内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

角川ソフィア文庫の近刊から(二)― 姜在彦『朝鮮半島史』

2021-04-05 13:26:38 | 読游摘録

 本書の元になっているのは『歴史物語 朝鮮半島』(朝日選書 二〇〇六年)で、今回の文庫版はそれを改題したものである。著者である朝鮮研究の大家姜在彦(カン・ジェオン)氏は二〇一七年に物故されているが、文庫化にあたり、固有名詞等の誤りとみられる記述は、著作権継承者の了承を得て修正したとの編集部の注記が巻末にある。
 序章で半島的地理・気候・風土を概観した後、古代の建国神話、三国時代、統一新羅・高句麗時代、朝鮮王朝の樹立と繁栄、守旧と改革の狭間に揺れた激動期を経て、内外の動乱の果ての「韓国併合」までの朝鮮半島通史が綴られてゆく。第六章「朝鮮時代後期 一五九八年~八七六年」と最終章第七章「朝鮮の近代 一八七六年~一九一〇年」だけで全体のおよそ半分を占めているのは、著者の専門が朝鮮近代史だからであろうか。第七章の最終節は「「韓国併合」の意味」と題され、さして長くもなく、淡々とした記述が続く。その終わりの方にこう記されている。

 日本の敗戦から六〇周年が過ぎた今もなお(二〇〇五年現在)、韓国・中国と日本の間にはこの戦前五〇年間の侵略と支配をめぐる「歴史認識」のトラブルがつづいている。「戦後」はまだ終わっていないのではないか。
 挑戦の歴史は一九一〇年八月二二日をもって日本史のなかに組み込まれ、地図の上から消え去った。本書はその韓国併合の日をもって擱筆したい。

 著者が一九歳のときに日本で迎えた日本の敗戦日に言及した段落の次の段落から四段落引用する。

 私はその歳まで日本の「皇民化」(=皇国臣民化)教育のなかで育ち、朝鮮史を「国史」として学んだことがなかった。あらためて朝鮮の過去を知るために、手当たり次第朝鮮関係の本を古本屋で見つけては読んでみた。朝鮮との縁が切れると朝鮮関係の本は、ゾッキ本なみの値段であった。
 当時日本で入手できる朝鮮関係の本は、植民地時代に日本人によって書かれたそれだけであった。ところがそれらを読めば読むほど、民族的劣等感に追い討ちをかけるような内容のもので、それに対する反発が、朝鮮史研究をはじめたきっかけである。
 それから五〇年余り、「在日」という生活上の制約もあって、研究一筋というわけにはいかなかったが、何とか細々とそれをつづけてきて、あっという間に傘寿の齢を重ねてしまった。
 もちろんその間には、戦前の植民地史観を無自覚に引きずっている研究動向への批判的研究もさることながら、私が朝鮮史をはじめたときのように、初心者にも分かりやすく、分量的にも手頃で、より良質の入門書を書けないものだろうかと、模索しつづけてきた。私の最晩年の著作として、この本を世に出すようになったことを、いかなる研究書の出版よりもうれしく思う。

 日本史をよりよく知るためにも朝鮮半島史の知識は不可欠であることは言うまでもない。にもかかわらず、私はそれについて高校の教科書で習ったこと以上の知識を持っていないことを認めなくてはならない。本書によって基礎的な知識を身につけたいと思っている。