内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

〈川〉を渡って逢いに行く女の悲恋歌物語

2017-11-25 19:09:34 | 詩歌逍遥

 巻二・一一四-一一六の但馬皇女の三首は連作として、各歌の題詞と併せて、一つの悲恋物語の趣をもつ。

但馬皇女、高市皇子の宮に在ます時に、穂積皇子を偲ひて作らす歌一首

秋の田の 穂向きの寄れる 片寄りに 君に寄りなな 言痛くありとも

穂積皇子に勅して、近江の志賀の山寺に遣はす時に、但馬皇女の作らす歌一首

後れ居て 恋ひつつあらずは 追ひ及かむ 道の隈廻に 標結へ我が背

但馬皇女、高市皇子の宮に在ます時、竊かに穂積皇子に接ひ、事すでに形はれて作らす歌一首

人言を 繁み言痛み おのが世に いまだ渡らぬ 朝川渡る

 但馬皇女の激しくひたむきな想いが読む者の胸を打つ。「川」は恋の障害を象徴し、「川を渡る」のは恋する人が恋の成就を願う行為であるとする民俗が古くからみられるという(大久間喜一郎『古代文学の構想』)。
 「皇女の身分たる者にとってありえない事柄、すなわち、朝早く冷たい川を徒歩で渡るというような事柄をうたいこめることで、裏に、「自分は世間の堰に抵抗して、生まれて初めての情事を是が非でも全うするのだ」という意味をこめたものと見るべきではないかと思う。」(伊藤博『萬葉集釋注』)
 但馬皇女が死んだのちの雪の降る冬の日、皇女が眠る初瀬の猪養の墓を遥望しながら、穂積皇子は、

降る雪は あはにな降りそ 吉隠の 猪養の岡の 寒くあらまくに(二〇三)

という、万葉挽歌絶唱の一首を詠んでいる(この一首は、拙ブログの二〇一四年一月二十三日の記事で取り上げている)。
 この歌について、中西進はこう述べている。「この歌の沈んで重いしらべは、不幸でしかない愛の運命の避けがたさの中に懊悩を重ねて来た人間の、苦渋にみちた愛の強さを示している。」(『古代史で楽しむ万葉集』角川ソフィア文庫)












最新の画像もっと見る

コメントを投稿