人類が地球規模での未曾有の災禍に襲われた二〇二〇年もあと十二月ひと月を残すばかりとなりましたね。皆様、お疲れ様です。二十二世紀にもまだ人類が地球上に生存しているとすれば、二十一世紀史の最重要事項の一つとして今年のコロナ禍を挙げることでしょう。二〇〇一年のニューヨーク同時多発テロとともに始まった二十一世紀は、その十年後の二〇一一年にフクシマを経験し、それから九年後の今年、私たちの社会経済生活から日常生活様式までに深刻な影響を及ぼしつつあるコロナ禍の渦中に私たちはいます。その影響がどれほど深刻なものなのか、暗愚なる老生にはよくわかりません。
近視眼的思考しかできずに毎日の雑事にあたふたと追いかけ回されていた愚生には、昨年の同じ日には欠片も想像できなかったコロナ禍に、二月以降あれよあれよという間にヨーロッパ中が巻き込まれていくのを目の当たりにして呆然とし、三月から八週間の外出制限令がフランスでは施行され、それを青息吐息で「負けるもんか」と健気に凌ぎ、その後段階的に緩和された制限令下、やれやれと一息つき、夏休みの間は、あたかもコロナ禍が遠のいたかのような倒錯的解放感を迂闊にも享受し、九月の新学期からは、マスクをつけての教室の授業を一抹の不安に付き纏われながら開始し(みんなに再会できて嬉しかったよ)、その間、感染状況は「順調に」再度悪化し続け、十月末からは再び外出制限令が施行され(そらみたことか)、万聖節の休み明けから大学の授業はすべて遠隔に切り替わり、来年一月末までは授業は遠隔のまま、さあ前期末試験は教室でやるかやらないか侃々諤々と逡巡し、なんでこんなことでいつまで悩まされるのと愚痴りたくもなり、想定外の問題にも悩まされ(あっ、これオフレコでお願いします)、それでも逃げ出すことも、すべてを放り出すこともなく、これぐらいなんでもないさ、明けない夜はない、と見え透いた虚勢を張り、大晦日まで何が何でも頑張るぞとの決意を誰に頼まれもせずに胸に秘め、暮れやすい灰色の冬空を陋屋の硝子戸の中から眺めている老いゆくテツガクシャがありましたとさ。
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