとボールゾーンを自在に出し入れできるフォークボールでした。普通の投手なら、フォークボールはストライクからボールに出すボールしか投げられず、見られてしまうとカウントを苦しくします。豊田の場合はフォークでストライクが取れるので、フォークでカウントを稼げる、稀な投手です。

しかし、先発投手だったときの豊田は、二桁勝つこともありましたが、西武ではエース西口の影の存在でした。どこの球団にもいる普通の先発投手というのが当時の豊田の評価でした。しかし、一時ベテランの西崎を抑えにしていた東尾監督がどうしても強力な抑え投手が欲しいという理由で、先発投手だった豊田に抑え転向を打診します。

豊田自身は、投手は先発完投するものという価値観を持っていたので、話し合いは難航しましたが、ついに豊田が折れて「抑え豊田」が誕生しました。それからの豊田は、当時課題だったストレートの球速が、1イニング限定になったことでスタミナの配分をする必要がなくなり、140km出るかどうかのレベルだったのが、常時145kmを超せる投手になりました。

ストレートで空振りが取れるようになれば、武器のフォークも活きるようになり、豊田はリーグ屈指の抑え投手になり、8回を森、9回を豊田が締めるのが西武の必勝リレーになりました。これで、2002年のリーグ優勝、2004年の日本一の要因になりました。

ただ、豊田はベテランになってくると、故障がちになってきて、常時フル稼働は難しくなってきました。そんなときに、巨人からFAの話があり、移籍を選びました。しかし、西武の2度の優勝を、絶対的ストッパーとして支えた豊田の活躍は、今でも忘れません。思い出に残る、西武では数少ない、安定した抑え投手です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする